7 我が上の星は見えぬ

 観念したかのようなルアードに連れられて行った闘技場とやらは、街の出入り口である関所からまっすぐ進んだ先にあった。宿から夜でも賑やかな露店の道を通り、右手に曲がればさほど大きくはない建物。周囲には酒場と思しき店が連なっている。門等で区切られているわけではなかったが、生活圏とは区別されているらしかった。

 四角い造りの建物は二階建てだ、一階で受付をして二階が観客席なのだと言いう。カジノとやらも併設されている騒々しい室内、怒声、熱気と邪念に満ち満ちる空間。相変わらず街灯も室内も闇夜を照らすのは炎ではなく光る石である。聞けば、魔石を加工して作った物なのだという。

「本当にヨシュアさん出るのぉ……?」

 最後まで反対していたのはルアードだった、二階の観客席へと向かいながらしょぼくれた表情をしている。

 最後まで乗り気ではなかったのは天使もである、受付だけルアードが担当して別れた。かんかんかん、と上る階段は乾いた音がする。細く狭いそこは明かりはあるものの影が濃くやや薄暗い。ちらと上の方を見ればぶら下がるランプの中の魔石が一つ二つなくなっている。

「何でもすると言ったのはあの男だぞ、何をそんなに嫌がる」

「だって怪我するかもしれないじゃん!?」

 くわっと目を見開いて、美人さんの怪我するところなんて見たくないよ! と。何やら力説しているが天使は男だと何度言えば解るのか。言ったところで納得などしないだろうことは容易く想像がつくので口を噤むが。

 黙って階段を登り切る、さほど広くないと思った建物だったが二階はそれなりに広々としていた。観客席だと言うだけの事はある造りをしている。試合が良く見えるようにだろう、中央の試合場の真上が吹き抜けになっておりその周囲を胸ほどの高さまである壁でぐるりと囲われていた。座席がいくらかと飲食店。酒をメインにつまみなども多く売られている。完全な娯楽施設。

「……怪我などするわけないだろう、人間ごときが太刀打ち出来るような奴じゃない」

 さっさと吹き抜けの方へと歩いていく。下を見やれば人間同士が試合をしているのが見えた。互いに木製の剣で打ち合いをしている。腕試しという割には程度は高くないな。

「敵だと言う割には認めているんだな」

 アーネストが何やら紙製のカップ片手に珍しく発言してくる。近くの売店で買ったのだろう、カップの中の細長い物をつまんで食べている。お前、まだ食べるのか。

「……戦天使は脳筋だからな」

 認めているとかいないとかじゃない。

 きっぱりと言い切って、頬杖をついて二階の観客席から見下ろしてやる。

 金の長い髪、体躯の細い優男、挙句に軽装と他の参加者たちとは異彩を放つ天使は大分浮いていた。それがもう面白い。にやにやと知らず笑みが浮かぶ。

「あいつらは己の生の大半を術の研鑽や剣の腕を磨く事に費やしている。まああいつは王としての仕事もあるようだが……」

 脳筋には変わらんよ。

 天使の基本的な考え方は殺すか殺されるかだ。悪魔を殺し人の為に戦い、技術を磨き、世界の維持に携わる。食事も必要なく、……あいつに娯楽というものは理解できるのだろうかと、ふと思う。

「ふうん……ちなみに、お二人さんっていくつとか聞いてもいい?」

 人と同じくらい?

 同じように闘技場の下を覗きながらルアードが問う。アーネストが食べていた細長いものをつまみながら、何か食べるかとも聞かれたがそんな気分ではないのでいらんとつっぱねた。

 年齢、か。目の前にいる男二人は見た目は二十かそこらに見える。人の寿命は短いものだが、この世界の人間もだろうか。意外と長いかもしれんな。

「天使のことなぞ知らんが……千の夜を数えてやめた、とでも言っておく」

 どう返すべきだろうかと少し考えてから答えてやると、せん、とルアードが頬を引きつらせていた。……やはりこちらの人間もさほど長寿というわけではなさそうである。瞬きのような時間の中を生きる人間、対するこちらの生は幾星霜である。気の遠くなるような年月の中、あの男は生真面目に修練を積んだのだろうな。

 闘技場へ来た時にここのシステムはざっとではあるが聞いていた。

 出場者は幾ばくかの参加費を払い、観客はどちらが勝つかを紙切れを購入して賭ける。敗者側は何も手に入れられないが、出場者が勝利すると観客が賭けた総金額から一割ほどのリターンがあるのだという。もう一割は胴元、残り八割は賭けに勝った観客へ配当される。

