28 碧落の森の中で - 7 -

 結局天使に一撃すら入れられないまま、うやむやにされ出立となった。なだめすかされたともいう。うまい具合に丸め込まれた気がしてならない、やはりその綺麗な横っ面に思いきり拳を叩きこんでやればよかった。殴られたことなんてないのだろうそのすかした横顔にそれはもう思い切り。

 イライラしながら森の中を進んでいく。

 あの後軽い食事をし、それぞれの荷物を取りまとめてから簡単な清掃をして小屋を後にする。出たごみなどは『魔』がやってこないよう離れた所で処分するのだとルアードが言っていた。定期的に餌になるものがある場所と認識されるとまずいからというのがその理由だ。高くはないらしいがそれなりに知能もあり、食事を必要とするあたり動物とさほど変わらないなと思う。

 日が昇ってもなお薄暗い森の中、コートを頭から被り男どもの後方をただ着いて行く。雨に濡れていたコートはすっかり乾いており、肩を貫通した時の穴も綺麗に閉じられていた。あれこれと世話を焼くルアードが繕ったのだろう。

 襲撃を受け肩を負傷してから二日目の昼。

 広範囲に降った雨は獣道をぬかるませて酷く歩きにくい。木々が生い茂るからだろう、まだあちこちの葉が雨水を含んだままで着ている衣服を度々濡らしていった。

 むせかえるような植物の香り、むっとした土の匂いが苛立ちを更に掻き立てる。ぐちゃぐちゃと足元を汚す泥が歩くたびに跳ねて不快だ。なるべく草の上を歩くとそれはそれで雨露に濡れている。

 最早癖になったと言っても過言ではない溜息が口を突いて出た。

 ……そもそも、この世界に来てからそこまで長くはないが、短期間にあれこれありすぎだ。

 ルーシェルは足場の悪い道を歩きながら思い返す。もう何度目かもわからない思いはただ一つだ、どうしてこうなったのか。

 街を後に、エルフの里だかに向かった初日の夜に魔界側から襲撃を受け負傷。

 いくら大量失血していたからといえども天使に抱きかかえられ夜を過ごし、根負けして食事をし、低級悪魔でありアンカーのリーネンと使い魔との契約をする。天使は天使で名を呼べと言う。何故呼ばないのかと問うくせに、強制しないあたりがいやらしい。言うだけ言って満足したのか、何事もなかったかのようにしれっとしているのがまた不愉快だ。

「ルーシェル様、重くないにゃ……?」

 直ぐ近くからリーネンのおずおずとした声がする。

 現在使い魔となった低級悪魔は猫の姿になってこちらの肩の上に乗っていた。こちらに爪を立てないようにしつつ、落ちないようにバランスを取る小柄な子猫が肩にしがみついているのである。

 寝ずの番を放棄し爆睡していた事をこの世の終わりのような絶望顔で謝罪されたが、一々弱小悪魔に砕く心などないと払いのける。低級者にうろうろされても面倒なだけなので、いいから黙って傍から離れるなと言った結果がこれである。……歩くのも遅い上、下手にはぐれるとそこらの『魔』にやられるのは火を見るより明らかだったのでこれはまあ、仕方のない形なのかと思う。邪魔になれば放ればいいだけだ。

「使い魔が主人に意見か?」

「ち、違いますにゃ!」

 冷ややかに注げれば途端に泡を喰ったように猫型悪魔は否定する。

 びくびくしながら大丈夫ならいいんですにゃあと小さな体を更に縮こませて、リーネンは小さく口にしていた。そうと指先で触れる、柔らかな毛並みは悪くはない。暖かく吹けば飛ぶように儚い命でしかない低級悪魔など重い筈もなかった。

