10 胡乱の沙汰と深遠の陽炎

 ルアードが用意した簡素な椅子に腰かけ、ふう、と。目の下にややうすらと隈のある男がこちらを見る。衛兵とは街へと入ってきた時にいた甲冑を着込んだ者ばかりだと思っていたが、どうやら情報収集などを主に扱う人間もいるらしかった。街を守るという意味ではどちらも必要なのだろう。

 付き人はマオという補佐官だという。男の側に立ち、メモでも取るのか何やらバインダーのようなものを手にしていた。

「単刀直入に聞く。あの倉庫群を破壊したのは君か?」

 抑揚なく男は問いかけてくる。

 ナハシュ・ザハヴで吹き飛ばした部屋の事を言っているのだろう。捕らえられ運び込まれたのだから外観などわからないままだ、倉庫群、というからには似たような部屋がいくつかあったのだろう。ああ、だから。部屋の外から悲鳴が聞こえたのか。

「……この街では正当防衛も認められないのか?」

 はっと鼻で笑う。

「街を歩いていたら背後から襲われた、気が付いたらあの部屋で縛られていて売るだの何だの言っていたので抵抗した、それだけだ」

「それはどんな相手だったかわかるか?」

 こちらの挑発とも取れる言葉に眉一つ動かさず畳みかけられる。真剣なその表情に答えない理由も、はぐらかすだけの理由もないので素直に答える事にする。それは、あの時解らなかった相手の正体がもしかしたらわかるかもしれないとも思ったからでもある。

「……裾の長い、フード付きのコートを着た二人組の男だ。一人は大柄で浅黒い肌をしていて、もう一人は小柄でフードを被って表情は見えなかったが、」

「見えなかったが?」

「金に、輝く目をしていた。手の爪、歯、異様に鋭い」

 ぴたりと。

 それまでさらさらとペンを走らせていたマオの手が止まる。傍で聞いていたルアードとアーネストの空気がぴしりと強張ったのが解った。マディムも口を噤む。何度か口を開いて、閉じてを繰り返したのち、

「それは、本当に?」

 虚言を許さぬ圧でもって問いかけられる。

「偽る必要はないと思うが」

 むっとして言い返せば、そう、そうか、と。

 口の中で嚙み締めるように男は呟いた。

「確かに、目が光っていたのだな?」

「しつこい。そうだと言っている」

「そいつは竜人だ」

 断言。

 男の眼光鋭くこちらを見る、竜人、御伽噺の中の生物だと聞いている。それが実在していると大の男が言うのはいささか荒唐無稽だがやはりな、という気持ちが大半であった。竜人は滅んだと言っていたが、呪いとしての魔は発現し続けている。明らかに人の手ではないと解る遺体もあると言う。愉快犯、模倣犯、可能性は零とは言えないかもしれないが、それでも、あの夜自分が見たのは確かに『人間ではなかった』。

「奴らは人しか食わない、輝く目は獲物を逃さぬ為だ。爪も、牙も、人を食う事に特化した能力だ」

 淡々と告げる男の表情は酷く硬い。

「……君が捕らえられていたという、吹き飛ばした部屋の近くにやはり捕らえられた人間が何人かいた。みな、年若い女と子供ばかりだ。数にして六人。ごはんたち、と。呼ばれていたと言っていた」

 飯は、と。

 フードの男が口にしていたのを思い出した。

 飯、とは。捕らえた人間の事だったのか?

「俺達は街の安全を守り、それとは別に竜人の生き残りについて探っている。君が見たという男二人、時折他国でも報告が上がる二人組だ。人身売買と殺人、死体損壊、派手に動き回るくせになかなか捕まえられない」

 ふうと。男は息をついた。

 その場にいた全員が固唾を飲んで男の言葉を聞いていた。

「捕えて、どうする」

 こちらの問いかけ。

「脅威は排除すべきだ」

 男は事も無げに一言だけ返す。

「殺せるのか?」

「奴らは無敵ではない、核が存在しそこを破壊すれば霧散する」

 まあ、それが簡単な事ではないんだが。

 マディムがはは、と全く感情の籠らない声で笑った。声色だけの笑い声、表情はぴくりとも変わらない。誰も何も言わない。

「……随分と巨大な武器だな」

 変わらぬ表情のまま側に立てかけられたままのナハシュ・ザハヴをちらりと見る。

「見た事のないものだが、君も旅人か」

「……そんなものだ」

 そうか。

 男はそれ以上追及しない。

「それと、これは余談なんだが」

 マオ、小さく補佐官の名を呼ぶと女は鞄から何やら取り出した。

 金色の装飾が施された、腕輪というにはやや大きな輪。酷く焼け焦げているようだがどこかで見た事あるな、と思いを巡らせているとマディムはずいとこちらにそれを差し出してきた。

