第12話 片手間の解読

「日本には秘密裏に忍者がいるのと同じように、ヨーロッパには秘密裏に騎士って奴らがいるんだよ。一般に知られている騎士とはまた別の存在なんだが、どちらも呼称が変わらなくて少しややこしいね」


 暮れなずむ空の下、敬兎けいとは成宮京を歩きながらアリスに教えてくれた。


「奴らは元々は西欧らへんが起源だけど、今じゃロシアを含めたヨーロッパ全体に存在してる。もちろん一般人とは訳が違うから、騎士は忍者の気配を見抜くことができる。逆に忍者も騎士の気配を見抜けるけど、ゾウさんが忍法を使えば、普通にやるよりも圧倒的に早く敵を見つけられるんだよね」

「へぇー」

「厄介なのは、騎士は騎士道っていう秘技を使うのと、十字軍戦法っていう忍法と似たような技まで使う。真正面から戦闘になる事態は避けたいよね」


 ふむ、とアリスは此度の決戦の地であるマルタ島に想いを馳せた。地中海に浮かぶかの小さな島は、かつてのマルタ騎士団という団体の本拠地として知られる。今はヨハネ騎士団と呼ばれることもあるこの騎士団は、テンプル騎士団、ドイツ騎士団と並んで、ヨーロッパの三大騎士団と呼ばれる。いずれも、十字軍遠征が行われていた中世にできた組織だ。聖なる土地イェルサレムを巡り、キリスト教勢力とイスラム教勢力が繰り返し戦ったその時期、騎士団はキリスト教勢力として、時に戦い、時に人を癒やし、時に資金援助をし──規模を拡大して、それぞれ独自の道を進むようになった。

 敬兎の言う騎士とは、これらと関係があるのだろうか。質問すると、敬兎は頷いた。


「彼らは中世の頃から騎士団の中に紛れ込んでいたし、今も色んなところに紛れ込んでるよ。東側陣営の秘密警察なんていうのはもう、ピッタリの居場所なんじゃないかな」

「ナルホド」

「それで、アリスが言うように、今回行くマルタ島は騎士たちにとって聖地の一つだ。だから、微量ながら『騎士物質』が漏れ出しているんだって。騎士にとってはすごく有利な場所になるね」

「騎士物質? ……忍者物質の親戚?」

「ああ、うん、そんな感じ。忍者の国に忍者物質があるように、『騎士の王国』には騎士物質があるんだ」


 いやはや、世の中にはアリスの知らないことがまだまだ無尽蔵にあるらしい。つまり世界にはアリスが勉強できる余地が海砂利水魚の如く無限に存在するということだ。何とハピネスなことなのだろう。最高も最高、大最高である。学びて時にこれを習う、よろこばしからずや! ウッヒョー! 実にインタレスティング!


「忍者の国に、戦士の州に、騎士の王国……。もしかして他にも異世界っていっぱいあるの?」

「世界中至る所に幾らでもあるけど、有名なのは……中国の『仙人の桃源郷』とか、トルコの『軍人の県』辺りかな? 他は衰退したり滅亡したりしてるのが多いし、よく知らない」

「へぇー!」

「さあ、着いた」


 敬兎は団野だんの兵糧丸工房の店の前で足を止めた。


「好きな効果のやつを買っておいでよ。僕はその間、ゾウさんと相談してるから」

「分かった」


 店は尋常でないほど混み合っており、日本の通勤ラッシュを思わせる有様だった。店頭では珠紀たまきが摺鉢で何かを猛烈な速さで潰しながら接客も行なっていた。彼女にはここでの仕事に加えて春班の任務も控えているのだから、馬車馬の如く働かねば間に合わないのだろう。


「おう、来たか、アリス」

「うん。でも、何を買うべきだろう」

「お前、琴班だろ。最低限、疲労回復用と怪我を治すやつは買って行きな。あとはあれとそれとこれと……」


 珠紀は他の店員に指示をして、アリスにぴったりの兵糧丸を包ませた。


「ありがとう。私、頑張る!」

「はいはい、毎度あり」


 さて、琴班の三名は定食屋に入り、早めの夕食を済ませると、店主に断りを入れて机に資料を広げ、計画を立て始めた。

 大筋は徳川家と評議会の方で決めてもらっているので、アリスたちは微調整だけすれば良かった。


「ヤバヴォックの連中も、マルタ空港を丸ごと爆破なんてリスキーな真似をするよな。そんなんじゃ、下手したらゴルバチョフやその側近も巻き込まれるよ」

 敬兎の発言に、アリスはサービスで出してもらったお抹茶を味わいつつ返事をする。

「んー、奴らはゴルバチョフのこときっと嫌いだよ。ゴルバチョフはペレストロイカだのグラスノチだの新しい政策ばかりやるから、それまでソ連中枢で贔屓されていた連中とは意見が合わない。必死こいて権力者におもねっていた奴ほど、ゴルバチョフの下ではうまくいかない。だから、ゴルバチョフも巻き込まれて死んでくれれば、それはそれで良しと考えているんじゃない?」

