31 耿耿、サボンに濡羽色
ルアードとオリビアに案内された部屋は応接室の隣にある広い部屋だった。待合室か待機用の部屋なのだろう、大きめのソファが二つ向かい合わせに置かれており、間にテーブルが備え付けられている。部屋の奥には寝台が二つ。応接室と同じく淡い色彩の壁紙が使われており、扉の正面にはやはり大きめの窓が設置され室内を明るく照らしていた。オリビアがさっさと奥まで進んでカーテンをかける、全くの暗闇にはならなかったが薄暗くなった室内にルーシェルはほう、と。小さく息を吐いていた。しかしやはり室内に植物が多い。
オリビアに続き自分も部屋に足を踏み入れる、この部屋にも封魔の術がかかっているのか薄い膜のような結界が張られていた。続いてルーシェルがリーネンに腕を引かれながら入る。先程からこちらを最大限に警戒する彼女は、フードの下からこちらを睨みつけながらソファへと腰かけていた。……足取りのおぼつかない彼女が転倒しないようにと手助けをしたつもりだったが、何故か喋るなと一喝されてしまっていた。正直訳が分からない。
「明るいのが駄目なら温泉は夕刻以降がよさそうだな、あそこは日中日当たりが良いから……湯浴みが出来るよう湯を用意させよう」
窓を背に、こちらに向き直ったオリビアがよく通る声で言う。
「ともかく、今は休まれたらいい」
「……よろしいのでしょうか」
「じいさまがいいと言うのだから私がどうこう言えるものではない」
歓迎されていないはずのこちらに色々と都合をつけてくれるオリビアに問えば、呆れたように返された。自分の判断ではないということらしい。
「説明は後で受ける。ルアード、紹介してくれないか」
名を呼ばれほいほいっと最後に部屋に入ってきたルアードが実に軽く返事をしていた。
「そちらの金髪の美人さんがヨシュアさん、黒髪美人さんがルーシェルさん。そっちの小さな可愛い子ちゃんがリーネンちゃんですね」
名を呼ばれ軽く会釈する。リーネンは主人の側でじいと身の振り方を考えているようだった。当のルーシェルはといえば相変わらず黙ったままだったが、流石に無礼だと思ったのかするりと被っていたフードを取る。つややかな黒髪、宝石のように赤い瞳がオリビアを捉えると統領の孫だと言う彼女はうっと。眩しいものでも見るかのように目を細めていた。
「……いやほんと、なんなんだあんたら……」
呻くような呟きである。
なんだもなにもないと思うのだが、ねーと何故かルアードは同意する。兄弟というものは自分にはいないが、この二人を見ていると意思の疎通がショートカットで可能になるようだった。
気を取り直すように、ごほんとひとつわざとらしく咳払い。
「改めて、オリビアという。そこの馬鹿の姉で里長の孫だ、祖父の元で指導する立場にいる」
馬鹿はないじゃーん、ルアードの声を無視してオリビアは扉の方へと目をやった。
「ロージー」
「はいはーい」
オリビアが呼ぶと、待ってましたとばかりに部屋の中にわっと人が入ってくる。数にして六人、皆それぞれ金の髪と緑の瞳をしたエルフの女性だった。使用人なのか同じ紺色のロングワンピースに白いエプロンをつけた姿である、皆一様に良い笑顔。
広い部屋ではあるがまさかこれだけの人数が入ってくるとは思わず、驚いている間にも彼女たちが一斉に口を開く。
「オリビアさまばかりずるいわ、私たちもおしゃべりしたいのに」
「まあなんて美しい方達〜」
「ルアードさまもおかえりなさいませ」
「ぜひ外の世界のお話を聞かせてほしいですわ」
「お嬢様方はどこからいらしたの?」
「可愛らしい猫ちゃんはお付の方?」
思い思いに喋り出す。
「お、おい、」
