18 睡余の後の片言隻語 - 5 -

 しんと静まり返った室内、傾き始めた西日が窓から緩く差し込んでくる。直接ではないものの柔らかなオレンジ色は床の上で踊っていた。夕刻である。階下からは食事の準備をしているのだろう、かぎ慣れない匂いが漂ってきている。三食食事を必要とする人間は確かに都市なり集落なり作る必要があるのだろう。脆弱な肉体しか持たぬ以上、協力し合わなければ生きていけないらしい。

「……貴様の種族だの、竜人だの、私には興味がない事だな」

 何とも気まずくなってしまった空気の中でルーシェルは正直な感想を告げる。そもそもこの空気の悪さだって自分には何ら関係がない。ルアードが人間であろうがなかろうが、アーネストがそれを上手く説明できなかろうが、天使が馬鹿正直であろうが自分には一切関係がないのだ。何をやっているのだ馬鹿どもが、とは思ったが。

「黙ってたこと怒ってない?」

「どうでもいい」

 テーブルの上に突っ伏したまま、器用にこちらへと顔を向けたルアードの捨て犬のような声を斬り捨てる。興味がないのだから呆れこそすれ怒りなど湧くこともないのだが、それはそれで不満でもあるのかもう少し関心持ってよおと泣き言が飛んでくる。

「何か理由があったんですよね」

 成人した男の泣き言などうっとおしいだけなのに天使がすかさずフォローに入る。随分と甘やかすことだ。そおなんだよお、続く声にうんざりする。どうでもいいと言っているだろうが。

「エルフは人にも竜人にも関与しない……だから、集落から外には出ないし人前に出てきちゃいかんのだよ本来は。中立とでもいうのかな、竜人どもが喰うのは人間だけだし」

「そうなんですか?」

 ほらそうやって話を促す。さっさと会話を切り上げたいのに余計な事を。

 忌々しく天使を睨むが面の皮の厚い奴は微動だにしない。

「まずいんだってさ、エルフって。食わないから襲われないだけなのに昔それで人間と揉めた事もあるとかないとか。元々俺らって森の精霊の一種だし、もう面倒だからって人間との交流を止めたらしい」

 引きこもりってやつさ。

 やれやれとばかりにルアードは身体をようやく起こす。さらりとした金の髪、明るい緑の瞳。人間の三倍の寿命だとは言うが、年のころはアーネストそう変わらないように見える。

「そうはいっても何百年も引きこもっているわけにもいかない。年寄どもは嫌がるが、若い世代は目新しい物にも興味がある。正体を明かさないことを条件に、たまに人間の街に出る奴や冒険したりする奴が出始めたんだ」

 長らく交流がなかったので最初は勝手も解らず、街をぶらつくばかりだったが次第に人間との言語の違いもはっきりしてきた。ならばと言語通訳の魔法を使い人との接触を図る。そうやって少しずつ個々人間で交流をしているのだという。

「流石に村から出て人と紛れて暮らしてるやつはいないけどね。俺らの老化スピードは人間と違うし」

 人の百年と人でないものの百年はまるで違う。

 見た目の変化がないのはいたずらに人を怖がらせるだけなのだろう、エルフが三百、竜人が千年といったか。我々悪魔と天使は……数えるのも馬鹿らしいほど長い年月。瞬きのような命だからだろうか、人間は異物に関して酷く敏感で排他的だ。

 あの、と天使が小さく挙手をした。

「私がしているこのイヤリングもその過程で?」

 今も天使の耳を飾る赤い石。涙滴型のそれは、男が動くたびにゆらゆらと揺れていた。この世界に来た時に渡されたそれは、言語変換の効果のあるものだ。

「それは『黄の大陸』から来た行商人から買ったやつ。覚えてる? 竜人の技術で作られてる魔石の魔法道具。あいつら長命すぎて年寄と若者との言語が違いすぎるんだってよ。会話が成り立たないから高度な変換魔法編み出して会話してたたらしいんだけど、それを応用して作られてんだってさ。ただ人間にはあまり需要がなくて、まあ装飾品の一つとして土産のつもりで買ったんだ」