「……いいからお前はそこにいろ」

 ひっそりと告げると、リーネンはそれ以上何も言わなかった。黙ったまま少し体勢を変えたのか、先程より安定したような気がする。

 森の中は数は多くなくとも度々『魔』に襲撃される。

 獣に似たもの、鳥に似たもの、植物に似たもの。大小さまざまなそれらをアーネストが真っ先に切り込んでいき、天使が援護をしつつ丁寧に凪ぎ伏せていっていた。俺の出番ないねぇ、ルアードも弓矢を手にはしてはいるものの手持無沙汰のようにしている。

「いやーらくちんらくちん。二人のおかげで俺は随分楽だわあ」

 白銀の刃が煌めき『魔』は瞬く間に地に沈んでいく。噴き出す血が結晶化し、魔石となったものをのんびりと拾いながらルアードはのんきな感想を述べていた。所謂剣士が二人、弓矢は後方支援がメインだからだろう。襲い来る『魔』をことごとく剣士二人が斬り捨てているのだからこちらがわざわざ出るまでもなかった。

「これなら大分早く里に着きそうだねぇ」

「お前も手伝えッ」

 アーネストが怒鳴りながら一際大きな『魔』を切り倒した。

「ええー、俺いなくても大丈夫でしょ」

 器用に剣士二人の間をすり抜けながらへらりへらりとルアードはのんびりと返す。

 今回現れたのは四つの翼に脚が五本もついている黒い羽根の巨鳥だった。随分と欲張った見た目だな、そんな事を考えながら走り回る剣士二人をただ眺める。数にして十数羽と言った所か、鬱蒼とした森の中であるというのにこちらの死角から次々と襲い掛かってくるが、『魔』の攻撃はこちらへ届く前にすべて叩き落されていた。両手を広げるほどの大きさの鳥の片翼を落とし、どす黒い血を撒き散らしながらばたばたと暴れている『魔』に冷静にとどめを刺す。容赦のない。

「昔を思い出しますね」

 天使のどこか間延びした声。

 一際大きく輝く一閃、空から襲い来る『魔』が斬り捨てられぼとぼとと地に落ちてくる。『緑の神』の呪いなのだろう、飛び散った濃い緑の血はやがて宝石のような美しい石へと変わる。……まだ空中に残党がいると言うのに随分と余裕な事である。

「よく悪魔の翼を斬ったものです、飛べなくなるというよりはまあ弱点ですよね。再生に気を取られますし、大量に力も使いますし」

 ふわふわと微笑みながら、大立ち回りしているくせに息一つ乱さず。戦天使もとい脳筋馬鹿は何やらほざき出した。前線で戦っていた時期があると言っていたがその時の事だろうか。そのお前の殺してきた悪魔の統領がここにいると言うのに突然一体何を言い出すんだ。

 しかし天使の言葉に同意を示したのがアーネストだった。

「わかる。手脚を切り落とすとバランスを崩すから狙いやすい」

「左右非対称になるとやりやすいですよね」

 長剣を扱うもの同士通じるものでもあるのだろうか、手を止めないままアーネストと天使は何やら意気投合していた。そういえば前回も迷わずアステマの翼を斬り落としていたな……そうやってずっと戦ってきたのだろう事が解ってなんとも居心地が悪い。まず腕なり翼なり斬り飛ばしてバランスを崩し、血と霊力を大量に失わせてからゆっくりととどめを刺す――相当な素早さと正確さと腕力がなければ出来ない芸当ではないか。穏やかな表情と女神のような見た目でついうっかり流されそうになるが、あいつやっぱり相当頭のおかしい化け物だ。リーネンもこわぁ、と小さく呟いていた。そもそも殺害方法を丁寧に語るな。

「ほらあ、俺いらないじゃん……」

 ざくざくと『魔』を倒していく男二人を見ながら、ルアードのドン引いた声が空しく響く。


   ※

 

 泥跳ねも気にせず『魔』を片付けながら森の中を進んでどれ程経っただろうか。薄暗い森の中がより一層濃く影を落とし始めたころ、今日はここまでにしようとルアードが野営の準備を始める。いつもの通り『魔』避けの結界を張り、中央に焚火を焚く。ぬかるんだ地面に直に座ると冷えるからと適当にそこらに落ちている古木を椅子代わりにしていた。

