12 瑣末な自戒と与太話

 空は青く澄んでいて、巨木の葉が風に揺られて騒めく音が耳に軽い。

 太陽は多少移動し影の形は変わるものの自分達がいる場所まではまだ陽光が届かない。きゃあー、と。公園内ではしゃぐ幼児の笑う声が飽和したかのように光の世界で響いていた。異世界の街の片隅、中央に設置されている噴水の水飛沫が光を反射してきらきらと輝いている。足元には小さな鳥も数羽くつろいでいた、魔界とはまるで違う光に満ちた世界。その中で、ただでさえ己の知る常識とはかけ離れた世界で、これまた常識からかけ離れた男とどういうわけだか同じベンチに腰掛け対峙しているのである。

 しん、と互いの間に横たわる沈黙。

 神妙な面持ちの天使と一瞬何を言われたのか理解が追い付かない己と。

 謝罪、だと?

「……聞き間違えか?」

「何がですか」

「いや……いや? ちょっとまて」

 聞き間違いではないらしい。謝罪、謝罪? 天使が? 悪魔に? 疑問符が脳内を埋め尽くす。私の認識が間違っていなければ謝罪とは罪や過ちを詫びる事だった筈だが。は? 謝罪?

 謝罪という言葉がゲシュタルト崩壊を起こしそうだ、目の前にいるこの男は一体何を言っているのだろう。謝罪がしたいのだとこの男は言い切った。天使から悪魔にするものなのかというのは一旦置いておこう。

「……何に対して」

「え?」

 きょとんとするなきょとんと。

 何故貴様がそんなびっくりしたような表情をするんだ。

「いえですから、私は貴女が悪魔であるのだから人を害しているのではと決めつけて」

「それは当然の判断だろう」

「実際には貴女が負傷していたのに」

「油断しただけだ、怪我について強調するな」

「ですが事実でしょう」

「くどい!」

 声を荒げるとばさばさっと足元で地面をつついていた鳥達が飛び立った。

 近くを通りかかった人間も驚いたかのようにこちらを見て、何事もなかったかのように通り過ぎていった。宿屋のように狭い空間ではないがある程度人の目はある、小さく舌打ちをして声をひそめた。

「……悪魔は人を誘惑し堕落させるものだろう、天使である貴様が危惧するのは当然ではないのか」

 私がそれを行ったか行わなかったかはこの際どうでもいいのだ、我々はそういうものであるし不快ではあるが天使とはそういう行動をするものだ。馬鹿の一つ覚えの様に人を護る事、星の運行を司り世界の安寧を守るものだろう。何も男の行動に問題があったわけではない。当たり前の事を当たり前に遂行したというのに何がどうして謝罪という流れになるのだ。

 馬鹿馬鹿しい。

 そういった思いでもって告げるのだが。

 目の前の男は納得いかない表情をしている。なんでだ。

「事実と違う事を容認できません」

 頭の固い天使は持論を曲げない。

 こちらもこちらでこいつの湾曲した思考を頑なに否定する必要もないのだが、言及する必要のない事案を男がこうも固執していても気色悪いだけだ。慈悲か、慈愛か。不当に憐れまれるのはまっぴらだ。

「悪魔に真実を求めるか」

「ですが貴女は、」

 真っすぐにこちらを射る青い瞳。

 真剣な表情で男はこちらから目を逸らさない。

 ああ、これはこちらの意見など聞かない表情だな、と。酷く短い時間を共にしただけだと言うのに理解してしまった。非常に不本意な事だ。善と判断したことをただ遂行する天使らしいと言えばらしいが……清く正しい生き物。吐き気のするほどの清麗。どこまでも相容れぬ。

「申し訳ありませんでした」

 まだ何か言うかと構えていたこちらの耳に届く天使の涼やかな声、に。絶句した。あまりにもすんなりと口にするものだから反応が遅れる。

 頑固な事よと諦めの境地であったのが良くなかったのか、いやしかし天使が、しかもただの天使ではない。天使どもの王である。神に最も近いとされる存在が、最も神から遠い存在である自分に頭を垂れているのである。謝罪など。謝罪、謝罪とは?