 綺麗でしょうとルアードはへにゃりと笑った。腑抜けた顔。

 そうして、テーブルの上を見つめながら少し考えこむかのように一つ間を置く。

「……俺も外に出ていく方のエルフでね、アーネストを見つけたのは本当に偶然。一目見て竜人の仕業だと解る村で、死にかけてたのを助けて里に連れ帰ったんだ」

「お前は放蕩息子だからな」

「不良みたいに言ってくれるじゃん」

「俺は頼んでない」

「生きてるのが不思議なくらいだったのによく言う~」

 軽口のやり取りにも聞こえるが、この話をされるのは嫌らしい。むっすりとただでさえ仏頂面なアーネストがさらに表情を硬くしていた。村を襲われ、というからには恐らく食い荒らされたのだろう。竜人が一度にどれくらいの量を摂取するのかはわからなかったが、少人数の集落ならありえるのか。

「ま、敵討ちだよね。俺はアーネストの保護者ってとこ。こいつ喋らんし生活能力皆無だし。よく解ったでしょう、俺の事すら面倒くさがって説明出来やしない」

「……よく言う、里の事を他言しないよう見張りのくせに」

「相変わらずひねくれてんなあ」

 ルアードは言いながらもへらへらと笑っている。アーネストの眉間に皴が深く刻まれていくが、お構いなしである。十五年一緒、と言うからには幼いころから面倒でも見ていたか。妙に親目線な所があるとは思っていたが、事実親代わりだったようだ。

「まあ、そんな感じで俺らは竜人を追ってるってわけ。大っぴらには言えないのもまあそういうこと」

「ほらみろ」

「お前はもうちょっと頑張れよ」

 自分の過去を始め口下手な所を咎められたからだろうか、アーネストはいつもより口数が多い。相変わらず窓の傍に突っ立ったまま、ルアードを青い瞳で睨んでいる。差し込む朱色の光が男の黒髪を淡く輪郭をぼやかしていた。いつもいつでもきちりと服を着ている男。革手くらい外せばいいものを。

「一度里に戻ろうと思うんだ、ヨシュアさんは一通り旅の支度済ませてもらったからルーシェルさんにもお願いしようと思って」

 むっすりとしているアーネストをやれやれと言ったような表情で見ていたルアードだったが、こちらへと向き直ると薄手の衣服だと旅には不向きだと言う。

 確かに現在自分が着ているのはリリーから借りたものばかりだが、元々着ていた服はあるのだ。この世界では見慣れぬものらしいがそれより何よりこれ以上借りを作りたくない。そもそもである。

「あれだけ噂になっていて外なんか出歩けるか!」

「それはまあうん、」

 困ったようにルアードは笑う。祝言、夫婦扱い、冗談ではない。天使が聞き流していればいいとでも言わんばかりの態度であるのも気に食わない。嘘も方便、その場を取り繕うための適当なウソだった筈なのにどうしてこうなった。ルアード自身もここまでの勢いで噂が広まるとは思っていなかったようだがそれにしたって他人事のように言いやがって。

「そもそも私に装備だ何だ必要ない、ナハシュがいる」

「ナハシュってその大鎌?」

 ルアードが黒い刀身を見ながら言う。

 随分と大きいねぇとしげしげと見つめるそれは、自分の身長を優に超える長さをしていた。細い柄には金色の装飾が施されている。緩く曲線を描く刃は長く薄く、確かに目を引く。長く長い時を共にした愛刀にそうと指を這わせて。

「重くないの?」

「ない。おい、もういいだろう。さっさと貴様の持っている一番強力な増幅装置を出せ」

「え、ええと、はいちょっと待ってくださいね」

 天使に向かって険のある表情で投げつければ、素直に男は何の躊躇いもなく一番大きな石のついたものを手渡してくる。華奢な細工の施された銀の台座に、コインほどの大きさをした楕円形の青く透明な石がついている腕輪だった。いや、腕輪と言うよりは手の甲を飾るものらしい、中指にはめる指輪から細い鎖が台座に繋がり、固定する為だろうやはり華奢な作りの腕輪へと続く。随分と手の込んだ装飾品である。

