第13話 スーパーレディー

「何だこりゃああ!」

「ギエピー!」

「床が! 床が!」

 笛吹プファイファーが一般人が行き交う場で、三メートルには及ぶであろう大きな亀裂を床に走らせるという珍事を起こしたせいで、このように一般人は狼狽し空港は阿鼻叫喚の大騒ぎになる──と、アリスは覚悟していた。


 だが、実際には誰一人として怯えないし、叫びもしないし、こちらを気にしてすらいない。

 おかしい。


 アリスは試しに一般人モードになって床を見てみた。──割れていない。傷一つない清潔な床だ。ではあれは、忍者や騎士など何かしら特殊な技能を持つ者にのみ見える幻覚なのか、もしくは技能がなければ何事もなかったかのように見えてしまう類の幻覚なのか……結局、現実として割れているのかいないのか、どっちかはっきりしてくれないと後々困るだろう。だがもちろん後々のことなので今は困らないでおく。戦いに集中しよう。


 床など割って何をするつもりかと思えば、割れた床から、謎の物体が雨後のタケノコバンブー・ベイビーの如くにょきにょきと生えてきた。何だろう。警戒しつつ見守っていると、それは全貌を現した。

 ……あれは、あのタマネギを串刺しにしたようなフォルムの建造物は……東ベルリン名物、ベルリンテレビ塔──の、ミニチュア版だ! 高さはアリスの背丈ほどしかない。そしてこちらも、一般人たちには見えていないようだ。


象平しょうへい、これどういう物か分かる? 蹴っ飛ばしたらまずいかな?」

 アリスが聞くと、象平は首を横に振った。

「いんや。むしろ、壊さずに放っておくと爆発するな」

「はあ? じゃあこいつの十字軍戦法だけでヤバヴォックの目的が達成できるってこと?」

「いや、それほどの威力はないし、衝撃を与えれば容易く消えるが……爆発した場合、近くにいる者は無事では済まないな。しかも合計五十本はおんなじのが出てくるようだ」

「うわ、面倒だな。アリス、塔の処理は任せた。僕は騎士の方を狙う」

「はあい」


 あからさまに面倒ごとを押し付けられたが、その方が理に適っているので仕方ない。敬兎けいとが戦った方が、相手の記憶を消して無力化させられる確率が上がる。

 それにしても、とアリスは周囲に目をやる。不可視の巨大爆弾とは、敵も恐ろしいものを作ってくれる。威力が低いとはいえ、一般人が気付かずノコノコと近付いたところをボムッとやられたら、たまったもんじゃない。


「俺は一般人の保護に向かう」

 象平は言った。

「アリス、お前さんが疲れたら、手伝ってやるからな。遠慮せずに呼ぶんだよ」

「多分大丈夫。それより、万が一爆発した時のために、他の人たちを早く何とかして。あと、その前に念の為──忍法・切替の術!」


 二人を強忍者モードにしたアリスは、自分も強忍者モードになって、塔に蹴りを入れた。ひらり、とロングスカートの裾が舞う。


「何かコレもう邪魔くさい」


 アリスは「おんなじのが出てくる」前に、ちゃっちゃと変装用の服をエイヤッと脱ぎ捨て、黒装束姿になった。

 一本目の塔は少しの衝撃で綺麗さっぱり消滅したが、じきに次の塔がにょきにょき生えてくる。まさか捨て置くことはできないし、この調子で五十本全て対処するまでは、ここに付きっきりか。確かにこれは、足止めや戦力の分散、行動の妨害などにはおあつらえ向きの十字軍戦法だ。こんな技を使うなんてやはりこの騎士は性根が腐っているに違いない。全くもってけしからん。


 その後も殴る蹴るの暴行をはたらき続けたアリスだが、塔が生えてくるペースはどんどん上がる。消えたと思ったらもう次がある。ワンコ蕎麦じゃあるまいし、勘弁して欲しい。しかも塔は生えてくる度にだんだんと大きくなっている。爆発までの時間も短くなってきており、すぐに消さなければ膨張しながら発光し始める有様。最早アリスには、敬兎や象平の様子を確かめる余裕も無くなってきていた。


 そうこうする内に、殴った直後に、限界まで光って膨張しきった塔が現れるようになってきた。咄嗟に間に合わないと感じたアリスは、攻撃を捨てて身を守る体勢に入った。──どうか、自分の他には犠牲者が出ませんように……!!

