第14話 酒豪による狂宴
敵のアジトはすべて森の中である。町中ではなく森の中に身を隠すとは意外だが、これからは社会から疎まれるようになっていく彼らにとっては、むしろ都合が良かったのかも知れない。
ソ連のカリーニングラード州の北部、とても細長い形をしたクルシュー砂州に位置する小さな森、タンツユシー・レス。意味は「踊る森」。奇妙な形状の樹木が群生しているのが由来だ。
立派な砂州と海と森があるのだから、景観が良くなる条件は揃っているはずなのだが、いざ来てみると何だかどんよりした雰囲気でいまいちだ。ソ連が環境問題に気を配ってきちんと整備すれば変わるのかもしれないが、現段階ではそうはなりそうにない。
尚カリーニングラードはソ連にとっては半ば飛地のような場所である。いや、ソ連という括りで見れば普通に陸続きの領土の一部だ。ただしその位置からして、当局の監視の目を欺きやすいためか、犯罪なども多く治安が悪い。怪しげな組織のアジトなら幾らでもありそうなものだが、裏社会の人々の間でさえ、ヤバヴォックの連中には居心地が悪いらしい。
因みにカリーニングラードはかつてドイツ語でケーニヒスベルクと呼ばれていた、元ドイツ領と言える土地だ。かのドイツ騎士団を元に築かれたプロイセンという国の首都を担っていた時期もあるため、マルタ島と並んで騎士たちの聖地と見做されている。そのためマルタ島と同じく、空気中には騎士物質が含まれているそうだ。またしても、騎士に有利な条件である。
琴班の三人は、独特の風景の森の中を、ひたすらに駆けた。地図を完全に頭に叩き込んでおり森の中ですら迷わず進めるアリスが、怪文書──否、課題図書である日本古典文学の名著を読みながら、先陣を切っている。
しばらく行くと、計画通り、敵の拠点が見えてきた。突貫で建てたようなプレハブの大きな建物。他に幾つか建物はあるのだが、ここが一番大きな設備であるらしい。
いよいよ近づいてきたというタイミングで、急に一階の窓ガラスが割れた。ガラス片と共に、ポイッと人間が投げ出される。そいつが土の上にドシャッと叩きつけられたので、アリスは急いで様子を見に行ったが、もう手遅れだった。彼は死んでいた。アリスは手で口を覆って後ずさった。
十中八九、プレハブ小屋の中では、血みどろの戦いが繰り広げられている。
「こら、止まるな、アリス。早く中へ入って加勢しなければ」
「わ、分かった」
アリスは本を懐に仕舞った。
閉ざされた建物の扉を、
中では案の定、人々が争っている音がする。銃声やら、武器がかち合う音やら、喚き声やらがひっきりなしに上がっていて、物騒なことこの上ない。
部屋自体は殺風景でだだっ広い。家具も仕切りもないので、ずっと奥まで見渡せる。
戦いは奥の方で展開されていた。扉付近には、
「お待たせした。琴班到着だ。戦況は?」
「まだあんな感じなんだよねぇ」
知紗はのんびりと、団子状に固まっている人間たちを指差した。沢山の一般人たちや数人の騎士たちが群がっており、そのど真ん中ではたった一人の忍者が、鬼神の如く暴れ回って、敵を圧倒していた。
「ッダロガケカスゥ──!! ッスケガダラァ──ア!!」
その忍者は意味が取れない程の憤怒の叫びを上げていた。
メンバーから察するにその忍者が誰なのかは明白なのだが、それでもアリスはその事実を信じられずにいた。
「あれは……何? 誰? 何語?」
「
「でもっ! あの人は……大人しくて穏やかな人だったはず……! まるで凪いだ湖面のような……。それが、どうしてあんなことに!?」