六人のエルフにかわるがわるまくしたてられ、流石の魔王も狼狽えていた。リーネンなど解りやすく耳をぺたりと頭に張り付けてルーシェルに縋り付いている。エルフの女性たちは皆それぞれ穏やかな笑顔をしていると言うのに勢いとでもいうのか、こう、圧が凄い。それはもう、わくわくしていると全身で六人が六人とも表しているのである。歓迎されているどころか……ここは秘匿の里であり、交流を拒む排他的な土地ではないのか。
「えと、彼女達は……?」
「うーんと、お世話係っていうのかな……」
相変わらずだなとでも言わんばかりルアードは苦笑していた。
「……保守的だって言ってませんでした?」
「どういうわけだか目新しいものは好きなんだよなあ」
古い慣習を良しとする風潮があるのかと思いきや、そればかりでもないらしい。新しいもの好き、恐らく滅多にないであろう来客に浮足立っているらしい。実に楽しそうにロージーと呼ばれた彼女達はルーシェルに話しかけているのである。
ぱんぱんっと手を鳴らす音。
「おしゃべりは後だ、彼女達に湯の準備をしてやってくれ。明るいのが苦手らしい」
「では奥の浴室を使用しても?」
「ああ、衣服も適当に見繕ってくれ」
先日の雨のせいかずいぶんと汚れているようだからと、オリビアからの指示にきらりと女性たちの目が輝いた。ような気がした。
「はいはーい、それではこちらでーす」
「ちょ、ちょっと待て、」
もみくちゃにされながらルーシェルは女性たちに手を取られ立ち上がらざるを得ないでいた。強引ではないのに実に鮮やかなやり方、するりとソファから身を起こしあれよあれよという間に連れて行かれてしまう。使い魔であるリーネンなど言わずもがな、ひょいと抱きかかえられたかと思うとそのまま扉へと向かっていってしまった。自分がしたのなら確実に平手の一つや二つは飛んできそうな暴挙だと思うのだが、具合の悪さゆえか、相手がエルフの女性だからかルーシェルは動揺しているようだが暴れるような素振りはない。されるがままである。
「あー……、お客人に粗相の無いように」
「わかってまーす」
オリビアの声を後に、六人のエルフと魔王とその使い魔は慌ただしく部屋を出て行ってしまった。ぱたんと静かに閉じられる扉、ルーシェルの放せと言う声がだんだんと遠のいていく。
残された三人、しん、と部屋が静まり返る。
……やめろだの離せだの言う声は聞こえるものの、罵倒や暴れる音は聞こえなかった。もしかしたら彼女は女性には優しいのかもしれない。先日の街でだって、リリーには妙に強く出れないでいたのであるし。
「あ、ねえちゃん悪いんだけどさ、屋敷に言語変換の術かけといてくんない?」
そうそう~と思い出したようにルアードが言い、翻訳機能の付いた『女神の祝福』というらしい赤いイヤリングの事に思い至る。そうだ、これは自分がつけているのだからルーシェルと離れてしまっては効果がない。彼女はこちらの言語にまだ対応していないのだから会話が不能になる。そういえばこのイヤリングの効能の範囲をまだ確かめていなかった。
「ああ……なるほど、懐かしいな」
色々と察したのか、オリビアは部屋から出ると廊下の板張りの壁に右手で触れていた。室内では魔法が弾かれるからだろう。ふわりと力の流れ、それと共にざわ、と至る所においてある植物が呼応するかのようにさんざめく。きゅう、と術式が展開されてやがて収束する。ふわりと屋敷全体に広がるそれはまるで春風のように柔らかいものだった。
「ねえちゃんの触媒は植物なんだ、ま、言ってみればこの屋敷全部がねえちゃんの領域だね」
宝石を触媒に魔法を使うルアードが注釈を入れる。
街の至る所に植物が植えられていたが、室内にも随分多いと思ったらそういう事らしい。ある種の防災施設でもあるようだった。街の中心に屋敷を構えているのも相応の広さを持っているのも、襲撃に備えているのかもしれない。何にか、人間か、竜人にか。隠された里、人がわざわざやって来るとは思えないのだからやはり対竜人用か。
「ねえちゃんあんがとねぇ」
「相変わらず軽いなお前は……」