 その時、不意に、凛とした声が響いた。


「忍法・魅了の術」


 ──途端に、塔の光が、急速に縮小していく。


「えっ……」


 アリスは恐る恐る、頭部を庇っていた腕を下ろし、完全に光を無くし動きを止めた塔を唖然として見上げた。──まだ三十しか倒していないのに、爆発もしなければ、次も生えてこない。


「いやあ、やっぱり、無機物にコレを使うのは、ちょーっぴり大変だねえ。アタシはまだまだ衰えたつもりはないんだが」


 アリスの隣には、ふさふさとした真っ白い長髪をサイドテールに結い、背筋をしゃんと伸ばした、古びた黒装束の老女が立っていた。


「あ、あれ? え? 何で?」

「それに比べてあっちのお嬢ちゃんは人間だから、あっという間だったね。くっくっく……。ボケッとしちゃって、情けないったらありゃしない」


 確かに、かの女騎士は、惚けた顔で床にへたり込み、脱力していた。まだ戦おうともがいてはいるらしいのだが、動きがすっかりのたりのたりとしていて、ほぼ何もできずにいる。そこへ敬兎がすぐに忍法を使ったので、彼女もまた涎を垂らしながら床に倒れ込んでしまった。


 老女は、皺の刻まれた顔でアリスにニッと笑いかけると、塔を指で弾いて消滅させてしまった。次の塔が現れる様子は、無かった。


 アリスはポカンとして老女をまじまじと見ていた。因みに敬兎は何が何だかまるで分かっていない様子だった。

 彼女はまだくつくつと笑っている。


「ハニートラップはスパイの常套手段だろう? 後はこのアタシに任せな。あと一匹、小さな虫がいるようだからね」


 言われて初めて、アリスはただならぬ気配がすることに気が付いた。そちらを見やると、何ともう一人、騎士が加勢に来ていた。──分からなかった、こんなに近くまで来ていたのに。

 彼は問答無用と言わんばかりに、即座に奥の手を繰り出した。


「貴様ら全員……くたばっちまいな……。十字軍戦法クロイツツーク・タクティク浮蜘蛛フリーゲンデ・スピンネ……」


 次の瞬間、出現したものを見て、アリスは思わず「ゲッ」と声を上げてしまった。

 複数の巨大な蜘蛛が騎士を取り巻いたかと思うと、謎の原理で飛行しながら突進してきたのである。

 一匹の小さな虫だなんて、大嘘ではないか!

 アリスは特段、虫などを毛嫌いしているわけではないが、こんなラグビーボール並みに大きくて醜いものが殺意を持ってわらわらと飛んで来るとなると、かなり気味が悪いし、本能的に嫌悪感を覚えずにはいられない。鳥肌ものである。

 しかし彼女は一向に動じず、高速で紡ぎ出された蜘蛛の糸をササッと避けると、一匹の蜘蛛の胴体に拳をめりこませ、飛び出た何かしらの液体をも華麗に避けた。


「へえー、毒蜘蛛ね。面白い技を使うじゃないか。でも残念、カブトムシの甲より年の功ってね。アタシの方がずうっと強い。──忍法・魅了の術」

「……!」

 途端に、無表情だった騎士の顔が溶け切ったマーガリンみたいにふにゃふにゃと緩んだ。

「──かかったね。さて、アンタ、今すぐ蜘蛛どもを引っ込めな。その後ここまで来て、アタシの前に跪くこと。一切の抵抗は認めない。ちゃんとアタシの言う通りにするんだよ」


 騎士はちゃんと言われた通りにした。蜘蛛は何の痕跡も残さず消え去り、騎士は床に這いつくばった。

 これはハニートラップというより相手を強制的に服従させているようにしか見えないが、本人が魅了の術と言うのだからそうなのだろう。きっと魅了されすぎると命令に逆らえなくなるとか、そういうあれだ。無機物だか幻だか、とにかくあの塔にも効果がある程なのだから、人間相手などどうとでもなるに違いない。……蜘蛛の動きよりもこっちの忍法の方がよっぽど原理が謎である。


「よしよし、それでいい。これでいたぶり放題だ。こういうのも久々だねえ。アンタみたいな弱っちいヘナヘナのボロ雑巾を、好きなだけ痛めつけられるなんて……アタシ、ワクワクしてきたよ!」