「これはあの辺りを調べたら出てきたものだ、魔石の増幅装置の一部だがご覧の通り焼けている」

 だからなんだ、眼差しで先を促す。

「これは闘技場で使われていたランプの台の一部だ、盗まれたものらしい。明かりとして使用している魔石の効力を上げる為に使われているものだが、過負荷による発熱はあるが焼け焦げたものは見た事がない。それほどの魔力を帯びたという事なんだが……」

 一拍置いて。

「心当たりは?」

 じっと。こちらを睨むかのように射る。

「……さあな」

 魔力ではない、己が使ったのは霊力である。

 なおかつ自身の出自や現在の状況を説明するのはいささか骨が折れる。信じるかどうかという問題もあり、ここで一から解説してやることもないだろう。そうやって考えると、ルアード達の理解の速さはつくづくありがたかった。

 魔石の増幅装置、といったか。

 あの夜、何か手に触れたと思ったのはこれだったのかもしれないな。そんなことをふと考える、マディムはこちらをじっと見つめていたがやはり何を言うでもなく、こちらの返答にそうか、と口にしたきり黙り込み。

「……有益な情報感謝する。君のその莫大な力についてはこの度は不問にしよう」

 すっくと立ちあがった。

「話を聞く限り魔具師でもなければ竜人でもなさそうだ」

「魔具師……?」

 聞き慣れぬ単語である。

 こうしたふとした瞬間、理の違う世界に来たのだなとつくづく痛感する。

「そこの旅人にでも聞いてみるんだな、俺は忙しい」

 マディムは相変わらず変わらぬ仮面のままのような顔で口にする。きっと何か、薄々気づいているのだろうが。忙しいと口にした男の口調は心底厄介そうで追及はされなかった。すたすたとそのまま部屋を出ようと扉へと歩を進める。その後ろをマオが音もなく静かについて行く。

「人身販売のルートを確保、ああ、竜人を殺せるだけの人員の確保も必要だな……あいつら魔法が使えるから身を潜めるのは人間の比じゃないんだ……」

「マディム様、先日の競売の人名をリストアップしましょう」

「ああ潜入捜査も必要か……」

 何やらぶつぶつ言いながら、気が済んだらしい二人は部屋を後にしていった。


   ※


 ばたん、と閉まった扉。

 足早に足音が遠ざかっていくのを室内にいた者はただじっと聞いていた。思い出したようにアーネストもまた部屋を後にする。さら、と長い黒髪が揺れるのをぼんやりと見送った。相変わらず表情も硬く言葉も少ない男だ。

 ――あの夜自分を襲ったのは竜人だとマディムは断言していた。

 竜人、千年も前に人に滅ぼされたという種族。

 それでも現在も混血の女王は存在し、指名手配されている竜人が存在し、『魔』は生まれその副産物が人々の生活に深く根付いている。核の破壊という殺害方法まで確立しているという事は遭遇率はそう低くないのかもしれなかった。残党という認識なのだろうか、そのくせ、御伽噺として語り継がれている。妙な世界だ。

「なんか嵐のような人だったねぇ」

 アーネストの後を追うでもなくルアードはへらへらと笑っていた。

 室内は時間帯に寄るのか前回眠っていた時よりは明るかった。影がないわけではないが、あの時ほど薄暗くもない。天使が窓の傍にそうっと立っていた。窓から入る風に揺れる金糸のような金髪が嫌味なようで腹立たしい。……フードの男の瞳も、金色だった。けれどあれはどちらかと言えば獣のような色をしていたように思う。捕食者のそれだ。……本来ならば、霊力があれば。あの程度の輩など相手にもならない筈だった。霊力が使えない現在純粋な力比べでは敵わない、それは、再びあのような夜が訪れる可能性を仄めかしていた。