 単純だ。勝てばいい。そうしてルアードが金を賭けておけばこちらは懐が痛むことはない。

 金を手に入れて、戦う術を手に入れたならあのいけ好かない天使と離れられるのだ。

「あの男は見た目こそあんなだがな、」

 順番が来たのだろう、闘技場用の木製の剣を受け取るさまを観客席から見ながら笑う。先程の試合の勝者が天使の初戦相手らしい、見るからに弱そうな天使を見て鼻で笑っているのが見て取れた。まあ、こういう所に参加するくらいなのだからそれなりに腕に自信があるのだろう。

 真剣ではないのは娯楽だから負傷を避けるのだろうな。だが、木製であろうとも当たればそれなりに痛むだろうに人間の考える事はよく解らん。賭博、賭け事、金を握る人間達の欲望の渦。唇が歪む。人間に負けたら負けたでそれは痛快だ。勝敗がどちらに転んだとしても私には愉快なことにしかならない。

 試合が行われるのは木張りの床の上、ロープなどで区切られていないが観客への配慮なのだろう壁にぐるりと覆われていた。その中心へと歩を進める天使、向けられる奇異の視線に動じる事もなく手渡された木刀をくるくるとしばらく弄んでいたようだったが、よし、と。何やら納得したかのように前を向く。対戦相手と対峙、天使は頭上にいるこちらになど見向きもしない。くっと喉の奥から笑みが漏れ出た。

「……天界最強の天使というのは伊達ではないぞ」


   ※


 ルールは単純だ。

 相手の手から武器を落とすか、昏倒させるか、負けを認めさせれば勝利。木刀は殺傷能力こそ低いだろうが当たり所が悪ければ当然大怪我をする。相手の力量によってはそこそこの怪我は避けられまい。現に、奥に救護室があると聞いた。大なり小なりの怪我は皆覚悟の上なのだろう。

 試合は滞りなく進んでいる。

 二階の観客席から見下ろしているが、気が付けば周囲に似たような観客が増えていた。先程までガラガラだったというのに。試合が始まって直ぐは騒めいていた場内だがやがてしん、と静まり返った。みな呆気にとられたかのように天使の試合を見ている。

 一人目の対戦相手はあっさりと構えた剣を天使に弾き飛ばされていた。

 二人目の対戦相手も粘ったがやはり持っていた武器を場外へと飛ばされていた。

 三人目の対戦相手ともなれば、観客たちは散々軽視していた天使への態度を改め始める。まぐれだろう、そんな声も聞こえ始める。本当にそうだろうか、疑念の声も上がり始めるが勝者は程なく決まった。人が集まり始めたのがこの辺りだ。

 我も我もと増える対戦相手、それらを淡々と全て薙ぎ伏せる天使。

 腕自慢どもが自棄になって立ち向かうが一向に歯が立たない、会場の熱気はそれはもう最高潮となっていた。

 そうして現在十二人目。

 カァン、木製の剣が鋭い音を立てる。

 勝ち券を握りしめてルアードがはらはらと覗いていた、アーネストも芋を揚げたものだと言っていたそれを食べる手を止めてじっと見ている。この頃になればもうやかましい喧噪も鳴りを潜め、観客たちは常とは違う状態を固唾を飲んで見守っているのである。

 観客達の不躾な視線をものともせず、何度も相手から打ち込まれる攻撃を天使はさらりさらりと手にした木製の剣で全て受け止めている。反発しない、受け流すばかりなので相手の力を殺しもしない。縛っていない長い髪が揺れてさながら舞のようだ。

 アーネストの剣技が我流の荒々しいものだとするなら、天使のはお手本のような流麗さがあった。指南書から一切の逸脱がない型通りの動作。そのくせ相手の攻撃が届かない。多分目がいいんだな、こちらの一挙一投足が見えているとしか思えない流れるような無駄のない動き。最小限の身のこなし。

 天使よりも遥かに恰幅のいい相手の男が焦れはじめる。

 防戦一方でいるというのに息一つ切らさず、涼しい顔をしている男を前に苛立つのも解る。だが急いてはこの男の思う壺でしかない、生じる隙を天使は見逃さない。

 僅か足を踏み出した天使の眼差しが鋭くなった瞬間、瞬きの間の一閃。

 相手の剣が粉々に砕け散っていた。

 宙を舞う木片、静まり返る場、天使の振り下ろした剣の先に驚愕した表情の対戦相手の顔。誰一人傷付けていないあたり天使の意地を垣間見た気がした。

 へたり込んだ対戦相手を確認した後すい、と天使は構えを解く。そうして呆然としている試合の進行役である審査員へとゆっくりと向き直った。

「……すみません、破壊してしまいました。この場合は一体どうなる、」

 連戦だというのに汗の一つもかかず淡々と告げる天使に、しばしの無言の後。

 周囲から一斉にわあっと歓声が上がった。

 びくりと天使が肩を震わせる、観客が、店のスタッフが、歓喜の渦に包まれその場にいた何人かが天使の元へと駆け寄る。賭けの勝ち負けによる熱気、羨望と絶望、単純に天使を賞賛する興奮がないまぜになった空間で訳が分からずもみくちゃにされている姿が実に滑稽だ。