術の発動を確認したルアードがへらりと感謝を述べるが、ふうと小さく息をついてオリビアは呆れ顔で非難じみた声をあげる。
屋敷全体がオリビアの支配領域なら下手なことは出来ないのだろう。恐らく自分もルーシェルも屋敷内では術が使えない、術式を展開している主人が絶対だ。たとえ使えたとしても威力は恐らく劣る、……奥の部屋にあると言う浴室へと連れていかれたルーシェルは基本的に意に沿わぬことは徹底的に拒絶するのだが、疲労はあるにしても今回は割とすんなりと連れていかれていた。女性に親切かつ術が使えないというのなら、さほど心配する事もないのだろうか。恐らくあの様子であれば、暴れてエルフの女性たちを傷付ける事もあるまい。
……あまり、彼女から離れるのも良くはないと思う。あの魔王は目を離した隙に本当によく面倒ごとに巻き込まれているのだから。竜人に攫われ、悪魔に襲われ……ここで、何も起こらなければよいのだが。
「ルーシェルさんの事心配?」
考え込むこちらに、ルアードが覗き込みながら問うてくる。顔を上げるとどこか悪戯っぽく輝いている緑の瞳とぶつかる、……心配、なのだろうか自分は。口元に手をやり改めて考えてみる。
「……そうですね。きっと、心配なんだと思います」
人を守ることが存在意義である自分が、彼女の側にいないということで起こるかもしれない事態に対する不安。それと同時に、彼女がまた何かに巻き込まれるかもしれないという不安。
また行方不明になったらと。
また酷く負傷していたらと。
そう不安に思う事が、きっと心配すると形容するのだと思う。彼女との約束、約束は果たされる為にある。交わされる。彼女を害する他者はそれを反故にするものだ。
「成長だねぇ」
「成長?」
「いえこちらの話」
にこにこしながらルアードはひとりごちる。
彼は時々このような物言いと表情をするが、自分には何のことを言われているのかわからないでいた。
「あの、私にはさっぱりなのですが、」
いいねいいねぇと言いながら彼はこちらの肩をぽんぽんと叩いているが、何を褒められているのか皆目見当もつかない。
よほど不可解な表情でもしていたのだろうか、ルアードはふ、と柔らかな笑みを浮かべた。
「今はまだ、ね。いつかちゃんと自分の好きなこと、自分のしたいこと、わかるといいね」
優しい声で彼はそう言う。
今ではなくいつかの話。未来の話。
そんな日がいつか来るのか、自分には確信を持てずにいた。感情と呼ばれるもの、不可解なもの、好きか嫌いかなどといった個人的な解釈は酷く独善的で害悪なものではないだろうか。こうであるべきという模範、公平さに欠けては自分は自分ではなくなってしまう。いや――欠けた存在は、やはりどこまでいっても紛い物なのだと思う。理解出来ないという不具合。
優しいルアードの言葉に、けれど自分はうまく返事が返せないでいた。
※
あれよあれよという間に屋敷の奥に連れていかれ、服を脱ぐよう指示されたかと思うとそのまま泡と湯が満ちた猫足バスタブの中に放り込まれるように入れらてしまった。ぽいぽいっとリーネンも服をはぎ取られ一緒に湯船の中。非常に手馴れている。
からりとした白いタイル張りの床に汚れは一つもなく、柔らかな色をした板張りの壁に窓はなく。天井には人の頭ほどあろう光がふわふわと浮かんでいた。明かりらしい、ぼんやりとしたそれは足元に薄い影を作っていた。
浴室内には自分たちとエルフの女三人、もう三人は脱衣所に残ってこちらの服を洗うのだと言う。どちらの部屋もそこそこ広い。
わやわやと話していた女たちの言葉は解らなくはなかったが、ふわ、と柔らかな風のように広がる領域に気付く。ああ、言語変換の術か、とぼんやりと思う。つい忘れがちになるが天使からある程度離れるとイヤリングの効能が及ばなくなるらしく、それはそれでいい加減うっとうしくもあった。いつもいつでも傍にいるとは限らないし、あえて行動を共にする必要があるとも思えない。