「まあ、普段は穏和な人だよね。ただあの人は忍法・酒乱の術を使う。アルコールを摂取すると凄まじく強くなるんだよ。八面六臂、一騎当千、最恐最悪の破壊神。ちょっと知能指数が下がるのが玉に瑕だけど」
何だそれは。怖い。ああ、懐に酒類を隠し持っていたのはそのためか。
「絹枝はなぁ」
「酒を飲める年齢になるまで忍法が発現しなかったから、忍者になるのを諦めて仕立屋を始めたんだよ。でも酒乱の術を身に付けてからは、荒事専門のくのいちとして活動するようになってな。今じゃ
確かに、敵どもは次々と果敢に絹枝に突進するも、「ギニャ──ッ!!」などの断末魔の叫びを上げながらホイホイと無駄死にし、死体の山の一部と成り果てるのみだった。
中には「ヒャッハー!! 文明は消毒だー!!」などと原始共産主義的な思想を叫びながら捨て身で飛び込むいかれた輩もいたが、そいつもたちまちその他大勢の亡骸の一員と成り果てる。
因みに絹枝が両手に持っている武器は、中身のなくなった割れた酒瓶二つのみ。あんなもので瞬時に何人も葬るとは。恐ろしすぎる。とりあえずアリスはなるべく建物の奥を見ないことにした。殺戮の場を見るのはやはり躊躇われる。あああ、人間は何故死ぬのだろう……。別に誰も彼もに千年も万年も生きてもらいたい訳じゃない、ただただ、人間が遍く天寿を全うできるような平穏な世の中にならないものかと、願わずにはいられない。だがそれはそれとして、目の前の悪は倒さねばならない……。
「それで……私たちは絹枝を手伝わなくていいの? 幾らあの人が強くても、見てるだけなんて……」
「絶対にやめて」
淳奈が言った。
「あの人には今、見境が無い。敵味方の区別がほぼできなくなってる。だからあの人が任務に出る時は、こうして少数精鋭チームにして、単騎突入の形を取る。私たちに出来るのは、絹枝が取りこぼした敵を排除することくらい」
それで淳奈も知紗も、ここで立っていたのか、とアリスは納得した。恐らく、二人は現地での情報収集を行い、後は絹枝がヤバヴォックを全て倒す、という役割分担だったのだろう。
……いや、敵味方すら分からなくなるなんて物騒にも程がある。制御を失った虐殺マシンか何かか?
「ッドラボケガァッテンジャッゾウォラァ──イッ!!」
絹枝はまだ何かしら喚きながら敵を蹂躙している。
敵の中には、恐れをなして部屋の隅でガタガタ震えている者がいないわけでもなかったが、何せみんな出身からして元秘密警察の人が大半だから、荒事には慣れていてもおかしくないし、もう覚悟は決まっているようだったし、何より戦いに臨むに当たっての面構えが違う。だいたい、仮に逃げ出せたとしても、待ち受けているのは淳奈と知紗なので、どっちみち助からない。
「因みに、他のアジトは?」
敬兎が質問する。
「他は潰したよぉ。残った拠点はここだけ。ここが一番おっきいところみたいだけどねぇ」
知紗がのんびり答える。
「まあ他のアジトの奴らもねぇ、規模が大きくなりすぎててねぇ。もはやデカすぎて動けなくなった山椒魚みたいな奴らだったから、絹枝がすぐにのしちゃったんだけどねぇ」
「でもここは、報告されていたより遥かに人数が多かった」
淳奈が補足する。
「恐らく騎士が情報操作をして忍者の邪魔をしていた。シュタージももちろん多いし、ハンガリー、ポーランド、チェコスロヴァキアなんかの元秘密警察も、予想以上に流れ込んでるみたい。ルーマニアとかの、まだ民主化の動きがない国々の奴らが少ないから、多少マシだったかな。KGBを抜けた輩が多いのがちょっと気がかりなくらい。……だから」
淳奈は戦闘の様子に目をやった。