「……貴様の目みたいな色だな」

 透き通った空色の石。

 不快に思いつつも指輪を左の中指にはめ装着してみると、増幅装置を手にしたことによって己の霊力が僅かなりとも外へと溢れ出すのが解った。石はあくまで飾りのようだ、いや、これもうまく使えば魔法とやらが発動するのだろうか。増幅装置自体は台座の方らしい、意図して霊力を流し込んでみてそこでようやく気付いた。薄くやわい結界が張られている。恐らく宿屋全体に。誰の仕業かなど考えるまでもない、自身が宿から離れるからだろう、悪魔を閉じ込める為のごくごく簡易的なものがゆるく幕を張っていた。それともう一つ。

「……言語変換魔法か」

「あ、やっぱわかるんだ」

 ルアードが意外そうな声を上げるのでじろ、と見やる。余計な事を、イヤリングをしていない自分が、天使のいない間リリーと話せたのはそのせいか。この男がかけた魔法なのだろう。

「ヨシュアさんも薄い結界かな? 張ってったでしょ。あれルーシェルさんの為?」

「悪意のある第三者の侵入を阻む為の物と、魔石を触媒にどこまで術の展開が出来るかの実験でした。大がかりなものでなければある程度有用みたいです」

 気休め程度ではあるが、確かに効果があるであろう程度のやわい結界を張った男は、まるで何事もなかったかのようにさらりと答える。ふわふわと微笑んですらいる。どこかに増幅装置を身に着けているのだろう、触媒として持ち前の霊力で術を展開。それをきっと朝からずっと、この場から離れた先でも維持してきたのだろう。

「……白々しい。私が悪さをしないよう閉じ込めていたくせに」

「まさか。大体ご自分がどのような目に合ったかお忘れではないでしょう?」

「独善的だ」

「おや、ご一緒したかったのですか?」

「……話が通じん」

 吐き捨てるように口にするも天使の穏やかな表情は揺らぎもしない。くそ腹の立つ、いつまでもあの夜の事をあてこすりやがって。一緒に、だと? 貴様と共に行動すれば何を言われるか先程も嫌というほど思い知らされたではないか。

「ナハシュ・ザハヴがいる、あのような失態はもうない」

「ですが、」

「くどい!」

 尚も連ねる天使の声を声高に遮った。

「ですがもクソもあるか! いつまでも人の負傷を嘲りやがって、そもそも霊力さえあればあんな男など物の数じゃないんだ!」

「その霊力が使えないからの事態だったのでは……」

「貴様も同じだろうが! 何を他人事のように言っている!」

「ま、ま、ほら、ヨシュアさんもルーシェルさんの事が心配だったんだよ」

 ナハシュを手にベッドから立ち上がったからだろうか、慌てたようにルアードが声を荒げる。天使が悪魔の身を案じるなどどういった状態だ。いや、悪魔に謝罪をする天使なら今目の前にいるわけではあるが。

「心配……、心配、だったのでしょうか……?」

「バグってんじゃないか」

 相変わらず何を考えているのかよく解らない天使はきょとりと目をしばたかせている。口元に手をやり何やら考え込んでしまった。というか、なんで貴様がこちらに問いかける。

「…………貴女に死なれては困ると言う意味では、確かに心配だったのかもしれません?」

 確信の持てずにいる、実にふわふわとした物言いである。

 小首をかしげるな大の男が。

「何なんだ貴様は」

 真面目に対応するのも馬鹿らしくなって吐き捨て再びどかりと腰かけた。いらいらすると言ったらない、いちいち構うな放って置け、いっそもう喋るな黙っていろ、人の神経を逆なでしかしないクソ天使……

「ヨシュアさんてなんていうか、自分の感情がよく解ってないみたいだよねぇ」

 胸中で悪態という悪態をついていたら苦笑しながらルアードが口にした。その言葉になるほどと妙に腑に落ちる。柔和な顔立ちで笑顔を絶やすことはないがそれら全てが胡散臭く見える男は、人形の様に無味と同義であった。真実善人で、心優しく穏やかかつ絵に描いたような女神さながらのその姿はあつらえた絵のようでまるで空っぽだ。――空の上には楽園があると信じて疑わなかった。そこには恐怖も苦痛もない永遠の楽園。我ら悪魔と対極の世界の住人にはとんだ腑抜けがいるらしい。

