第7話 詰め込み修行

「ほぉん? ふぅん? それで、お前も忍者にならないか、って言われたんだな」

「ちょっと違うけどだいたいそう」


 翌朝、アリスは心愛ここあからの指示通り、特別指南役の元に教えを請いに来ていた。

 師の名は、大栗海明おおぐりかいめい。日に灼けた肌と、やや長めの髪が印象的な、日本人にしてはガタイの良い青年である。

 彼の開いている修行場「臥里葉庵がりばあん」は、成宮京の東に隣接する集落、「盧敏村ろびんむら」の中ほどにあった。場殿塾からはやや距離があるが、体力作りの一環として、アリスは走ってここまでやってきたのだった。


 畳の間に正座したアリス本人から、改めて事情を聞いた海明は、面白そうにニヤニヤしながら腕組みをしていた。

 

「そんで、子どもらが初等教育のお勉強をしている午前の間に、俺が特別訓練を付けるよう仰せつかったって訳ね。そういうことなら、ビシバシ行くぞ」

「お願いします!」

「初回はゲーム形式で実力を測るのが俺のやり方だ。今からお前には俺と、将棋蹴鞠しょうぎけまりをやってもらう」

「衝撃無理?」

「違う。将棋と蹴鞠を交互にやるんだよ」

「ああ、そういう……。斬新なゲームだね」

「ま、最初はボッコボコに負けるのが様式美ってやつだ。叩き潰してやるから、全力でかかってきな」


 あっという間に、アリスの闘志に火がついた。その炎は、スコットランドはシェットランド諸島の伝統的な火祭りであるウップ・ヘリー・アーの如く、全身に燃え広がった。

 よりにもよって、この自分がボッコボコに負ける? そんなことは天地がひっくり返ってもありえない。


「蹴鞠って、サッカーのリフティングみたいなものでしょ?」

「一応はな。鞠を落とさないように足で蹴って次の人に放る。一度につき三回まで蹴って良い。その点、バレーボールにも若干似ているな」

「そして将棋は、日本版のチェスみたいなボードゲームでしょ?」

「まあ、そうだ。将棋と蹴鞠を三十分ずつやって、勝敗がつくまで続けるんだ」

「ふふん」


 アリスは鼻を鳴らした。


「運動なら得意中の得意だし、失敗なんかしないよ。それに私がボードゲームで負けるはずがないでしょ」

「へェー? 強気じゃないか」

「当然! 文武両道天才万能大学生の、格の違いってやつを見せてやる。ちょっとルールブック見せて、十五分で覚えるから」

「ルールブックって、将棋のか?」

「そうだけど?」

「ルールも知らないのに負けるはずないとかほざいたのかよ」

「ルール覚えたら勝ったも同然だからね」

「ふざけやがって……。ほらよ」


 海明は将棋の攻略本を持ってきて投げて寄越したので、アリスはパシッと片手で受け取った。ざっと見た感じ、駒の動かし方から、基本的な戦法までは網羅しているようだ。アリスは齧り付くように本を読み込み、十五分きっかりで本を閉じた。


「よし……そういうことね、完全に理解した」

「本当かぁ?」

「私に二言はないよ」

「ふぅん。そしたら、まずは飛車角落ちで相手してやろうか」

「いいえ結構。手加減無用」

「マジで強気だなお前。それじゃお手並み拝見」


 海明は将棋盤と駒を持ち出した。各々、駒を配置に付ける。アリスが玉将、海明が王将だ。振り駒の結果、先攻はアリスとなった。


「それじゃ開始だ。三十分で詰んだら許さねえぞ」

「ご心配どうも。そんなことにはならないから安心して」


 アリスは静かに、一つ目の歩の駒を動かした。

 ──果たして三十分後、アリスは海明に攻め込まれて劣勢に立たされてはいたが、まだ戦える余地を残していた。因みに足は痺れていた。


「ガチで持ちこたえるとは思わなかった。何なんだお前は」

「ふふん。みくびってもらっちゃ困るね」

「そんじゃ、こっちは一時休戦として、蹴鞠に移るぞ。外へ出ろ」

「了解っ」


 正座を続けた後に足をメインで使う競技をやらせるなんて、このゲームはもしや禅の心を身につけるために編み出された修行法なのだろうか?