 随分と頭が軽いものだと、揶揄してやればいいものを口からはついぞ出てこなかった。

 それほど衝撃を受けたとでもいうのか。あの天使が。鼻持ちならない奴らが本当にしやがった。汚濁として毛嫌いする悪魔に謝罪をするなど前代未聞もいい所だろうにこの男は余程の阿呆なのだろうか。

「貴様、天使が悪魔に謝るなど、」

 呆然とこぼれ落ちた言葉に男はゆっくりと顔を上げた。そこにあったのは許しを乞うている眼差しではない、そんな下卑た感情ではない。自身が犯したと信じる罪と相対している覚悟の表情だった。

「いいのです、今は、ただのヨシュアですから」

 そう天使は小さく口にして、ふふ、と自虐的に笑った。

 そういう話をしているわけではないのに、混乱の極致とでもいうべきこの状態ではそういえばルアード達にもそう名乗っていたなと明後日の方向に情報を叩き出した。

「…………その、ヨシュアと言うのは何なんだ」

 とてつもなく今更な事を問うたという自覚はあるが、しかし天使は嫌な顔一つせずああそれは、と。言葉を重ねた。ゆったりとした動きで自身の胸の前に手を添える、それは、いつかの自己紹介の時と同じ仕草だ。

「メタトロンとは称号ですので、天界から離れ、力も使えない以上その名を語ることは出来ません。ですので……私の、かつての名を」

「……真面目な事で」

 厭味ったらしく言ってやるのが精一杯だった。

 天界の制度など知った事ではなかったが、名に聞く奴らの名がいつも同じようなものばかりだったのはそういう事だったのかと理解した。生来の名ではなく称号を名乗るのは個を捨てているようで実に天使らしい。

「ヨシュアと、呼べと」

「いつまでも貴様呼びではいささか味気ないかと」

 協力者なのですから。

 そう言ってふわりと天使は笑った。

「私は貴様を殺すつもりでいるのだが?」

 慣れあう気などない。あまりにも場違いな笑みを浮かべるのでそうはっきりと口にするのだが、天使改めヨシュアとやらはそれは当然ですとこちらの言葉を肯定する。

「あなたは同胞殺しであり討つべき対象であることは変わりありません。ですが、そう、もう少し。貴女という方を知ってからでも遅くはないのかもしれないと思った次第です」

 未来は変わらない。

 関係も変わらない。

 殺害対象であることは変わらないと告げた上で、その相手を知ろうという。こちらからすれば正気の沙汰ではないのだが、男は事も無げに言い切った。天使どもの王は随分とぶっ飛んだ思考をしているらしい。私を知るだと? 知ってどうするというのだ。そういったことが顔にでも出ていたのだろう、こちらも不審な表情を隠しもしない。

「それにですね、相手を知るという事は思考の癖、動き、考え方、好きなもの、苦手なもの、そういった情報を手にできるという事ですし」

 ふわふわと微笑みながら、はたから見たら可愛らしい提案をしているかのような仕草でもって。男が口にした言葉は流石に聞き流すには少々無理があった。まて、いま情報と言ったな?

「敵の素性を知ればやりやすくありませんか?」

 殺り易くありませんか、と。脳内は耳に入ってきた言語をごく自然に変換した。

 天使のとろけるような笑顔でなに、なんと言った?

 邪心など欠片もないような穏やかで、それこそ万物を救う御伽噺の女神のような美しい表情で。口にするのはなかなかに戦闘特化とでもいうか。明確な殺意を向けられているわけではないが、獲物を前に決して逃さぬという気概があるとでも言うのか。

「………………天使とは、そういうものか?」

 流石その半生以上を術や剣技の研鑽に費やす脳筋の考え方である。

 相対する敵を必ず仕留めると言う執念が尋常ではない。

「そういうものですよ」

 戦う事しか知らぬ、自身の名を捨てた天使どもの王は疑う事もなく肯定する。悪を討ち滅ぼす為には手段を択ばぬという事らしい。それはそれは、と口からこぼれるもののそれ以上は続かなかった。ふわふわとした笑み、女顔の優男。害意など微塵もないという風体でありながらその実冷静にこちらを窺っているらしい。それは、お前を殺す事など造作もないのだと言外に滲ませているのと同義だ。体格差、純粋な身体能力で比べれば体格に恵まれた天使の方が圧倒的に分がある。