 あの夜の様に、思い出してぞくりと。背筋に冷たいものが走る。

 ナハシュはある。どういう理屈かわからないが呼ぶ事のできたそれ。手に馴染んだそれがあるのだから少しは反撃できるだろうが、それでも完全とは言えなかった。対抗手段は多いに越したことはない。先程の、あの衛兵は魔具師、と言っていたか。

「魔具師というのは何だ」

 先程マディムが言い残していった、聞き慣れぬ職業らしきものを問う。

「ええっと、魔石を加工して作られた魔法道具を専門に扱う攻撃職、っていうのかな」

 少し考えてルアードは答える。

「人間は魔力がないから、魔石を加工して便利な道具を作る加工師がいるんだけど。その道具を作れるのが黄の大陸に住んでる、竜人と混ざり合ったという人達だけで……」

 竜人の技術なんだよとルアードは説明する。

 ……また、竜人の名が出る。

 思っていた以上にこの世界は竜人という存在が根付いているようだ。

「混血がいるのは青の大陸とやらではないのか」

「あそこは王族しか混血はいないよ、だから血が濃いとか言われてて……黄の大陸は雨が多い土地でねぇ、天候のせいで自給率が低くて加工業に特化してるんだ。細工なんかが主力製品なんだけど……どっかで竜人と混じり合ったらしく竜人の技術と言われていた魔石の加工が可能になったっていう言い伝えがあるんだよ」

 これもまた伝承である。

「武器なんかも作るしなんなら流通もしてるんだけど、魔法発動に使われる物なんかは攻撃力が高いのが多くて専門職になるの。王都で厳しい試験があって登録制だと聞いてるねぇ」

 ランプに使われる魔石とか増幅装置なんかは普通に買えるし誰でも使えるけど、それは日常で使うものでありかつ出力がそこまで高くないものだからだと言う。魔具師が使うのは主に魔法発動に使う魔具で、基本的に高出力になる物が多く扱いも難しくてそれ相応の訓練が必要なのだとルアードは続けた。ただ『魔』を倒すのに人間の技術力だけでは限度があるので、魔法発動はしないものの何かしらの力が付加された武器が好まれるとも説明する。高火力なものは高額になるので所有者はそう多くないらしいが。

「魔石を加工したものが魔具、魔具を作るのが加工師、魔具使用の高出力魔法の専門職が魔具師、てとこ」

 魔具師はある程度加工もするらしいけど、詳しくはわかんないな。

 すらすらと語る。

「その、黄の大陸の人間も人を食うのか?」

「それは聞かないねぇ……血が混じったというのも言い伝えに過ぎないしね」

 御伽噺、言い伝え、伝承。

 何一つ実態を持たない物語である。

「竜人は、どうして滅んだと言われているのですか」

 天使が不意に口にした。

 それは、ずっと不思議に思っていた事だった。人を食い、空をも飛び、人と違い強大な魔力を持つ高位の存在が何故、と。人間より圧倒的有利であった筈の彼らがどうして、と。

「もっと……姿の見えないものなのかと思っていたのですが。酷く身近な存在のようなので」

 覚えた違和感を天使は問う。

 ルアードはきょとん、と目をしたばたかせた。何を今更とでも言いたげである。竜人の世の終焉などこの世界では当たり前すぎるのだろう、ああ、そうか、そうだよねぇと。小さく一人ごち。

「竜人達の王がある一人の人間の手によって討たれたから」

 返って来たのは端的な言葉だった。

「口伝が残っているんだ。イーグルという男が単身竜人の王である『銀の神』の元へ乗り込み、倒し、世界に平和を齎したってね。ただ結局帰ってこなかったらしくて」

 詳しい事は伝承でしかないから解らないのだけど。

 ルアードはそう前置きしつつ、竜人達の王が討たれたので残った他の竜人達も瓦解したと言う。各大陸の玉座を追われ、討たれ、大地に流れた大量の血が『魔』を生んだ。残党というべき竜人達の生き残り、人と交わった者達、幸か不幸か竜人達の技術を受け継いだ人間。

「千年という時もはっきりしているわけじゃない。もっと短いかもしれないし、長いのかもしれない」

 竜人は人よりも遥かに長い時を生きると言う。人間の寿命は奴らかしたら瞬きほどの時間でしかなく、もしかしたら千年以上生きている個体もいるのかもしれない。神の寿命を知るものは居らず、人の手では全体数を把握することも不可能だ。