 そうして彼女は、忍術を使った一方的な攻撃を始めた。

 アリスは、驚愕をもって彼女の戦いぶりを見ていた。

 これが──これこそが、忍者のあるべき姿だと、そう教えてもらっているように感じる。滅茶苦茶お見事ではないか! どっひゃー! これぞ忍者というもの! いや本来なら忍者は隠密行動が基本なのだとさんざっぱら言い聞かされてきたが、やはりアリスにとっては、バトルの中にこそ忍者の真髄があるような気がしてならないのである。

 そしてその究極形態がこれだ。アリスが憧れるのはこういうやつだ。忍法で敵を無力化もしくは弱体化させたら、あとはただただ忍術で殴る。何とスマートでクールなのだろう。強烈なまでにシンプルでスタイリッシュな戦い──ビューティフルですらある。できることならば自分も見習いたいくらいだ。あまりにも……あまりにも、ナイス。


 そして彼女の忍術もまた、美しいまでに研ぎ澄まされたものだった。強忍者モードのアリスでも、気を抜くと見失ってしまいそうなくらいに素早く、尚且つ威力も申し分ない。

 何というハイスペック忍者! 尊敬せざるを得ない。素晴らしい。さすがである。

 やがて攻撃をやめた彼女は、ゴミ処理でも終えたかのように、パンパンと手を叩いた。実際この騎士はゴミ同然にピクリとも動かず気を失っている。


「ま、こんなもんだろ。ほれ、そこの忍者の坊や。早くこいつも植物人間にしてやんな」

「アッハイ」


 愕然としていた敬兎だったが、慌てて騎士に忍法を使った。その傍らで、アリスは目をブルームーンストーンの如くきらきらさせて、感心しきりで老女を見つめた。

 

「マーベラス! おばあちゃんグランマ、やっぱり忍者だったんだね!」

 敬兎は特大の輪ゴムでバチコーンと弾かれたかのようにこちらに顔を向けた。

「グランマ!? 今、君、この人のこと、自分のおばあちゃんだって言った!?」

「うん。だって私のおばあちゃんだから」

「え? ええ? それはつまり、この人はアリスのおばあちゃんだということ?」

「だからそう言ってるでしょ?」

「はああ──!?」


 敬兎が混乱を来している間に、何だ何だと象平が戻ってきた。


「おや、ゾウさんじゃないか」

 おばあちゃんは言った。

「久しいね。こりゃまた随分と立派なオッサンになったもんだ。良いことだね。貫禄らしきものが付いた」

「……まさかあなたは赤飛車あかびしゃ……百子ももこさん、なのかな?」


 象平の言葉に、おばあちゃんは鷹揚に頷いて、得意げに腰に両手を当て胸を張った。


「如何にもアタシは、赤飛車の異名でお馴染みの、紅林くればやし百子。伝説的な元くのいちのスーパーレディーさ。今はエリカ・ユーニア、もしくは坂中衿佳さかなかえりかと名乗っているよ」

「百子さん……。いやはや、何十年ぶりかな。あの時あなたは戦時中のひどく忙しい時に任務で敵国イギリスに潜り込んだかと思えば、現地の人と婚約を取り付けていきなり国を抜けたものだから、本当に大変だったなあ」

「その節は失礼したね。何、ちょっとした恋心さ」

「出来心みたいに言われてもなあ」

「ふふん。愛と戦争では何でもありだ、って言うだろう? だったら何をやろうがアタシの自由さね」


 二人のやり取りを聞きながら、アリスは忍者の国に来た日に心愛ここあが言っていたことを思い出していた。


 ──例えば私が生まれる前などは、赤飛車とあだ名される凄腕の忍者が抜けてしまったので、大変な騒ぎになったそうです。


「赤飛車っておばあちゃんのことだったの!?」


 やや今更感のあるアリスの叫びを、おばあちゃんはこともなげに肯定する。


「そうさ。よく知ってるじゃないか、アリス。どうだい、アタシもなかなかかっこいいだろう」

「かっこいい! でも全然知らなかった! それで、どうしてここに来てたの?」

「そりゃあアンタ、可愛い孫が何やら危険なことに首を突っ込んでいるらしいと分かったから、少々行方をくらまして、色々と調べて回っていたんだよ。そしたらどうやらアンタがマルタ島に派遣されるらしいことが分かったもんでね。こうして先回りして待っていたという訳さ」