 懐に忍ばせたままになっていた小刀にそっと触れる、物は確かに小さいものだが今、ここで。恐らく丸腰であろう天使を襲撃したとしていくらか勝機はあるだろうか。ナハシュがあれば、いや、この男であれば。何か別の手を考えているのかもしれない。先ほど宿屋で見たエノク文字、防御に特化していたと思うが正確な所は解りかねる。

「…………、」

 手の内が解らないのに争うのは得策ではない。

 本当に武器がないのか、霊術の発動条件、規模、こちらに開示されたように見えて伏せられているものもあるのかもしれない。不確定要素が多い中で下手に手を出すのは愚策である。幸い天使もこちらと慣れあう気はないようなので、不本意ではあるが協定を組むのはそう悪い判断ではないようだ。

 相手を知る、か。人間どもの言葉にもあったな。

 敵情を知り、味方の事情も把握しておけば負ける事はないといった内容だった筈だ。

 天界側の状況は解らないが、天使どもの王を見捨てるとも思えないので何かしらの接触はありそうではある。 魔界側は……変わらないだろうな。王の座を巡って争いは起こっていそうではあるが。

 まあ、天使なぞ嫌いなんだがな。

 胸中で吐き捨てるように呟いて天使から視線を外した。

 天使というだけでも許せぬ存在だと言うのに言うに事欠いて男である。綺麗な見た目をした男なんだか女なんだかよく解らない外見はしているが、手はそれなりに骨ばっているし背は頭一つ分は違うだろうか。実に腹立たしい。

 このまま立ち去ってもよかったが、それではまるで逃げ出したかのようで憚られた。

 なんと続けるべきか見当もつかず、しん、と。幾度目かの沈黙が訪れる。

 風が出てきたのだろう、影を作る巨木がざわざわと先程よりも強く音を立て耳に届く。また少し傾いた陽の光、伸び始めた影とほんの少しだけ弱まる陽光。

 ゆったりとただ過ぎていく時間は馴染みのないもので、妙な居心地の悪さがあった。何故ここにいるのか、そもそも天使が私を外へ誘い出したからに他ならない。謝罪と共に提示されたのは天使はやはりただの脳筋であったという事実を補強する言動に過ぎない。

 謝罪だ何だとあれこれ語っていたが、そんなものはただの感情論でしかない。口先だけではそう簡単に思い込みが無くなる事などないし、こちらも親交を深めるつもりなど最初からない。お綺麗な天使様のお気持ちなどどうでもいい、宿屋でしていたのは魔石や増幅装置の事についてだっただろうに。真面目にあれこれと考察する男の話を聞いてみれば、現状の打破が狙えるのではと思ったから付いてきたのだ。

 この世界の魔法とやらには興味があった。

 魔石の事、魔具師の事、増幅装置のこと。そもこの世界の構成について。魔法発動の為の過程と体系、魔具師とやらの魔法発動までの展開の仕方と威力など知りたい事は山ほどあった。天使は実験していたと言っていた、霊力の量と霊術の威力の比例値についてだろうか。装置との相性にもちらと言及していた、魔石の種類を確認すべきだろうか。そういえばルアードの言っていた石術とやらはどこに属するものなのだろうか、確か精霊がどうのと言っていたが。使用者が多ければ亜種は生まれるものだがそういった類だろうか。

 媒介を要し制限は多いらしいがどうもバリエーションは豊かなように見える。天使が増幅装置に霊力を流し込み、装置を媒介にすることによってエノク文字を発現したという事は、二つは近しい力なのかもしれない。恐らく男もそれに気付いたからこそ増幅装置やらなんやらを買い込んで客室に籠っていたのだろう――

「――私が意識を飛ばしている間に、随分と楽しんでいたようじゃないか」

 嫌味のようなことを口にすれば、きょとんと目を瞬かせて男がこちらを見た。流石に少し唐突だっただろうかとはふと思ったが、何を言っているのかわからないとばかりの態度には少々苛立った。