「それでは洗っていきますね~」
泡と同じような柔らかな声で一人が言い、お湯掛けますねぇ、と続いてゆっくりと上を向かされる。さぱさぱと湯をかけられるが魔法なのか何なのか、不思議な事に顔は濡れないでいた。こちらの長い髪の汚れを指で落とされる。頭皮を揉んで、毛先の絡みをほぐし、丁寧に洗われているのが解る。
真っ白な猫脚バスタブの中は適温の湯ときめの細かい泡とで満たされていて、悔しい事に非常に心地が良い。
「本当にきれいな黒髪でいらっしゃるわ」
「アズサの髪はもう少し赤みがかってるけど、あなたのは本当に吸い込まれそうな黒なのね」
「綺麗だわ、その赤い瞳もとても綺麗だわ」
「猫ちゃんも魔物というわけではないのね、聞いたことないわこんな子」
「キメラというわけじゃないのねー」
相変わらず女達は好き勝手に喋っている。柔らかな声が浴室内で飽和して、妙に反響して聞こえていた。
女が何かとろりとしたものを手に取って軽く揉むのが見える、そのまま髪に延ばされ髪全体にくしゃりと絡められた。そのまましゃかしゃかと女の指が動く、シャンプーだ。じゅわあ、と泡の弾ける音が聞こえてくる。
リーネンも同じように洗われている、最初こそは水は苦手にゃあと文句を言って暴れていたが、やはり丁寧に洗われていくうちに抵抗を無くしたようだった。女たちの手際は良く、素早く丁寧でいてそつがない。久方ぶりの風呂は大層心地が良かったが、会話の途中に聞こえた名に妙な引っ掛かりを覚えた。こちらの世界で聞いて来た名とは響きの違う音。
「……アズサ?」
「ああ、えっとですねぇ」
のんびりと一人が口を開きかけた時、からりといささか乱暴に浴室の扉が開いた。外に残ったエルフの一人がひょこりと顔を覗かせ、こちらの着ていた服をひらりと見せてきたのだ。
「あのぅ、このお洋服についているのって、血ですよね?」
先程までの笑顔はどこへやら、酷く真面目な顔で問う。
それは、アステマに襲撃を受けた時のものだった。固まった血は森の中で水を被った程度では取り切れず、血の痕が黒々と残っていたのである。コートはルアードに繕われていたが、こちらは着たままであったので開いた穴もそのままだった。
「肩の部分にも随分と鋭利な穴が……もしかして貫通なさっている?」
「え、貫通?」
柔らかなスポンジでこちらの身体を洗っていた女に、慌てたように肩を確認される。女の細い指が泡を拭い、肌の上をなぞっていく。少しくすぐったい。
「右肩に、貫通痕……はないようですね」
「綺麗に治っているようですが、ルアードさまに治療していただいたのですか?」
傷を癒したのは天使だったが、いちいち訂正も説明も面倒なので黙っている。
エルフが魔力持ちだというならこいつらもそうなのだろう、自分達が人間ではない事は解っているのと思う。人外だからこその待遇なのかもしれないな、そんな事をふと思う。過去に揉めたと言っていたが、この世界の人間どもはこいつらに対して一体何をしたんだろう……
黙ったままのこちらに女たちはそれ以上追及せず、衣類を持っていた女も洗っておきます、繕っておきますと言って再び扉を閉めていった。他に着替えはないのだから正直ありがたい、やはりもう一着は必要だろうか。
「それでは流しますねー」
こちらの長い髪を洗い終えたのか、ざばり、髪に湯がかけられる。女たちは口を閉じることなくおしゃべりが多いが、手は止まることなく丁寧に仕事をしている。ざばざばと泡とともに汚れを洗い流していた、ごぼぼ、と排水溝から水が流れていく音が重く耳に届く。
ではトリートメントしていきます~、と言いながら再び髪に何かを塗られていく。先程よりも粘度の高いそれを丁寧に髪全体に延ばして、揉み込んで、再び洗い流される。その間、ぼんやりとシミ一つない天井の淡い光を眺めていた。指の動きが不思議なリズムとなって眠気を誘う。そうと目を閉じると瞼の裏にほのかな明かり、陽光でなければさほど辛くはなかった。だが明るい所も、命の多い所も苦手なことに変わりはない。