「えーっ! それはすっごくありがたいけど、お母さんがものすっごく心配してたよ。手紙くらい出してあげなよ」

「おっと、そりゃ悪いことをしたね。アタシもなるべく誰にも動きを悟られたくなかったもんだから……。何、すぐに帰るさ。そうしたら真っ先に電話をして、会いに行ってやろう」


 おばあちゃんはふふんと鼻を鳴らすと、アリスたちを見回した。


「さ、これでこのマルタ島に潜伏している騎士はみんな倒したよ。危険物も排除済み。ブッシュもゴルバチョフも今頃は空港を出ているはずだから、敵の計画はおじゃんだ。アンタたちは早いとこ上様に報告に行くと良い」

「え、本当ですか」

「おや坊や、この凄腕の抜け忍の調査を疑うってのかい?」

「いえ、……疑ってません。驚いただけです」

「確かにびっくりだよー。でもとりあえず今は──任務完了! ブリリアント! ってことだよね!」


 アリスは達成感に任せて拳を頭上に振り上げながら宣言した。主な仕事はおばあちゃんがやった訳だが、任務が完了したことに変わりはない。

 しかし、その時だった。

 アリスの頭の中で、誰かの声がした。


「もしもし、もしもし」

「エッ?」

 アリスは辺りを見回したが、誰も話しかけてきてはいない。耳を塞いだが、声はまだはっきりと聞き取れる。

「わわっ!? これ、直接脳内に……!? それとも幻聴かな」

「落ち着け。静かにするんだ」

 敬兎が小声で言ったので、アリスは当惑しつつも黙って声を聞くことにした。


「こちら、徳川木陰とくがわこかげです。琴班の皆さんに、山名弥生やまなやよいさんからの予見をお伝えします」


 アリスは気を引き締めて、更に声に集中する。


うつし班の状況についてですが、敵が予想以上に多かった模様。これに対処するには、琴班の三名を応援に行かせるのが最善とのことです。資料に記してある抄班の居場所まで、忍者の国を経由して向かい、参戦して下さい。以上です」


 それ以降、声はしなくなった。アリスは不思議な気持ちで、意味もなく辺りをきょろきょろ見回した。


「今のは、木陰様の忍法?」

「忍法・伝令の術だね。誰がどこに何人いようと、そして自分がどんな場所にいようと、確実に声を届けることができるんだ。速やかに確実に情報が伝達できる、強力な忍法だよ」

「へえ、すごい。ポケベルよりも圧倒的に便利だね」

「君さあ。あの方は上様の夫君だぞ。そんな俗物に喩えないでくれ」

「あ、だめだった? ごめん、悪気はないんだ」


 その後アリスは、木陰の声を聞いていないおばあちゃんに、何が起きたかを教えた。


「ほう。それで、その抄班とやらはどこにいるんだい」

「カリーニングラード」

「遠いな」

「おばあちゃんも来てくれるの?」

「いや、そう簡単にはいかないよ。忍者の国にも決まりというものがあるんだ。アタシは抜け忍で、忍者の国への入国許可を持っていない。如何にアタシが伝説級のスーパーレディーでも、今から飛行機を乗り継いでカリーニングラードに行ったところで手遅れだろう。だから、後はアンタたちで頑張りな」

「……分かった」


 頷いたアリスの頭に、おばあちゃんが手を乗せた。背丈はとっくの昔にアリスが追い越しているのに、まるで幼い子どもにするように撫でてくれる。


「すまないね、次は守ってやれそうにない。必ず無事に帰るんだよ、アリス」

「うん。ありがとう、おばあちゃん。でもまあ、私がすごーくドカンと頑張れば、大丈夫でしょ?」

「そうだね。その通りだ。頭脳明晰で、運動能力抜群で、忍者で、このアタシの孫であること──それら全てをかけ合わせれば、必勝という解が導き出せる訳だ。赤子でも分かる簡単な算数さね。……それじゃ、アタシはここで。アンタたちの勝利を信じてるよ」


 おばあちゃんはアリスから手を離すと、サイドテールを颯爽と揺らし、空港の出口に向かって迅速に走って行った。

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