 人々は神を蹴落としたと語るが、全ては神の存在ありきで世界は回っている。

「まあ、今日はさ。疲れたでしょ。まだしばらくは滞在するし、ゆっくり休んだほうがいいね」

 食べられることもなく残ったパン粥を見ながら、ルアードはこれでこの話は終いだと言わんばかりに話を打ち切った。


   ※


 ゆっくり休んでねぇと言い残して男どもは部屋を出ていった。

 しん、と静まり返る室内。天使が開けていった窓から入り込むそよそよと柔らかな風がカーテンを揺らしていた。零れ落ちる陽の光は窓ガラスから虹色の光彩を床に描いている。ベッドまで届かないそれは、陰影を酷く強調していた。遠くで人間の笑い声が聞こえる、それはあまりにもありきたりで平穏な。

 ……休めと言われても何をしたらいいのかわからず、すっかり冷めてしまった小さな椀に盛られたパン粥を食べ終えるとぼすりと再び布団へと沈みこんだ。柔らかい布は清潔で、相変わらずほのかに良い匂いがしたしベッドサイドに置かれたサイドテーブルには可憐な花が生けられている。平和だ、小さく零れ落ちたのは本心。元来自身が身を置く魔界とはあまりにもかけ離れており、言い難い異物感を覚える。異世界に来ているのだから当然と言えば当然ではあるが、覚えるのは明確な場違い的な異物感だ。違和感とでもいうべきか、ここにいるのは軒並み皆善人で、自分と同じように闇に生きるしかない者はやはり息苦しいのだろうか。そんな事を考える。

 竜人。人を食い人に淘汰された種族。

 そのくせその竜人の持つ力、技術、継承され扱う人間。

 相互理解などはなから不可能だろう、我々悪魔と天使が相容れないのと同じように同胞を食う輩と懇意になど出来る筈もない。殺し殺されどちらかが根絶やしにされるまで争いは続く。単純な事だ。だが不可解なのは竜人どもが圧倒的な力を持っていたというのに身を隠していることだ。闇に紛れ人を襲い、売り飛ばし、自身の食料にする。王が討たれたから――本当に、それだけだろうか。

「――――、」

 乾いた笑いが喉の奥から零れ落ちた。

 馬鹿馬鹿しい。

 私がこの世界の事を考えたとて何が出来るでもない。この世界は偶然やって来ただけに過ぎず、己の元居た世界に戻る事だけが目的な筈だ。この世界の住人と仲良しこよしする謂れもない。基本的な情報は知っておく必要はあるがそれ以上の事をする筋合いもない。早く元の世界に戻って、全力で奴と対峙して、そうして、……そうして。

「そう、私が、あいつを殺す……」

 呟きは床の上を静かに転がり落ちる。

 側にあるナハシュ・ザハヴが僅かに振動した。応えるようなそれに、ふ、と。口角が上がる。そう、私は奴を殺す。ただそれだけ。ナハシュがある現在霊力がなくても奴に負けるとも思えない。

 綺麗な天使様。清らかなのは汚濁を知らぬからだ。

 何も知らず、ただただ神の傀儡として天に坐するだけの愚昧なる痴者。胸を焼きつくすこの憎悪を、きっとあの清らかな男は理解すらできないのだろうな。……理解されようとも思わない。

 それでも元の世界へと戻る為にはある程度の協力が必要なのだろう。この世界に長く身を置くつもりなど毛頭ない、なればこそ、相互利用もある程度は辛抱するべきなのかもしれない。

「どう、するべきか」

 胸の内に溜まった淀んだ空気を一息に吐き出し、それでもあの無礼な男と共に居る事は不愉快なことこの上ないと思い直す。そもそもが敵対していたもの同士だ、何故こんな事になったのだろう……ベッドの上に寝転がったままそんな事を考えていた時の事である。

 りん、と。

 鈴を転がすような耳鳴りを感じた。嫌な音。

 のそりと身体を起こす、ナハシュ・ザハヴをぎゅうと握りこんで耳を澄ませれば何か、そう。喉の下をまさぐられるかのような不快な音が確かに小さく響いていた。高く軽やかに澄んだ音。肌をざわつかせるそれは聞き覚えのあるものだった。ナハシュを手に立ち上がる、身体の痛みはないが嫌な音は続いている。

 僅かながらも力の流れを感じる、我らとは真逆の聖なる力。ぎり、と唇を嚙み締めて。

 音の出所を探ろうと、そろりと部屋を後にした。

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