「結構進んだねぇ、これなら明日中には里に着くんじゃない?」

 いやあ俺だいぶ楽だったし魔石もこんなに! とほくほく顔でルアードは魔石を入れる袋を掲げて見せた。広げた手の平よりやや大きい皮袋は半分くらい入っているのだろうか、揺する度にじゃらじゃらと軽やかな音を立てていた。

「お前はそうだろうよ」

 流石に一日中剣を振るっていたのだから疲れたのだろう、アーネストが携帯食である干し肉を齧りながらげんなりと言う。天使はと言えばまるで疲れた様子もなく、腹が立つくらいいつも通りでいる。体力お化けめ。

 簡単な夕食、先日アーネストが獲ったうさぎ肉の残りをスープにしたものが全員に配られていた。漏れなく自分にも携帯用の木製のコップが渡されている、食べろという事だ。

「ルーシェル様これにゃんですか、いいにおい……」

 人型になり同じく手渡されたコップの中身にすんすんと鼻を鳴らすリーネンに、食事ですよと天使が穏やかに微笑みかけていた。天界最高位の天使に話しかけられぴゃっと肩を震わせるが、昨日よりかは少し警戒が薄れたのか自分の後ろに隠れたりはしなかった。

「しょくじ……口に、いれるんにゃ?」

「はい、このように」

 熱いですよ、と注意しながら食事初心者のくせに天使は食べ方をリーネンに教えていた。木のスプーンで少し掬って口に運ぶ様を見せてやり、リーネンも恐る恐るではあるが同じようにスープを食べ。ぴん、と耳を立たせて目を丸くする。そうして気に入ったのだろう、がつがつ食べ始めるのを天使と制作者であるルアードがにこにこしながら眺めている。その眼差しは幼子に向けるそれだ。

 ……自分にも渡されたコップ、否、大分強引に受け取らされたわけだが。当然食べるつもりなどなくそのままリーネンにやってしまおうと思っていたのだが、食べるよねぇと柔らかな笑顔の圧が強くて結局今回も口にせざるを得なかった。これ見よがしに溜息を吐いて小さく啜る、舌先を刺激する暖かな液体はやはり命の味がした。回復を早める為に食事をしろとの事だったが、実際どうなのかはわからない。天使が回復術を使ったのだから因果関係があやふやだ。結果として体調は戻ったのだから食べる必要などないと思うのだが、男どもは許してくれない。いちいち反駁するのも面倒になって来ていた。

 ちらりと視線の先、暖かな熱源と光源を発する焚火を囲んで男どもは穏やかに過ごしている。保存食の固い黒パンをアーネストは焚火で焙り、スープに浸して食べ始める。そんな食べ方もあるのですねと感心する天使に、あんまお行儀は良くないけどねぇとルアードが苦笑する。切り取られたかのような別世界だと思った。光と闇、交わらぬ。線引きのように明確に突き付けられる、こちらが異端である。

 ご機嫌でスープを食べていた筈のリーネンが裾を引く、何だと視線をやればどこか不安そうにこちらを見上げていた。琥珀色の大きな瞳、ぺしょりと頭に張り付く三角の耳にふ、と。緩く口元が弧を描くのがわかった。見られたくなくてくしゃくしゃとなでてやる。柔らかく温かい、なんですにゃあと言いながらもまんざらでもなさそうに目を細める少女のそれは正しく猫と言えた。ごろごろと喉を鳴らす声さえ聞こえてきそうだ。

「あ、そうそうルーシェルさん」

 突然こちらへと振り返ってきた男にあわててリーネンから手を引っ込める。

 ルアードが鞄の中からえっとねぇと言いながらごそごそと何やら取り出していた。ややあって、ほらこれ、と差し出された紙袋は確か街を旅立つときにリリーが手渡してきたものだ。弁当だと言っていて、その日のうちに中身のサンドウィッチは食べていなかっただろうか。