「私が眠っているのをいいことに街中で遊んでいたんだろう」

「そんな、違います」

 とんでもないと男は両手を横に振って否定した。

 じゃああの増幅装置やこのコートはどこで入手したのだと問い詰めれば、返ってくるのはええ……といった困惑顔である。何故こちらが食い下がるのか不可解なようだった。

「……行商人とでもいうのですか、宿に泊まっていた客の一人がロビーで露店を始めて……それで、見ていたら色々と気になる物があって」

 ルアードさんと見ていたのですと天使は続けた。

「魔具師専用の武器類は魔具師以外がそう簡単に購入できないそうなんですが、増幅装置なら特に制限がないらしく。色々と見繕ってみたのです」

 増幅装置は宝飾品の形状のものが多いらしく、腕輪や指輪、ピアスや髪飾りと意外と種類は豊富らしい。細かな文様が施されているものが一般的で、細工が細かい程威力は増大するものらしい。

「一人で買えたのか坊ちゃん」

「おや、購入体験未経験者さまは如何なさいましたか」

 嫌味にすかさず嫌味が返ってくる。

 食えねぇ奴、とけっと短く息を吐きだせば、何が面白いのか天使がくすくすと笑いだした。じろりと睨みつけるが男は怯んだ様子もない。

「何が可笑しい」

「いえ……つくづく、貴女とこうやって言葉を交わしている不思議を嚙み締めていたのですよ」

 男の表情は相変わらず穏やかなままで、ふ、と。視線を噴水へとやった。つられてこちらも目をやれば、傾いた太陽は水の色を通り過ぎ柔らかく影を落とし始めていた。周囲はいつの間にかほんのりと暗くなってきて、子供の姿もなくなっている。巨木の作る影と宵闇との境界線はまだ明確にあるがもうじき夜が来る、帰路につく人々の流れを眺めながら天使は目を細めていた。

「こうして天界ではない異世界で、魔王と肩を並べていることを先月の私に言ったとしても信じなかっただろうなと思って」

「は、違いない」

 同意見だと、私も何を馬鹿な事をと信じなかっただろう。何が嬉しくて天敵と行動を共にしなければならないと言うのか、現在の自分に対して気でも触れたかと罵倒していたに違いない。

「さて、そろそろ戻りましょうか」

 暗くなってきましたと天使が口にするのを、私に指示するなと言いかけて。

「おい君、君なんだったかちょっとそこの!」

 突然ずかずかと硬い服装の黒髪の男が近づいてきた。なんだと思い見れば朝訪ねてきた衛兵だった。マディム、だったか。別れてからさほど時間はたっていない筈であるのに顔色が悪い、目の下の隈が濃くなっているような気さえする。

 何だ急に、と思ったのはこちらだけだった。さあっと横に座っている男の顔色が変わる。

「ヨシュア様ですマディム様」

「そうヨシュアだ、君あれだろう闘技場で『十二人殺しの女神』とか呼ばれている」

「殺していませんマディム様、『十二人抜きの女神』の間違いですマディム様」

 お付の監査官が慣れた様子で淡々と訂正を入れる。

 というか、貴様いつの間にそんな愉快なあざなをつけられていたんだ。

「先日の話はお断りした筈です」

 噴き出したこちらを一瞥すると天使はベンチから腰を上げきっぱりと告げた。やや猫背のマディムと比べすっと背筋の伸びた天使との身長差はそこそこのものになる。自然と見下ろす形になった天使が明瞭に、明確に、寸分の隙もなくきっぱりと拒否をするのだが。

「だが君はそれだけの腕があるんだ、是非竜人討伐隊に入隊してくれないか」

 人間の衛兵は全く怯む様子もこたえた様子も諦めた様子もなくぐいぐいくる。

「ですからそれは出来ませんと昨日も申し上げました」

「では討伐隊の指導を!」

「無理です!」

「報酬は弾むから!」

「そういう問題ではありません!」

 珍しく声を荒げて、天使は半泣きのような悲鳴を上げる。

 恐らく先日の闘技場での件は結構な噂になっているのだろう。衛兵側は圧倒的な力を持つ竜人の弱点は知っているようだが、優秀な人材がいなければ意味がない。そういう意味では腕の立つ人間を積極的に雇いたいのは理にかなっているが。残念ながらそいつは人間ではないのだ。

「えっなになにどうしたの」

 助ける気もなく入隊しろ、出来ません、という二人の応酬を興味なく眺めていたら、どこぞで買い出しにでも行っていたのだろう。紙袋を小脇に抱えたルアードが駆け寄ってきた。その後ろを別に慌てるでもなくゆっくりと歩いてくる黒髪の男もいる、アーネストは相変わらず他者にペースを崩されないでいた。