「そうか……。仮に二人とも死んだら世界はどうなるんだろうな」

「そんなの知らないよ。私たちの仕事は上様の指示に従うことだけだもん」

「そりゃそうだ」


 アリスたちは改めて資料に向き合った。ブッシュがマルタ空港に到着する日時や、通行するはずのルートを確認し、空港の地図を見ながら、敵がいそうな場所を片っ端から洗いざらいチェックしていく。

 作戦はこうだ。

 怪しい場所の周囲を象平しょうへいが巡回し、敵の存在を察知し次第、敵の脳内にある計画までをも根こそぎ察知する。その後、敬兎がその敵が持っている、計画に関する記憶を全て消し去る。その隙にアリスが、敵が持つ武器を押収する。その後三人で、敵が設置したあらゆる危険物を回収する。


「ま、だいたいこんなもので何とかなるだろうな」

 象平はふわあと欠伸をした。

「多少の想定外には、臨機応変に対応すればいい。一番の懸念はやはり、敵が騎士だった場合だな。そうなると向こうもこっちを警戒しているだろうし、俺たちの忍法が防がれるとか、未知の十字軍戦法を使われるとかの危険もあるな」

「その場合、僕たちには備えようがないね。向こうの人数も能力も分かっていないし。なのに、失敗したら大量の犠牲者が出る。こんなに五里霧中の状況でこんなに重大な任務をやるのか……。うーん、心配だな」

「いやあ、心配するだけ損でしょ」

 アリスがこれまたサービスで出してもらった大福餅を手に取りながら言うと、敬兎は珍妙な生き物でも見るような不審そうな目でアリスを見た。

「どういう意味だ?」

「だってそんなのあらかじめ対策する手段がない問題だし、そもそもそういう困った事態に陥るかどうかすらも分からないし。今から悩んだってどうしようもないし無駄だから、くよくよするだけ損ってこと。あれだよ、案ずるより産むが易しってやつ? 困るなら、実際に困ったことになった時だけで充分でしょ」

 アリスは大福餅の最初の一口を食べた。象平はおかしそうに「うはは」と笑った。

「お前さんは本当に肝が据わってるな、アリス」

「まあね。だいたい、私がいるんだから失敗なんてあり得ないって。敬兎も肩の力を抜きなよ」

「……噂通りの性格してるね、君……」

「えー噂? そっかあ、やっぱり私くらいのウルトラジーニアスな人材だと、人柄まで評判になっちゃうんだね。そんなに褒められると照れちゃうな! あははっ」

「そういう意味じゃないけど……まあいいや」


 琴班の三人は最終的な確認を終えて解散した。アリスは寮の部屋の電気を点けてぬばたまの宵闇を追い払い、懐かしの蒲団を広げてうつ伏せになると、持参した課題図書『方丈記』を読み始めた。何しろついさっきイギリスで起床したばかりなので、今はちっとも眠くないのだ。こんなウツボがのたくったような複雑怪奇な書物を前にしても、頭は冴え冴えとしている。


 そんなこんなで翌日の夕方を迎えた。出発の時間だ。黒装束を身に付け、懐に必要なものを仕舞ったアリスは、その上からブラウスやセーター、ロングスカートなどを着て、コートを羽織った。一般人モードで行動するとなると他の一般人の目に留まるようになり、黒装束姿のままでは明らかに怪しげだからである。


 マルタ共和国へ向かうため、また例の湖畔を目指し勇んで駆ける。途中、四十町の森の中で、偶然にも敬兎と合流した。敬兎はやはり、珍獣の奇行でも眺めているような訝しげな目でアリスを見る。

 