「ずっと出しそびれてたんだけどさ、リリーちゃんが持たせてくれた焼き菓子食べちゃお? ぜひルーシェルさんにって言われてたんだよねぇ」

 ほら、と紙袋の中からさらに可愛らしいレースに包まれた小袋が出てくる。赤いリボンで口を縛ってあって、それをほどくと中から貝殻の形をした小さなスポンジ状のものが沢山顔を覗かせる。

「わ、マドレーヌだ」

 綺麗な黄金色に焼かれたそれを見て、ルアードは歓声を上げる。

 随分可愛らしい見た目をしたそれを、はいどうぞ、と差し出されてまた受け取らざるを得なかった。食事は摂る必要がないのだから拒否したいのだが、こうしてスープまで食べてしまった以上今更な気もした。この男は諦めない、いつまでも不毛なやり取りをするくらいなら少量だけ口にした方がよさそうだ。だが、何故自分に対してあの娘はこれを自分に言付けたのだろう。

「あれ、甘いもの好きみたいだって聞いたけど、違った?」

 顔に出ていたのだろう、リーネンや他の男どもにもマドレーヌとやらを手渡しながらルアードは問うてくる。甘いものが好き、そんな事を言った覚えはない。宿にいた時だって殆ど物は食べていなかったし、口にしたと言えばパン粥を少しだけだった筈だ。何をもってそんな事を言い出すのか、と記憶を巡らせて……パンケーキのくだりか、と。ようやっと思い至る。お茶をしましょうと押しかけられ、紅茶とか言う暖かな香りのよい茶を出され、流されるままに共に食べる事を強要され竜人の見解を問われ――

 ……自分、少し流され過ぎではなかろうか。内省。

 確かにあれは、驚いたけれど。食べたけども。柔らかさと甘さというものに驚いたからなのだけども。

「美味しいよ、リリーちゃん料理上手なんだよね」

 笑顔でそのマドレーヌを食べるルアードに習い、天使もゆっくりと口にしていた。豪快に食べるアーネストとリーネン、それぞれがそれぞれ好きなように齧っていた。

 好きかどうかなんてわからない、美味いか不味いかすら自分には判断がつかない。

 それでも皆が美味しいと言うなら美味しいのだろう、ええいままよ、と半ば投げやりな気持ちで一口齧ると柔らかなそれはふわりと舌先を刺激し、優しい香りが鼻をくすぐった。咀嚼、そして嚥下。喉を滑り落ちていく固体を感じながら、リリーと食べたパンケーキとはまた違った食感と味わいに、確かに悪くはないのかもしれないと思う。血や泥が鋭利な刃物のようなものだとするなら、これは確かに触れたら消える霞のような儚さがあった。複雑だが優しい味だとも思う。

「ね?」

 美味しいでしょうとこちらを覗き込むルアードに、そうだな、とだけ返して二口目。先程よりも味に意識を集中すると、ほんのりと柑橘の香りがする。手の込んだ菓子だ。好きか嫌いか、多分、好きな味なのだろう。

「里に着いたら色々作ったげるね! 美味しいものがいっぱいあるんだよ」

 こちらの様子を何が嬉しいのかじいと見ていたルアードの弾んだ声。美味しいもの、いっぱい、隣でリーネンが目をきらきらさせている、お前も食事は必要ないのに何食欲を覚えているのだ。所詮は獣か。呆れたように残ったマドレーヌを食べてしまおうとして。

「おい、俺はいつまでも子守をするつもりはないぞ」

 不意に上がる低い声に、しん、と。皆が口を閉ざした。

 早々に一つ目のマドレーヌを食べ終わったアーネストが苛立も露わに吐き捨てたのだ。

「子守って、」

「子守だろうよ、何も知らない異世界人だ。お前が世話焼きなのは知ってるがどこまで手を貸すつもりだ」

 ルアードの非難めいた声にしかし、二つ目のマドレーヌに手を伸ばしながらアーネストは眉間にしわを寄せたまま続ける。き、と青い切れ長の目がこちらを射るのを冷ややかに見詰め返す。悪意の眼差し。