「感情は、時に判断を見誤らせるものですから」

 へらりとやはり天使は困ったように笑った。まるで感情など必要ないのだと断罪するかのような表情だと思った。相変わらず腹の底が見えない男。

「……くだらん、もういい。私は部屋に戻る」

 人形の相手を一々してやる必要もない。

 すっと立ち上がり、手にしたままのナハシュ・ザハヴを握り直す。そうして左手の装飾品へとゆっくりと霊力を流し僅かに念じれば、自分よりも巨大な大鎌は薄く輝く闇へと姿を変形させていった。緩く立ち昇る霊力、ふうわりと広がる黒髪、ほどけたリボンのように柔らかな帯状になったそれは渦を巻く。受け入れるよう両手を僅かに広げる。自分の周囲を漂っていたそれは、やがて溶け込んでいくかのように身体の中へと入って消えていった。

 ぴくりと指先。慣れ親しんだ感覚にほうと一つ息を吐いた。

 使用したのは僅かな霊力ではあったが、この増幅装置を身に着けていれば今まで通り問題なく操作できるようだった。胸のあたりをそうとさする、違和感はない。

「え、え今のなに」

 ぽかんと。

 口を開けてこちらを見るルアードと視線が合った。

「今のすっごい綺麗だったんだけど、え、消えたけど、は?」

 状況を飲み込めないらしい。

「……貴女自身が『鞘』なんですね」

 何が起こったのか理解できていないルアードに天使が静かに呟く。

「魔王の証とはよく言ったものです、貴女の身体そのものが『鞘』であるなら次元を違えたとしても必ず貴女の手に返ってくる――いえ、ずっと、貴女の中にあったのですね」

「そういうことだ」

 肩にかかる黒髪をうっとおしく払いのける。

 相変わらず感情の読めない天使の静かな瞳がただこちらを見据えている。その表情は凪いだ海のようで、けれど緩やかに弧を描いていた笑みは消えていた。なるほどと言った観察眼。不快だと撥ねつけるにはあまりに色のない視線、何を考えているのだか。小さく舌を打つ。

「え、今のがお二人さんの言う霊術? 何これどういう原理? いやほんとルーシェルさん女神様みたいに綺麗だったんだけどあれだけの物量がその細い身体の? 中に? は? 解説、解説欲しい、俺にも使える?」

 やはり状況を理解していないルアードが目を白黒させながら勢いに任せたまま口にする。霊術と魔法は似て非なる物のようだがそれでも術を扱う者同士やはり気になるらしい。

 西日が照らす影が濃くなる、アーネストは黙ったままだが僅かに目を見開いてこちらを見ていた。……見世物ではない。

「魔王の血に呼応するのでしょう。亜空間に物質を収納するのとは違うようですので、たぶん彼女か、彼女の血縁者にしか出来ないかと」

「血? 血が鞘となる? 物質の分解と再構築はどうするのさ」

「あるいは亜空間を生成……霊力の使用もごく僅かのようですし、確かに気になりますね。こちらの世界には似たようなものはないのですか?」

「ないよ、いやあるのかな、竜人の馬鹿みたいな魔力と阿呆みたいな強力な魔法なら?」

「物質の分解はまだしも、それを再構築するとなると――」

「質量の変異は? 粒子と体積の問題が――」

 術を使う男二人が何やら術の構築式について論議をし始める。ルアードの問いにも丁寧に答える天使はきっと世間一般では善人と形容されるのだろう。それは多分、間違いない。だが実はどうだ、自分の感情すら把握できていない愚図だ。打算なく見返りを求めず須らく親切で心を砕くのも恐らく神の教えとやらの模倣なのだろう。反吐が出るほどの善性であるくせにそこに本心はない。裏がある方がまだ人間味があろうというもの。

「ルーシェル、どういった術式なのか、」

 穏やかな声、表情。そのくせ向けられる色のないガラスのような青い瞳。

 美しい天使、永遠の楽園の住人。

「答えるわけないだろう」

 吐き捨てて。

「これは貰っておく」

 ひら、と。青い石のついた増幅装置を装着した左手を振って、わざわざ解説をしてやるだけの義理もないのでさっさと退室した。

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