「いや、あの男が入隊やら指導やらしてくれだと」

 私としてはあいつと離れられるのなら大歓迎なんだがな。

 そう呆れ混じりに口にするが、ルアードはいやいやいや、と。全身を使ってダメだとなかなか斬新な表現で主張していた。

「そういうわけにはいかないでしょ、あーあー昨日も宿屋に来てたんだよ。スカウトってやつ?」

 人間じゃないんだからなんて言えないでしょう。

 最後の方はこっそりと口にする。腕利きは王都で兵士として採用されるといっていたことを思い出した。天使がこの世界で竜人の討伐部隊へ抜擢、である。輝かしい階級の天使が今や剣の腕しかない凡人だ、人の世界で大躍進などなかなか愉快な事ではないか。

「……まて、昨日も?」

「そうどっかで、というか闘技場大盛り上がりだったからね。まあ耳に入るだろうねぇ」

「昨日も来ておいて、名前も憶えていない上同じ話を繰り返してると?」

「そうなんだよねぇ……」

 もしかして今朝の一件も、同じ部屋の中にいたとしても黙っていれば勧誘されないとでも思っていたか? だから妙に口数が少なかったのか?

 マディムから一歩離れてすん、とした表情で控えている補佐官を見やる。

「お前の上司は大丈夫なのか」

「マディム様はお忙しい方ですので……」

 補佐官のマオは否定しない。

 その間も衛兵の男と金髪の男の言い争いは続く、いや一方的に天使が入隊を求められ何やら言い続けられているだけなのだが。なかなかに目立つ。何事かと人が集まり始める、その中には天使を指さしてこの前の十二人抜きじゃないかという声も混じりだした。

 マディムと天使との応酬に終わりが見えない事に焦りを感じたか、騒ぎが大きくなるのはまずいとでも思ったのか。しゃあないよなぁ、と。ルアードが小さく呟いたのが聞こえた。そうしてよし、と続いたかと思ったら。

「すまない……実は彼女とヨシュアさんは村に戻って祝言を挙げる予定なんだ」

「はあ!?」

 突然の暴言にここ一番の大声が出た。

 マディムの猛攻がそこでぴたりと止まる、明らかにほっとした表情をするな天使。

「祝言……?」

「そう、だからずっと断り続けてるんですよ」

 小首をかしげて復唱するマディムにルアードは天使の代わりに代弁する。

 ルアードのちらとこちらを見る視線が、任せておいてよと語っているが冗談ではない。方便なのだと解らないでもなかったがしかし選んだ話題が話題である。言うに事欠いて祝言だと!? 誰と誰が!?

「闘技場に居たのも祝言の金を稼ぐ為だったんだ」

「貴様何を勝手なことを、」

「村は貧しくて傭兵なんで雇えない、だからヨシュアさんはこんなに腕を磨いて村を守ってくれていて」

「おい聞いているのか!?」

「ここに留め置かれたら村が危険な目に遭う」

 それでは村の住人達に顔向けできない、困るんだ、と。こちらの言動を完全に無視して、よくもまあここまで口が回るものだと言わんばかりにルアードはぺらぺらと語る。しかも臨場感を込めてただのホラ話をまるで真実であると錯覚させるに十分な演技でもって。

「では増幅装置を大量に買い込んでいたのは」

「ああ、あれ綺麗でしょう? 結婚指輪や式で身に着ける装身具用としてですよ」

「――未登録の魔具師ではないと? 転売の可能性も考えていたのだが」

「ええっ疑われてたんですか!」

 大仰に驚いて見せるルアードの演技は白熱していく。完全に蚊帳の外に追いやられた我々を置いて、話をどこまで転がしていくんだ。口を挟む隙もない。

 あっと今更やらかしたことに気付いたらしい天使がしまったという表情をする。そりゃあそうだ、魔具師は試験制というからには免状の類が必要なのだろうに、魔具師でもない人間が魔具師専用の強力な増幅装置を買い漁れば不審に思われても仕方がない。通報でもされたのだろう調べているうちに不審者が天使だと辿り着き、どうせならと入隊させる方に舵を切ったか。