流し終わったのだろう、頭を上げるよう柔らかく女が手で押してくる。目を見開いて正面を向けばリーネンが目の前にいた、頭も身体を洗われたのだろうくったりと膝を抱えてバスタブの中に座っている。
そうこうしている間にもぎゅうと絞られる長い己の髪の感触。いたわるように首と肩をゆるく揉まれて目を細めた。
「お好きな香りはございますか?」
柔らかなタオルで髪の水分を拭きとりながら女がこちらに問う。
「別に……」
「それではこちらで決めさせていただきますね~」
かちゃかちゃとガラスのぶつかるような澄んだ音が響いたかと思うと、キュッと何か、瓶でも開けるような音がした。それと共にふわりと甘い香りが鼻先をくすぐる、花の香りだ。
「ローズの香油です、髪に揉み込んでいきますね」
ばさりとタオルが離れ、女の手が髪に触れる。花の香りが強くなる。
髪に馴染ませるよう香りを揉み込まれているのが解る、手慣れているのだろう、髪を引っ張られることもなくなんだか不思議な感覚。
「こんな細い身体で……無理なさっているのでは?」
香油を揉み込んでいるのとは別の女が、酷く柔らかなスポンジでこちらの腕を洗いながら呟く。
「明るい所が苦手なら猶の事旅は過酷ではなくて?」
気遣う声。
「……そのうち慣れる」
「慣れるって、そのようなレベルの話では、」
「長らく外に出た事がなかったからな、……それだけの話だ」
それ以上語ることなどなにもないのに、洗われて柔らかな毛がぺたりと張り付いたリーネンがえっと。素っ頓狂な声を上げた。
「ルーシェルさま、お城の外、出たことないんにゃ?」
大きな目をさらにまん丸にして問う。
……温かさに腑抜けていたようだ、余計なことまで口にしてしまった。
「別に……必要がなかっただけだ」
なんでもないように低く答える。
「お城、ですか?」
「ルーシェル様はにゃーたちの王さまなんにゃ」
不思議そうに問う女に、何故か誇らしげにリーネンはその幼児体系の薄い胸を張る。私がお前たちの王だったら何だと思うのだが、何故かエルフの女たちから女王様なんですかとなお一層甲高い声が上がった。
「あらまあどうしましょう、」
「女王様に失礼がなかったかしら」
「やめろ、今は追われる身だ」
きゃわきゃわと可愛らしく騒ぐ女たちに強めに拒否。
王だとして、現在の状況はどうだ。王である証のナハシュ・ザハヴこそ手にはあるが、あれだけ無敵を誇った夥しい霊力は今はなく、魔界どころか異世界にいる。怪我を負えば自身で癒す事も出来ず、陽の光、命の息吹に圧倒されて満足に動けない。つくづく、霊力でのみ評価されていたのだ。私自身などただの非力な小娘でしかない。事実、自分は魔界から刺客が送られてきている。天界側からも時間の問題だろう……
ざぱりと湯船から立ち上がる。
慌てたように女たちが新しいタオルを持ってくる、構わずバスタブの中から出ると体中についた泡を洗い流されそのままバスローブに包まれた。白くて柔らかい肌触り、丁寧に洗われ香油を揉み込まれた黒髪はつやつやと光を受けて輝いていた。よい香りがする、花の香り。……魔界に植物などなく、甘く香る花など存在しない。焦がれ続けた光の世界、ざわつく胸の内。
汚れが落ち湯船で温まった身体は随分と軽くなったのに、思考は仄暗くなっていた。城の中とはまるで違う世界、明るい世界。屈託のない笑い声、支え合い協力し合う人々、青い空、暖かな光、緩やかな風と慈しむ眼差し。差し伸べられる手のひらの熱と柔らかさ。――そんなもの。
「でっか……」
リーネンの呆然とした呟きを無視して、浴室を出る。
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