「……そもそも、お前が怪我を黙っていた上に治療を拒んだからこうやって足止めを食らったんだろう」

 元々愛想の良い方ではなかったが、鬱憤でも溜まっていたのか酷く苛ついたように。普段の寡黙さもどこへやら次から次へと言葉が投げつけられる。

「俺はお前らのことなんてどうでもいいが、足止めは食らうわ行きたくもないエルフの里に戻らなきゃならんわでいい加減腹が立っているんだ」

「おいおい、急にどうしたよ」

「急じゃない、俺はずっと考えてたんだ」

 困ったように口にするルアードだったがアーネストは止まらない。

 お前のせいだと言いながら自分を見ていたが、どうやら矛先が変わったらしい。ルアードに詰め寄る。

「いつまで世話を焼く、俺の旅は終わっていない。目的が違う、そちらの世界の事はそちらで何とかしろ。いつまでも共にいる意味が解らない」

 ずらずらと語る青年の言い分は至極当然のものだった。

 突然やってきた言葉の通じぬ異世界からの住人、異端者。底抜けのお人よしがあれこれと世話を焼き話を聞き、こちらの世界の身の振り方を丁寧に教える。竜人の事、魔石の事、その他諸々。ただでさえ面倒だろうに今度は私が狙われていると来た。アーネストには旅の目的があると言う、こちらの事情に振り回されているのだから腹を立てるのも当然だろう。しかしルアードは納得しない。

「そうは言ってもさ、『赤の神』の目撃情報ないんだから地道に探すしかないじゃん。今回の里帰りだって当分戻ってないからいい加減顔出さなきゃなって思ってた所だったし」

「言い訳がましいんだお前は……ッ」

「なんでそんな怒ってるのさ、ヨシュアさんに稽古つけてもらって喜んでたじゃん」

「それは今関係ない、俺はお前がそこまでする必要があるのかと言ってるんだ」

 なおも声を荒げるアーネストにルアードは困惑顔だった。

 やはりこの人間も天使と同じく稽古だ何だに熱意をともすのだなと明後日の感想。見た目も性格もまるで違う二人だが、意外と気が合うらしい。ではなくてだ。

「すみません、随分と甘えてしまいましたね」

 どうでもいいと手にしたマドレーヌを齧っていたのだが、二人のやり取りを見ていた天使が謝罪を始める。しかしこれにルアードは慌てたらしい。

「まってまって、ヨシュアさんが謝ることじゃないでしょ俺が好きでやってることだし……いやまあ、アーネストの不満もわかるんだけど」

 いつから不満を抱いていたのだろう、ただでさえ鋭い目つきの男に睨みつけられしどろもどろとルアードは弁明する。

「困ってる人を放ってはおけないでしょ」

「子供じゃないんだからそこまでする必要ないだろ」

「えぇー…」

 平行線。まるで子供の喧嘩である。

 何に対して怒りをぶつけてきているのかルアードにはわからないらしい、困ったようなその表情にアーネストは一層腹を立てているようだった。何故わからない、声が、態度が、そう言っているのに伝わらないという怒りがさらに上乗せされている。

 おろおろする天使を尻目に、馬鹿馬鹿しい、と。一つ息を吐いて。

「――なんだ、二人旅を再開したいだけか」

 呆れたように指摘してやればルアードは「えっ」とそれはもうこれでもかと言わんばかりに目を見開いた。ぴたりとアーネストの口が止まる、先程までの勢いはどこへやら、愕然とした表情でこちらを見る。

「……そうなの?」

「ちが……ッそんなこと言っていないだろう!?」

 珍しく慌てた様な黒髪の男、口数の少ない男が必死になって否定してくる様は見ていて心地よかった。顔を真っ赤にしている、そんなつもりで言ったわけではないのかもしれないが、結局はそういう事だろう。