「……あの調子で絹枝が敵を捌き切れないとは思えない。あれだけハジけている絹枝が、負けるはずない。
ふむふむと話を聞いていたアリスだったが、何かの気配を感じて、すぐそばに設置してある階段を見上げた。
「あ、騎士が!」
階段の上から一人の男が光の速さで降りてきて、アリスたちの制止をひらりとかわし、絹枝の元に向かう。
「あいつ……!」
淳奈は低く唸るように言った。どうやらこれまでの戦闘で面識があるようだ。
「あの人、何かやろうとしてる……もしかして十字軍戦法?」
アリスの勘は当たった。騎士は他のヤバヴォックの面々を退けさせると、絹枝に一対一で向き合い、剣先を床について何やら精神を集中させ、十字を切った。
「……
騎士の周囲に、数えきれないほどの葉っぱが出現した。ヒースの葉の一種にも似た、尖った形状をしている。それらは小さな刃のように濃緑に光りながら渦巻き、騎士の姿を覆い隠す。そして一斉に絹枝に矛先を向けたかと思うと、一直線に彼女に襲いかかった。
「わ……!」
アリスは手をギュッと握って成り行きを見ていたが、これもまた心配には及ばなかった。
「オラオラオラオラオラオラ──ッ!!」
木の葉は一瞬にして文字通り木っ端微塵となって床に落ち、騎士の顔面には割れた瓶が突き刺さった。
「ウボァ──!!」
騎士は血を吹き出しながら仰向けに倒れた。彼の顔から瓶を引っこ抜いた絹枝は、その頭を容赦なく踏みつけにした。
「オメーよォ。さっき、人は、みんな、平等だとか、ぬかしたな? 本来、人の上に、人がいちゃあ、いけないだとか、言ってたな? エエッ!?」
絹枝は、言葉を切る度に、ダァンダァンと執拗に騎士の頭に足袋の底を振り下ろす。
「だったらよォ! 今オメーの頭の上に足乗っけてるのは一体誰だ? 言ってみろよオラァ!! そうだよ忍者だよ!! 天は騎士の上に忍者を作ったんだ! どんだけ騎士物質の助けがあったとしてもなァ! この差はひっくり返せねエんだよ! これが真実だ!! 厳然たる事実だ!! それなのにオメーは大嘘こきやがって……本当に間抜けで滑稽だなア? ギャアッハッハァ──!!」
何という圧倒的バイオレンス。狂乱の破滅的デストラクション。やはり全てを解決するのは暴力だと言うのか。
「クレイジー! 常軌を逸してるってレベルじゃないね」
アリスはコメントしたが、淳奈は眉間に皺を寄せていた。
「まずい……絹枝が人語を話し始めた」
「え? それ、まずいの?」
場合によってはとんでもなく失礼に当たる侮辱的発言ではなかろうか。しかしどうやらこれは本当に危険な兆候であるらしかった。
「アルコールが切れ始めている証拠。なのに絹枝は酒を補充していない」
「えええ……」
アリスは困惑の目で絹枝を見た。彼女はまだ騎士を攻撃している。
「分かったか? だったらとっととウォッカを寄越せェ──ッ!! こちとらロシア人は軒並みいついかなる時もウォッカを手放さずに隠し持ってるって知ってんだよォ──ッ!!」
ああ、本当だ。絹枝は酒を飲みたがっている。しかし恐らく手持ちが尽きたのだ。だから他人にカツアゲしているのだ。
「絹枝〜、その騎士はドイツ語話者だよ〜」
知紗が声をかけた。
「アァ!? ドイツ人!? ならビールを持ってるはずだろーが!! 早く出せ!! もたもたすんじゃねえブチ殺すぞ」
理不尽すぎる。もたもたしなかったところでブチ殺すつもりではないか。とはいえ絹枝の言葉は日本語なので、騎士には通じていない。代わりに敬兎が、遠くからドイツ語で声をかけた。
「そこの騎士。この人はビールを要求しているが、誰か持ってるかい? ビールでなくても、酒類なら何でも良いんだけど。ここは大きな拠点なのだから、酒くらいあるだろう」