「君、何やってんの?」

「大学の課題図書を読んでるの」

「これは基本的なことだけど、本に注目しながら走っていたら、前方不注意で転ぶと僕は思うぞ」

「私がそんなミスをする訳ないでしょ。それより何より、時間が勿体無いの。時は金なりタイム・イズ・マネー知は力なりナレッジ・イズ・パワー

「だとしても……それでちゃんと読めているのか? こんな薄暗い中を走りながら、文字を読めるとは思えない」

「ちゃんと読めてるし、全部丸暗記できてるよ」

「ええぇ……?」


 集合場所では既に象平が待っていた。


「おお、揃ったな。そんじゃ、行くか。パスポートは持ったかな」

「オフコース!」

「よしよし。そしたら俺が穴を空けてやろう」


 琴班の三人は次々と穴に飛び込み、マルタ共和国に転がり出た。

 現在この国の時刻は朝。そろそろ人々が本格的に活動を開始する頃だ。

 三人はすぐさま忍法を発動した。象平は付近の人間の情報を探り、敬兎は自分と象平の存在を隠し、アリスは一般人モードになる。一般人モードでは動体視力も常人並みになるので、象平や敬兎が走り出したりするとすぐに見失ってしまうのだが、少なくとも今の段階では象平の忍法の精度を上げるために歩きで行動することになっていた。


 象平は油断なく忍法を発動し続け、空港内に潜伏していたテロリストどもを、時には人混みの中から、時にはひとけのない物陰から、次々と摘発した。その数、二十三名。いずれも一般人である。すぐに記憶を消し、現地の警察に引き渡す。危険物の回収には少し時間が掛かったが、それでもかなり順調に任務をこなせていると言える。よってアリスは未だ片手に本を持ったままだった。自分の忍法も意外と捨てたものではないらしい、と考えながら空港内を歩き回る。


 そして象平は、二十四人目のテロリストを見つけ出した。


「──二人とも、気を付けるんだ。いよいよ来たらしい。彼は……騎士だな。コードネームは、鼓手シュラックツォイガというようだな」


 象平が言うや否や、その男の目はアリスたち三人の姿をはっきりと捉えた。敬兎の忍法が、防がれたのだ。


「ほう……何やらコソコソと細工している者がいると思えば……忍者が来ていたか」

 言語はドイツ語であった。やはりシュタージの残党か。

「いや、コソコソ細工してるのはそっちでしょ」

 アリスは本に目を落としながらドイツ語で返答した。騎士は不快そうに顔をしかめた。

「何だ、その女は。ただの一般人が口答えするんじゃない」

 アリスはちらりと男を見た。

 藍色の軍服に、赤い襟と赤い袖口。白いズボン。腰にはサーベル。頭には重そうな金属製の防具。──これが、騎士。何か子どもの頃に読んだ教科書にあった軍服の絵とよく似ている。


「アリス、気を抜くな。まずいことになったぞ。困った時くらい、ちゃんと危機感を持ってもらえるか」

「いやー」


 アリスは忍者モードになって改めて敵を見たが、またすぐ本を読み始めてしまった。


「こいつ大したことないでしょ」

「本当に何なんだ君は。任務を舐めるんじゃない」

「私がいつ任務を舐めたっていうの? 私が舐めてんのは、この目の前のシュラックツォイガって奴のことだよ」

「それは仕事を舐めてるのとほぼ同義だけど?」

「んー」


 アリスはページをめくった。


「だいたい、騎士が来ることは想定内でしょ。象平がこいつの力量を察知すれば、自ずと対処法も分かるって」

「警戒している敵相手の察知は難しいがな……どうやらこやつは、自分に有利な結界のようなものを張れるようだな」

「ゾウさん……。それは、ただでさえここには騎士物質があるのに、更に向こうに有利になるということ?」

「そうだな」


 シュラックツォイガは苛立たしげに爪先で床をコツコツと叩いた。


「何を言ってるかサッパリ分からんが、無駄口の多い奴らだな。まとめてこの剣の露と消してやる」


 彼が繰り出したのは、騎士道を用いた恐ろしく速い剣捌き──忍者でなきゃ見逃しちゃっていただろう。しかしアリスたちは忍者なので、彼の動きを見切っていた。


「はーあ、本当に徒然つれづれ。徒然すぎて拍子抜けだよ」

 アリスは攻撃を避けたついでに空中で一回転しながらも、書物から目を離すことはなかった。

「何だお前は。何故そこまで本に執着するんだ」

「何故って……あなたの相手は退屈だから、片手間に『徒然草』を読んでるの。邪魔しないでよね、これ明後日までの課題図書なんだから」

「……退屈、と言ったのか?」

「言ったけど? それにいくらあなたに地の利があったって、三対一じゃ勝ち目はないんじゃない?」

「フン……お前の安い挑発になど乗るものか。それに、いつから俺が一人きりだと錯覚していた?」

「へー。お仲間がいるんだって、象平。調べてもらえる?」

「ふむ、そうしよう」

「無駄だ。増援を待つ必要もない。この場でまとめて叩き潰す」


 シュラックツォイガは胸の前で十字を切った。


十字軍戦法クロイツツーク・タクティク荒野聖ハイリガー・デア・ヴィルトニス


 その瞬間、アリスたちの周りに、どんよりと雲が立ち込めた枯れ草ばかりが広がる光景が広がった。所々、ゴツゴツとした岩場があるだけの、不毛の大地だ。そしてシュラックツォイガの前には、一昔前の学者先生のような黒くて長い衣服を着た男性がフワフワと浮かんでいた。


