2, 車内での日常


 「瑞奉寺ずいほうじ? 聞いたことないないぁ」

 「これが、住所だって」


 一階ガレージへと続く階段を降りながら、澪は碧に先ほどのメモを手渡した。

 聞いたことのない寺の名前だ。

 ブレザーにショートパンツと、さっぱりカジュアルな服装に身を包んだ碧。

 眠気覚ましのコーヒーが入ったカップを片手に、さっと書かれた住所に目を通すと、すぐさま大体の場所の見当をつける。


 「京都市右京区梅ケ畑うめがはた……かなりの山奥だねぇ。

  ま、162号をひたすら北上するだけだから、面倒じゃないけど」


 メモを慣れたように、片手でたたんでポケットに入れると、代わりに車のキーを取り出す。

 スマートキーではない、正真正銘の“キー”だ。 

 運転席の鍵穴に差し込むと、ロックを解除。

 同時にドアを開けた。


 「お寺からの依頼となると、また仏像か経典でも運んでほしい、って依頼かぁ?」

 「かもしれないけど、相手の口調からして、どうやら文化財の類じゃないみたい」


 カップをコンソールに置いた碧に、澪はそう告げた。

 2人が乗り込んだ車は、アメリカ車のように角ばっていながらも、後ろにかけて流れるような、くびれた側面のフォルムが特徴のハッチバッククーペ。

 今では貴重なリトラクタブルライトが付いており、正面中央、ゴールドのボディに真っ赤な菱のエンブレムが輝いている。

 

 車の名はスタリオン。

 三菱自動車が1980年代に生産した、同社最後の後輪駆動スポーツカーだ。

 「キャノンボール2」という映画で、香港スター ジャッキー・チェンが乗っていた車としても有名である。


 「じゃあ、なんだろう」

 「とりあえず、行ってみたら分かるんじゃない?」

 「ま、それもそっかぁ……シートベルトは?」

 「OK」

 「そんじゃ、ぼちぼち行きますか」


 コーヒーを一口。 ほろ苦く喉を潤すと、キーを回し、エンジン始動。

 ガレージから青空の下へとゆっくり現れたスタリオンは、事務所の前を通る路地の前で一旦停止。

 右ウィンカーをつけ、段差に気を付けながら道路に入ると、エンジンをふかして京都の細い街中を走り始めた。

 すぐに大通りへとたどり着くが、速度を一気に上げることなく、安全運転で一般車の中に紛れ込んだ。


 「この様子なら、すぐに着きそうね」

 「だねぇ~。 道路激込みの京都じゃあ、珍しいことで」


 時刻は11時15分。 今日は道路もすいている。

 焦ることは無い。

 サンルーフからは、優しいまどろんだ光が差し込む。

 碧はハンドルを握り、ギアをゆっくりと入れ替えながら、寝起きのドライブを楽しんでいるようだった。


 「あ! そういえば、碧。 また、プラモ作って夜更かししてたでしょ」

 

 まどろんでいた澪は、その事を思い出し、運転席の碧の方を見て口を開いた。


 「うん。 この前買ったポルシェ912 神奈川県警パトカー仕様。

  日本に現存する、唯一のパトカータイプのポルシェなんだよねぇ。

  ボディ塗装済みのやつだから、あとサイレン付けて、デカール貼ったら完成だよ」


 碧はこと、車のことに関すると心躍る。 この車だって、商売道具のひとつであるが、完全に彼女の趣味だ。

 目を輝かせながら、プラモの話をする碧に、澪は呆れながらも諭す。


 「夜更かしはダメだよって、この前言ったばかりじゃない。

  碧、プラモに熱中すると、絶対に時間忘れるんだから」

 「最近仕事無かったから、油断しちゃってさぁ。 ハハハ~」


 明らか反省の色がない、浅い反省笑い越え。

 失敗しても、けろっと忘れて日々を過ごす碧の性格を、澪は知っているから何とも言えない。

 いつものことだ。

 念のため、彼女はもう一度、碧を諭す。


 「睡眠不足で運転して、事故起こしたら大変なんだからねっ。

  それに、依頼人に会う時に眠そうにしていたら、相手の印象も悪くなるわよ。

  言わなくても、分かると思うけど」

 「ダイジョーブ! こう見えて意外と、ショートスリーパーだから」

 「一切説得になってないわよ……まったく」


 頭を抱えながら、再び窓の外に顔を向ける澪だったが、今度は碧が口を開いた。


 「そういう澪も、コーヒーにお砂糖入れすぎじゃないかな?

  今週から1か月は、ダイエット強化月間だー、なんて言ってたのに」


 ギクリ。

 一瞬、体をびくつかせると、冷静さを装うように、再びゆっくりと碧の方へ視線を戻す。


 「な、なんの話かなぁ~?」

 「事務所のテーブルにある角砂糖の瓶、さっき見たら、昨日の夜からかなり減ってたよ。

  丁度お砂糖のストックが切れてたし、寝る前に紅茶を淹れた時には瓶の中に、角砂糖はいっぱいだった。

  私は紅茶もコーヒーも無党派。 この寝覚めのコーヒーだって、澪はちゃんとブラックで用意してくれてるしね」


 碧のしっかりとした観察力と推理力。

 これには長年バディをやってる澪ですら、いつも舌を巻く。

 反論の余地など、どこにもない。

 昨夜、鼻歌を口ずさみながら、マグカップいっぱいのクイーンマリーティーに、角砂糖を6つも入れた記憶がよみがえる。

 左手に、カヌレを添えて。


 「お菓子作りと食べ比べが趣味の君に、こうして言うのはブーメランだが。

  将来糖尿になっても、知らないぞ。

  ま、いつも作ってくれるスイーツは、どれもこれも美味しくて大好きなんだけどね」

 

 碧が車のグッズに目が無いように、澪もまた、お菓子やスイーツなど、甘いものに目がない。

 ダイエットも、成功した試しがない。

 というより、そんなことしなくても美しいプロポーションだろうに。

 澪は、ふくれっ面を碧の横でしてみせた。


 「私の口は超甘党なの。

  それに、毎日運動してるし、カロリー計算してるからダイジョーブ!」

 「計算してるとこ見たことないけど……それに、のは運動に入るのかい?」


 敗北宣言に、眉をくいっとあげて皮肉を言ってみせる碧。

 これ以上の指摘はよろしくない、とでも言わんばかりに、会話を強制シャットダウン。


 「ほら! 喋ってないで、安全運転!」

 「は~い」


 碧もそうだが、澪も穏やかな表情を浮かべていた。

 お互いに指摘しあうのは常だが、それでも嫌な気持ちにはならない。

 よくある、仕事前の車内の光景。

 

 2人は交差点を右折、162号線を北上しながら、いつもの日常を楽しんでいるのだった。

 天使運輸、仕事前の息抜きを。


 そんなこんなと、碧が運転するスタリオンは市街を抜けて、だんだんと山の中へ。

 ついに、目的地へとたどり着くのであった――。

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