「本当に強いんだ……」

 隣にいたルアードが呆然としていた。

 連戦で十二人だ、配当金の額はわからないがそう悪い金額ではないだろう。

「十分か?」

「十分どころか、」

 ルアードが目を白黒させている。

「ちょ、ちょっと俺換金してくるね?」

 いそいそと階下へと向かう後姿を見るともなく眺める、アーネストも凄いな、と。小さく口にしていた。さほど興味はなさそうだったのに、いざ開始の鐘の音が鳴ればこの男もじっと上から試合の状況を眺めていたのだった。剣を扱う者同士やはり気になるのだろうか。

 ちらと、もう一度階下へと視線をやる。そこには困ったような表情をしつつも別段嫌そうには見えない天使がいた。わやくちゃにされながら場外へ引っ張り出され、その場に居合わせた冒険者達に話しかけられ酒を勧められている。断っているところまでは上から見えたが、それもやがて見えなくなった。ちょうど吹き抜けのない、二階の床の下へと連れていかれたのだろう。

 ふあ、と。一つ欠伸が出た。

 天使の賞賛など見ている気にもなれぬ。

 その場からふらりと離れる。悪意溢れる空間であればまだしも、こんな賛美に満ちている場になどいたくなかった。対象が天使であれば猶更である。

 ゆっくりと階下へと降りていく、一階の人混みの中に困ったように、それでもまんざらでもなさそうな天使がちらりと見える。ルアードの姿も天使の近くにあった、僅か身を屈めてするりと騒めく人の流れに逆らい闘技場を出た。おめでたい事よ……一人で外に出るなんて危ないよ、誰だろう声を掛けられたが無視を決め込む。干渉は嫌いだ。

 頬を撫でる冷たい風にほうと息をついた。

 そこは闇夜が広がっている。街灯が灯っているが陽の光とはまるで違うほの暗い夜の世界は心地がいい、雲が出ているのか月も星もない。いや、この世界に月星は普通にあるのだろうか……そんな事を考えながら歩を進める。さらりと己の着ていた白い服が風に煽られて小さく揺れ、リリーに借りたままだったなと思い返す。足元はサンダルだ。この世界の服装は防具を外せばシンプルなものが多い。

 目的もなく雑踏を歩いていく。大きな街だからだろうか、日か沈んでからそれなりに時間が経っているようだが外を出歩く人間はそれなりに多かった。場所がら酒が入っている人間が多いのだろうが騒がしいのは苦手だ。周囲から向けられる視線も煩わしい、いい加減一人になりたくてなるべく影の濃い道を選ぶ。人通りを避けあてどなくいくつか角を曲がっていけば細い路地へと辿り着く。人の影はもうない、大通りから少し外れただけでこれだけ濃い闇があるのだな。ふうと、一つ息をついた時。

「――――、?」

 不可思議な音が耳について振り返った。

 見ればこの暗い夜の中でフードを目深に被った人物がこちらに何かを話しかけてきていた。声を掛けられた、らしい。声色は男のようだが、しかし話しかけてくる言葉は聞き慣れぬ言語で何を言っているか解らない。ああ、今天使が傍にいないから言語変換が行われていないのだと解った。効力の範囲はどれ程なのだろう、しかし当然ではあるがある程度離れたら意味がないようだ。

 フードの下からにやにやと笑う口元が見えた。

 気分の悪い、そもそも気安く話しかけてくること自体が不快だ。相変わらず何か話しかけてくる男の対応など面倒でそのまま素通りしようとして。

「ッ、」

 突然、乱暴に腕を掴まれた。

 ごつごつとした男の手にぞわりと肌が泡立つ。

「なにを、」

 振り払おうとしてびくともしない手に気を取られていたら、今度は背後から口を塞がれた。もう一人いたらしい。布のようなものを口と鼻に押し当てられている、羽交い絞めにされ何をするんだと藻掻くがふわりと香る甘い匂いに、なんだこの甘ったるいものはと。覚えているのはそこまで。

 そのままブツン、と。意識が途切れた。

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