 とは言え蹴鞠の方は、ルールの他には歌い方を覚えるだけで済んだ。連続して蹴った数を共に数える歌だ。

 海明は五色の布で縫われた小さな鞠を持ってきた。アリスは気合いで足の痺れを取り払った。いざ尋常に勝負である。


「ひい、ふう、みい」

「よ、いつ、む」

「なな」

「や、ここの」

「とお、ひい、ふう」

「みい、よ」


 これを延々と繰り返す。二十回以降は、「とお」の代わりに「二十」「三十」と歌うことで、回数を忘れることを防ぐ。

 アリスを失敗させようと、あっちこっちに鞠を蹴って寄越す海明だったが、アリスは縦横無尽に駆けずり回り、全てのパスを受け止めてみせた。

 三十分の間、鞠は一度も地面に落ちず、回数カウントは千を突破した。


 息を切らしながら室内に戻り、将棋を再開する。

 これを何度も何度も何度もやっている内にアリスもコツを掴めてきた。将棋では攻めの姿勢で打つことが可能になったし、蹴鞠に至っては海明を翻弄すべくオーバーヘッドキックを叩き込むようにさえなった。


 結局この日、午前中に勝敗が決することは無かった。


「どういうことだってばよ……」

 海明は少なからず驚嘆している模様だった。

「こんなのは初歩的なことだよ、海明」

 アリスは呼吸こそ乱れていたが、まだまだ余裕のある表情だった。

「だいたい、私は生まれついての天才で万能な上、運動に関してはおばあちゃんから色んなことを教わったからね」

「……おばあちゃん?」


 海明は妙な顔でアリスを見た。


「それはどういうことだ?」

「私、子どもの頃、おばあちゃんとよく遊んでたんだ。駆けっこをしたり、球技をしたり。夢中になってやってる内に、足もすごく速くなったし、動体視力もすごく良くなった。私の運動能力はおばあちゃんのお陰ってわけ」

「いや……いやいやいや、おかしいと思わなかったのか、お前。鍛えられ方が普通じゃないぞ」

「えー? だってそれは、私が誰よりも優秀な天才万能ガールだからでしょ?」

「それだけじゃ説明がつかないんだよな……。ちなみにそのおばあ様の名前は?」

「エリカ・ユーニア」

「ふむ……」

「日系人だよ」

「エ!? 日系人!?」


 海明はかなりびっくらこいた様子で、臥里葉庵じゅうを震わせるほどの大きな声を出した。


「それなら……おばあ様の正体が抜け忍の一人って可能性も出てくるじゃないか!」

「そんな話は聞いてないけど」

「いや充分ありえる。だいたい、お前が日系人の血筋なら、敬兎けいとはそこまできちんと調べて上様に報告しているはずなんだよ。でもそうはならなかった。こんな事態は、相手もまた忍者で、意図的に情報を隠していたからとしか考えられない……」

「なるほど」

「因みにおばあ様は、日本式の名前は持ってるのか?」

「うん。坂中衿佳さかなかえりか

「知らんな。偽名か……」

「そうなの?」


 海明はささっと装束についた埃を払った。


「とりあえず、今日の修行はここまで。俺はこの件を上様に報告する。アリスは場殿塾に戻って飯でも食って、午後に備えろ」

「分かった。海明、稽古をつけてくれてありがとう」

「はいはい。それじゃまた明後日な」

「明後日? 明日は?」

「明日は日曜日。休日だろが」

「ああ、そういうことね」


 しかし休む暇などアリスにはない。明日は自主練でもしておくかとアリスは考えた。

 さて午後になり、芙美ふみや子どもたち相手にバトルを繰り広げたアリスは、疲れ切って寮の蒲団でグウグウ眠り、休日の朝を迎えた。


 窓を開け、清涼な空気を目一杯吸い込む。気力とやる気を満タンにして、朝食の白米を貪り食い、庭に降り立った。


 忍者修行で何が有効かなど知りはしない。とはいえ何の考えも無しに我武者羅に頑張るだけで強くなれるはずもないし、そんなのは非効率的すぎてとてもじゃないがやっていられない。そこで今日は主に、おばあちゃんから教わったやり方を思い出して実行することにした。

 簡単に言うと、ただただ走るだけなのだが、わざと障害物のある道筋を選んで、目まぐるしく体を操りながら走ることで、体力だけでなく他の筋肉やバランス感覚も培われるのだ。

 アリスは寮から出て、間近にある森の中に踏み入った。ここなら、段差や木々などの邪魔が入るから、訓練に使えるはずだ。


 アリスは、走り出した。

 そしてすぐに気づいたことがあった。

 イギリスで遊んでいた時は、あまり熱中すると疲労などによりうまく体が操れなくなっていたのに、ここでの修行は遥かに楽だ。楽なのに、力が付く。不可解すぎるフェノメノンである。無茶な動きもひょいひょいできるし、どんどんと筋力がついていく感覚もする。これが、忍者物質なるものの効果だろうか。入道雲が膨らむようにむくむくと際限なく力が湧いてきて、何だってできる気がしてくる。