「そんな……俺らの村は貧しくて、魔具師なんて大金のかかる職業になんてなれませんよ。ただでさえ俺ら腕利きが集まって『魔』を討伐しながら来たっていうのに」

「その割には随分闘技場で随分暴れたらしいが」

「えっそれはその、思った以上にヨシュアさんが強かったっていう事で……」

 村は田舎なので標準が分かんなかったんですよ、ルアードは多少口ごもりながらも説明をする。

「ほらこいつが腕利きなのも宿の常連同士知ってますし!」

「あ?」

 全く会話に参加していなかったどころか噴水の淵に腰掛けていたアーネストが突然話を振られ、うるさいと言わんばかりにこちらを見る。

「頬に傷のある剣士も時折話を聞くな、君の事か?」

「知らん」

 相変わらず人の名前は覚えないらしい。

 すげなく返すアーネストは、特に興味も持たずまだかとさえ言っている。

「ねッルーシェルさんも早く村に帰ってドレス着たいよね!」

「だから! 誰があんなやつと祝言を挙げると言った!」

「全力で否定されているが?」

「照れ隠しですよ、彼女全然素直じゃどおあ!?」

 いい加減にしろと張り飛ばす、手を上げた私に驚いたらしい天使にやめなさいと腕を掴まれたので誰のせいだと思っているんだ! と返す手の平で天使にも平手を食らわせてやった。ばちん、と結構な音、全身全霊で叩き込んだ甲斐があろうというもの。

「な、なにを、」

「そもそも貴様のせいだろうが!」

 目を白黒させている男に怒鳴りつけるのだが、何を言われているのかさっぱりらしい男はこちらの剣幕と頬の痛みに困惑しているようだった。ああ、ああ、平手など初めてかこの野郎。そうだよなあお強い天使様は反撃など受けた事などないのだろうなあ!

「それなら……仕方がない。非常に、非常に残念だが」

 苛立ちが最高潮の中、気が抜ける程淡々とした言葉を投げかけられる。

 何がそれならなのかさっぱりなのだがマディムは残念、という個所を強調して天使の勧誘を諦めたらしい。今のやり取りを見て何故祝言が虚実だと解らない、何が信じるに値する所だったのだ。

「お祝いを申し上げる」

 マディムの言葉と共にぱち、ぱち、と拍手が聞こえ始める。お似合いだな、だの、美男美女カップルだとか、式に参加したいだとか。囁かれる言葉たち、こちらを見る野次馬どもの眼差しが微笑ましいものを見つめるそれになっていてただでさえ堪えていた怒りが爆発した。

「貴様らいい加減にしろ!」

 怒号は空を駆ける。

 

   ※


「貴様なんてことをしてくれたんだ!」

 散れ! と周囲を解散させすっかり日の落ちた公園で、そもそもの元凶であるルアードの胸倉をつかんで揺さぶった。散り際に皆が口々にいいものを見ただのなんだの言っていたのがまた腹立たしい。

「いやあ、だってあの人諦めなさそうだったしこれなら村に帰る口実になるかなって」

 実際諦めてくれたでしょ? 荒療治も必要だよ、と。

 全く悪びれないどころか、わー美人さんと近いねぇとがくがく首を振りながら男は笑っている。ので、放り投げた。イライラする、腹立たしい。何が、天使と悪魔が協力すること自体異常事態だと言うのに何が祝言だ、たとえ与太話だとしても想像もしたくない。

「私はこいつを置いて行ってもいいんだ」

「だからそういうわけにはいかないでしょうって、異世界の力は怖いよ」

「ルアードさんの言う通りです。それに共に元の世界に戻る事が目的なのですから離れるのは得策とは思えません」

 真面目な顔をして語るがその頬は平手のおかげで真っ赤になっていて間抜けなことこの上ない。それでもまだ気は収まらない、ぎりぎりと奥歯を嚙み締める、そもそも天使は気にしないのか。貴様らが汚濁として毛嫌いする悪魔と夫婦になるのだと言われているのだぞ。そこの所解っているのか。

「でもまあ、あれだよね。いろんな意味で目をつけられた今の状態でこのまま進むのはちょっとリスクあるかなあ……」

 がりがりと頭を掻きむしりながら、ルアードは一つ大きく息をついた。

「とりあえず、じっちゃんの所に戻るかねぇ」

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