「あの幽霊みたいなのが、この空間のかなめだな」

 象平は言った。

「あいつを倒さん限り、騎士に有利な条件が続く」


 幽霊と呼ばれた男の姿は、どうも有名な偉人カール・マルクスに似た顔立ちをしていた。聖人ハイリガーと言っても、共産主義国家は多くが無神論を取っているので、キリスト教関係の偉人などを採用できなかったのだろうか。いや、どうでもいいことだったな。


「でも、ゾウさん──この空間の中であれば、僕たちが暴れ回っても一般人に被害が出ないってことか?」

「そうだな」

「なら遠慮は要らないじゃないか」

「そうだな。あの幽霊はお前さんたちに任せた。その隙に俺が騎士を狙う」

「了解した」

「ラジャー!」


 アリスは張り切って本を懐に仕舞い、短刀を手にした。生身の人間相手でないなら、切り刻むのに罪悪感はない。敬兎に続き、ロングスカートをひらめかせて幽霊に突撃する。


 結果的に、アリスの見立ては正しかった。


 この騎士は──シュラックツォイガは、ここまで有利な条件下であっても、忍者三人の手にかかればあっという間に対処できる男だった。幽霊は切り刻まれて霧のように消えてしまい、シュラックツォイガは縄でぐるぐる巻きにされてしまった。彼は計画の記憶どころか全ての記憶を失い、自分が誰かも思い出せぬまま涎を垂らして空港の床に転がされた。彼が何故あんなに余裕綽々の態度だったのか、アリスは理解に苦しんだ。

 様子のおかしな男が束縛されて警察に引き渡されるところを、空港内の一般人たちは遠巻きにしつつ奇異の目で見ていた。

 しかし、安心も束の間。


「──ヘェ。そこそこやるわね、あなたたち」


 カツカツと靴音を響かせながら、軍服の女性がこちらに歩いてきた。アリスより暗めの色合いの金髪で、胸部などが割かし豊満な体型の人物である。アリスは再び本を取り出そうとしていたが、念のためやめにした。

「わー、女騎士だ」

 アリスが言い終えるのを待たずに、彼女は騎士道を駆使して素早くサーベルを抜き払い、襲い掛かってきた。アリスは大きく飛びすさって攻撃を避けた。


「ひえっ、デンジャラス! そんなことしたら私が死んじゃうでしょ!」

「殺しにかかってんのよ、こっちは」

「でも残念、あなたも私たちの相手じゃないみたい」

「……何が言いたいのかしら」

「あなたたちの技、騎士道って言うんだっけ? 確かにすごいかもしれない。でもその強さ──世界じゃあ二番目以下だね」

「何ですって? 出鱈目なことをほざくのはやめて!」

 彼女は青筋を立てて怒鳴り返した。

「私たちの他に、一体誰が強いって言うの? 仮にも騎士道は、世界の全てを手に入れたヨーロッパ発祥の技術なのよ!?」


 共産主義圏の味方のくせに帝国主義の所業を自慢するとは、かなり頭のおかしな女だなとアリスは思った。


「分かってないなあ。言うまでもなく忍者が世界一に決まってるでしょ。実際あなた、このマルタ島の騎士物質の恩恵を受けておきながら、忍者である私に傷の一つも付けられていないし」

「くっ……! それは、これから存分に付けてやるんだから問題無いわよ!」


 その瞬間、女騎士の纏う空気が変わった。


「お前さんたち、気を付けなさい」

 象平が言った。

「彼女の── 笛吹プファイファーの十字軍戦法は、どうやらちょこっと厄介だからな」


 アリスはやや腰を落として身構えた。これは……ちょっとは退屈せずに済みそうだ。

 プファイファーは静かに胸の前で十字を切った。


十字軍戦法クロイツツーク・タクティク五十之塔フュンフツィヒ・トゥルメ


 次の瞬間、バキャッという衝撃音と共に、ぴかぴかに磨き上げられた空港の床が、割れた。

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