「な、な、
騎士は苦し紛れに答えた。
「ここはヤバヴォックの崇高なる目的のために建てられた施設だぞ! 娯楽施設じゃないんだ!」
「じゃあ他の施設にはあるんだな」
「ううん、そっちにも無いよ」
知紗が教えてくれた。
「他の施設のビールやウォッカはもう絹枝がみんな飲んじゃった」
「ウッソだろオイ……」
安心して絹枝の戦いぶりを見ていた忍者の面々は、徐々に焦り始めていた。当然だ。純粋な戦闘要員は彼女一人しかいないのだから、脱落されては困る。
かてて加えて、階段から藍色の軍服を来た男が──騎士が、もう一人降りて来て、アリスたちの頭上をコウモリの如く飛び越えて、仲間と合流した。
「
「こ、これが、無事に見えるか!? 状況を見てから物を言え、
「すまない。今すぐ加勢する。
途端、視界が真っ暗になった。そして足元がじわじわと熱くなり……謎の熱が火傷しそうなほどに温度を上げて来た。
「熱っつ!! えっ何これ!! 何も見えないし!!」
アリスはジタバタと足を動かし、まるで
「ひえぇ」
アリスは成す術もなくおろおろしていたが、ゴシャアッ、と鈍い衝撃音がして、パッと視界が開けた。熱さが、急速に収まっていく。
「バカなーッ!!」
トゥーテルタウベが喚いて、床に膝を付く。見れば、こいつも顔面からダラダラと血を流している。
「俺の十字軍戦法にかかっておきながら、俺を攻撃して来た奴なんて……初めてだッ!」
「ギャーギャーギャーギャーやかましいんだよコノヤロー! 熱いのは気合いで我慢する! 暗くても気合いで気配を探る! オメーの十字軍戦法なんざ、それだけで終わっちまう雑魚以下のシロモノなんだよ! ハッハァ! クソの役にも立ちゃあしねえなア? バァ──カ!!」
「何喋ってるか分からんが、とんでもなく罵倒されていることだけは分かる……何だこのふざけた女は……!」
「ふんッ」
絹枝は両手の酒瓶を振り回し、二人の騎士を同時に攻撃すると、酒瓶を捨てて片手に一人ずつ騎士を持ち、死体捨て場に放り込んだ。
「酒が足りねえ!」
絹枝はがなり立てた。
「もっと、持ってこ……い……」
そしてフッと体の力を抜いた。ようやくアリスたちの方を見た彼女の表情は、いつも通りの穏やかな物であった。
「ごめん……アルコール……切れちゃった……」
絹枝は恥ずかしそうに言った。
「まだ、敵が残っているのに……」
絹枝の言う通りで、シュプリンゲンダー・マンが退けさせたヤバヴォックの連中が再び動き始めていたし、他にもまだ騎士がいないとも言い切れない。
「ひえー、大々々ピンチだぁ」
知紗はあまり危機感の感じられない声音で言った。
「木陰様が言ってたのはこのことかぁ。数が多過ぎると酔いが醒めるんだねぇ」
「だったら僕たちに、酒を持っていくようにと指示して下されば良かったのでは……?」
「いんや、そうとも言い切れんな、敬兎。個人差は大きいが、忍法を使いすぎると負担になる。絹枝にあれ以上忍法を使わせるのは、良くないな」
「ゾウさん……」
「でも、木陰様が寄越したのは、何故かあなたたち三人。誰も戦闘向きの忍法を持っていない。こんなことでどうやって切り抜けるんだろう」
淳奈の言葉に、アリスは一秒間だけ思考を巡らせ、すぐにこう断言した。
「いや、私たちだけで問題なく解決できるでしょ」
「はい?」
「とりあえずみんなは、できる範囲で敵をやっつけて。何かあったら──その時は私が必ず何とかするから」
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