 アリスはこの日、森の中を縦横無尽に駆け回り、地上も樹上も岩場も崖も、好きなように移動するすべを身に付けた。体力も無尽蔵に出てくるし、もう向かう所敵なしだ。


 そうして翌日の午前、満を辞して海明の修行に臨んだ。


「ぬわーっ!?」


 アリスは成す術もなく海明に背負い投げをされ、床にダァンと叩きつけられた。


「えっ!? つよ!! 海明そんな強いの!? うわあ背中痛い!」

「あのなあ。こないだのゲームは、実力を測るためって言ったろ? 本当の修行はこっからだよ。初手から上手くやれるなんて思うな。這いつくばって辛酸を舐めて泥水を啜れ。道は、苦行を積み重ねた者にのみ開かれる。忍道に王道無し」

「むー……!」


 それは正論だが、単純に勝負で自分よりずっとずっと上を行く者の存在そのものが納得いかない。先日、東居とうい兄弟にボロ負けしたのは、まだ右も左も分からない頃だったが、今回のようにアリスなりに対策してから挑んだことで負けるのは甚だ遺憾である。アリスはやっとこさ立ち上がると、不満げに海明を見上げた。しかし海明はどこ吹く風だ。


「じゃあ今から忍道の体術を教える。早く覚えるこったな」

「はいっ! ところで、忍者の体術って、空手じゃないの?」

「何で真っ先に空手が出てくるんだ……? そいつぁ全然違う流派。ただし忍術は攻撃よりも護身が目的だから、空手や合気道と通じる部分はあるな。そもそも、忍者とはなるべく敵との戦闘を避けるのが基本だ。戦わずして勝利するのが最善。『孫子』にもそう書かれている」

「ふむ、確かに」

「加えて、お前の忍法は戦闘向きではない。一般人になりすまして諜報活動をするとかの方が得意のはずだ」

「それもそうだね」

「だから戦闘訓練はささっと終わらせる。要は、お前が忍者モードとやらを自在に操れるようになりゃ解決なんだから、武術を磨き上げることが必須ではない。とっとと覚えろよ」

「押忍!」


 海明は非常に効率よく、アリスに忍者の戦い方を教え込んだ。アリスは当然たちまち全てを身につけたし、追加で武器を使った戦いまで教えてもらった。


「手裏剣の殺傷能力は低い。ただ、敵に当たれば何かしらの傷を作れる可能性が高いから、敵の足止めとしては丁度いい。あらかじめ撒菱まきびしのような罠を仕掛けられなかった場面で投げることで、逃げるための時間が稼げる」

「ふむふむ」

「ただし、殺す必要があるならば迷わず一瞬で確実にやれ。こういう時は守りを捨ててよし。奇襲が一番だ。急所を一突きな。急所ってのも色々あるが、実戦で一瞬で片を付けるなら、こことここと、あとこことここが有効だ」

「……。オッケー覚えた」

「試しにやってみろ」

「いいの?」

「素人に俺が負ける訳ないだろが」

「ふーん。じゃあ行くよ。ほあたっ!」

「躊躇なくやってくれるじゃないか……。ま、体捌きも正確でよし。その調子なら問題ないな」

「ふふん、当然だね!」

「おし、休憩。次は気配の消し方とか走り方とか穴の空け方とか、よく使うような技を仕込むぜ」

「お願いしますッ!」


 アリスは海明の隣に座り込むと、気になっていたことを尋ねた。


「ねえねえ、海明はさ、忍法は何なの?」

「ん? 俺の忍法? 踊りの術」

「踊りの術……?」

「不思議なおどりを踊らせる」

「何ソレ。弱そう」

「はあー? 弱かねぇよ。ランダムで色んな種類の踊りが出てくるから、誰にも対策できない技なんだぜ。あれだぞ、エイサー・アワ・ドスコイおどりとか出るぞ」

「はい?」

「ウンパ・ルンパ・ルンバ・サンバおどりとかも出る」

「はい?」

「いっちょ、かかってみるか? 俺の忍法」

「いや、いらない」

「遠慮すんなって。忍法・踊りの術!」


 途端にアリスは立ち上がり、全身を使ってありえない動きをさせられた。


「はあぁ!? いや無理!! どういう踊り!? 人類には不可能だよこんなの!」

「おお、セコイ・ムーン・マーズ・ウォークおどりが出たか。良かったな、珍しいやつだぞ」

「いや何も嬉しくない! あと月なのか火星なのかはっきりして欲し……イタタタ!! 何この動き!! 骨が折れる!! 粉砕されるっ!! ちょ、止めっ、止めてくんない!?」