「私にはそう聞こえたが?」

 なんのかんのと言葉を連ねているが、とどのつまり嫉妬ゆえの癇癪を起しているに過ぎない。

「目的があるなら一人で行動すればいい、しないのは甘えがあるからだろう?」

 つい、と人差し指でもって指摘してやる。

 いい加減にしろと憤ってはいるものの本音が言外に含まれているのだ。真意とは裏腹に表に出てくる行動のちぐはぐさ、自身でも気づいていないであろう矛盾。人の子のなんと可愛らしい事。歌うように揶揄してやれば、瞬きのような生しか持たぬ人の子はぎりぎりとこちらを睨みつけてきた。おや、恐い事。小さく微笑み返せば彼の矜持をいたく揺さぶったらしい。

「――――知るか!」

 口数の少ない、口下手だと評される男は最後に一つそう吼えると、ずかずかと結界から抜け暗い森の中へと行ってしまった。逃げたらしい、やはり図星のようだ。

 それを追いかけるでもなく、ぼけっとルアードは座り込んだまま。そうだったのか、と誰に言うでもなく。森の中へと消えていった彼の相棒の後ろ姿を眺めていた。

「それは、……嬉しいものだねぇ」

 そうしてくすぐったそうに笑う。

 嬉しそうに頬をほころばせているその眼差しは、酷く慈愛に満ちている。そっかあ、と。嚙み締めるような声色は温かみが溢れていた。

「んじゃ、俺ちょっとあいつ探してくるわ。少し話もしてみようと思う」

 そういってルアードも暗い森の中へと消えていった。

 遠ざかっていく後姿をにひらりと手を振りながら、天使は良かったと言わんばかりに緩く微笑む。

「確かに私達も随分とお世話になりましたし、そろそろ別行動するべきなのかもしれませんね」

 手にしていたマドレーヌを再び口にしながら、男はなんでもないかのように語り出す。ぱちぱちと爆ぜる焚火の炎、揺れるそれが天使の金の髪を頬を朱色に染めていた。ぬかるんだ地面、濃く香る周囲の匂い。非現実の空間。別行動ねぇ、無感動に呟いて返す。

「……貴女が魔界側から狙われているのです、お二方にこれ以上ご迷惑をおかけするわけにはいきません」

 今回は何とかなったが次はどうなるかわからない。

 自分達と共に行動する事によって標的にされる可能性だってある。

 悪魔が周囲に配慮などする筈もない、人間が巻き込まれることを天使は良しとしまい。装備も整えた、霊力も僅かながら使える、文化も多少は理解し言語も何とかなりそうだと言いたいらしい。そんな簡単な事ではないような気もするが、きっと己の苦労より人間が犠牲になりかねないことが耐えられないのだろう。

「潮時かと」

 そうでしょう? とでも言いたげに天使はこちらを見る。静かな青い瞳、柔らかくも力強い声の意味するところはこの世界の青年達と別れ自分と共に行動しようというものだ。相変わらずこちらを監視するような眼差しだ、天から離れ地に堕ちたと言っても過言でもないこの状況でよくもまあ、天使の本分とやらを遂行できるものだといっそ感心すらする。

「――貴様とも別れるべきだろうよ」

「出来ない相談ですね」

 にこやかに否定される。

 は、と嫌味のように息を吐いてやれば、マドレーヌを手にしたまま硬直するリーネンと目が合った。ぺたりと座り込んで、呆然とこちらのやり取りを見ていたらしい。その頭上には疑問符がこれでもかと並んでいるのが見て取れた。

「あの、にゃー未だによくわかってにゃいんですけど。これってどういう状況にゃんですか」

 ここはどこなのか。

 何故天使が一緒なのか。

 なんの話をしているのかさっぱりだったのだろう、不安でいっぱいだと言わんばかりの表情に、ああ、と。眩暈すら感じ。

 …………まずは情報の整理から始めた方が良いらしかった。

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