「それ、始まったら終わるまで止まらないんだ。舌を噛むから喋んなよ」

「……!!」


 最後まで踊らされたアリスは、全身の痛みと疲労に耐えかねて前のめりにぶっ倒れた。身をもって知った──確かにこの忍法は強力だ。忍者を舐めてかかってはいけない。


 さて、忍者の国に来てから六日目、アリスは見違えるほどに成長していた。

 海明が手放しで褒めるくらいには技術が身についた。互角とまではいかないものの、海明と善戦できるくらいには成長していた。塾では子どもら三人よりも圧倒的に強くなった。鬼教師の芙美にも絶賛され、背中を痛いほどにバンバンと叩かれた。アリスは危うくゴリラにでもぶっ叩かれているのかと錯覚する所だった。


 そして、技術の習得に伴い忍者モードの何たるかを知ったアリスは、忍法も問題なく使えるようになっていたのだった。

 まあ、天才万能大学生にとっては、この程度のことなどお茶の子さいさいだ。


「この短期間で、僕より強くなって、忍法まで使えるようになるなんて……」

 飛竜ひりゅうは少し自信を無くしたように呟いたので、アリスは彼の肩にポンと手を置いた。

「気落ちすることはないよ飛竜。今回は相手が悪かっただけだからね」

「気落ちは、してない……」

「あ、そう? なら良いけど」


 海明は、アリスを褒めながらも、腕組みして唸っていた。


「いやいやいやいやいやいや……イカレてんだろ。いくら俺が鍛えたからって、こんな早いことあるか? 前代未聞じゃないか。四日くらいしか稽古してないぞ。スポンジもびっくりの吸収の早さだよ。何の冗談だってんだ……やはり天才か……」

「今更? 最初から言ってるでしょ、私は天才万能大学生だって。そしてこれからはそれに加えて、最強で無敵の忍者ってわけ」

「まだまだ新米の域を出ないのに、よくまあそんなことを豪語できるな」

「こういうのは口に出すのが大事なんだよ。言っている内に本当になるから。それにね、海明がいたからこそ、私は強くなれたんだ。感謝してるよ」

「そりゃそうだが」

「『私は、私を強くして下さる方によって、どんなことでもできる』──キリスト教初期の使徒、パウロの言葉だよ。聖書に書いてあるんだ。良い格言でしょ。私も、海明が私を強くしようとしてくれたからには、何だってできるようになって当然なんだよ」

「んん……? いや、その理屈はおかしい。色々とおかしいが、少なくともそりゃただのパウロの個人的な宣言じゃないか。お前に関係なくないか」

「パウロにできるんだから、私にできないはずがないでしょ」

「どういう思考回路だよ」


 ともあれ晴れて忍法を習得したアリスは、自分の技に名前をつけた。


「忍者モードと一般人モードをスイッチできるから、切替の術っていうのはどう?」

「良いんじゃないか。これで一応お前は、穴を通れる技術が身に付いたってことだ。あとは合法的に通行できるよう、試験に合格して上様に認可をもらってこい」

「はい」

「という訳であれをやろう、あれを。たつの首の玉の試練」


 海明はニヤリと笑った。アリスは首を傾げた。


 龍の首の玉ドラゴンボール……。それは竹取物語の予習で出てきたアイテム。作中では、とある男が苦労して手に入れようとしたが一目見ることも叶わなかったという、伝説の宝物だ。

 ドラゴンと戦うシチュエーションは誰もが一度は憧れるものではなかろうか。まるで、イギリスに伝わるいにしえの英雄のようである。


「龍を倒してお宝を奪ってくるってこと?」

「はあ? お前、疲れてんのか? 龍は架空の存在だぞ」

「えー! なあんだ」


 つまんないの、と口を尖らせるアリスに、海明は詳細を話した。


「成宮京から西へ進むと断崖絶壁が聳え立ってる。その頂上には龍首たつくび神宮寺っつう場所があってな、忍者見習いは修行の総仕上げとしてそこに登ってお守りをもらってくるんだよ。要は最終試験って奴だな。神社に辿り着くのには、基本的にはどんな手を使っても構わない。忍法・変化へんげの術で鳥に変身して、難なく一っ飛びした奴もいたな。ま、頑張れよ。今日はもう遅いから、明日な」

「分かった」

「こいつをクリアしたら、とりあえず一丁前だ。そんでもって上様に認可を頂けたら、穴を通れるようになる」

「そっか! それなら必ずやり遂げるよ!」


 アリスはその大きな碧眼を、すずの炎色反応のように爛々と光らせて、そう誓った。

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