第3話 面倒くさい双子

「じゃ、行ってくるねぇ、師匠」


 知紗ちさは吊り目がちの目をキノコの上の象平しょうへいに向けて、そう声をかけた。


「くれぐれも真面目にな」

「了解〜」


 知紗はくるりとこちらを向くと、徐々にその体を透明にさせながら、小声でアリスにこう伝えた。


「師匠のお達しだから、案内はしたげるけど、ダルいから適当に行くよ。上様はねぇ、成宮京なるみやきょうっていう都にいらっしゃるんだよねぇ。四十町の森を通り抜けなきゃ会いに行けない。歩くの頑張ってねぇ」

 これを聞いたアリスはざっくりと暗算を始めた。森が正方形だと仮定すると、〇・四平方キロメートルの一辺の長さはルート〇・四キロメートルでおよそ〇・六三キロメートル、対角線の長さは〇・六三かけるルート二でおよそ〇・八九キロメートル。多少の迂回があったとしても、ちょっとしたお散歩くらいの距離しかなさそうだ。既に幾らか歩いて来た後だし、全く大したことはない。

「分かった」

「まずはこのまま真っ直ぐね。獣道を辿るだけで良いよ」

「オーライ!」


 アリスが元気よく返事をした頃には、知紗の姿はどこにも見えなくなっていた。

 アリスは言われた通りに歩き出した。ところが森の中というのは陸上競技のトラックと同じようには行かないもので、時折木の根が張っていて地面が凸凹していたり、根本からポッキリ折れた倒木が道を塞いでいたり、突如として行く手に小さな崖が現れたりするので、意外と歩きづらい。

 アリスはやや息を切らしながら質問した。


「知紗、上様って、どんなお方なの」

 返事は無い。

「知紗?」

 森の中はしいんと静まり返っており、風が木の葉を揺らす音や、小鳥の鳴き声ばかりが聞こえてくる。

 まさか知紗は開始早々、アリスを放ってどこかに行ってしまったのだろうか。随分と自由奔放でへんてこりんな女の子だ。適当とは言っていたが、ここまでとは思わなんだ。

 空は徐々に暗くなってきており、殊に森の中だと光が木の葉に遮られてしまう。こんな所に一人でぽつんと佇んでいると、どうにも孤独感を意識してしまう。

 とはいえ、獣道は一本しかないようなので、迷子になる心配はあまり無かった。早いとこ進んでしまおう。


 苦労しいしい、出口の見えない森の中をひたすら歩いていると、不意に木の陰から、精悍な体躯の二人の忍者が飛び出してきて道を阻んだ。

「ひゃっ! 奇襲だ!」

 アリスは尻餅をついた。そんなアリスを見下ろしながら、二人の忍者は互いに言った。


「余所者だよ、逸男いつお

「余所者だな、睦夫むつお

「処す? 処す? 攘夷しちゃう? 天誅いっとく?」

「待て、慌てるな。これは巧妙な罠かもしれん。ひとまず事情を聞かねば」

「それもそうだね。そこの余所者、どうしてこんなところに?」


 アリスは土くれを払いながら立ち上がった。


「私はアリス・リースマン。イギリスの学生。忍者を追いかけていたらここに着いちゃって、帰れなくなったの。今から上様にご挨拶しに行くところで……」


 アリスの言葉を待たずして、睦夫と呼ばれた方が「へえ!」と声を上げた。

「イギリスから? つまり君は『皮肉の花園アイロニック・ガーデン』から来たんだね」

「混ざりすぎだぞ、睦夫」

 逸男と呼ばれた方がたしなめる。

「第一に、イギリスの元首相が演説で言ったのは『鉄のアイロンカーテン』だ。第二に、イギリスは鉄のカーテン上より遥か西に位置する国だ。第三に、イギリス出身の作家が書いた小説の題名は『秘密の花園』だ」

「えー? でもイギリス人はみんな皮肉シニシズムばかり言うって聞いたよ。皮肉の国から来たのは本当でしょ?」

「まあそうだな。その上イギリスは人種差別レイシズムの国でもある。イギリス人は非常に高慢で、偏見まみれの人々なんだ。俺たちは彼らの発言を警戒する必要がある」

「何という怖い話スケアリー・ストーリー! このままじゃ、今にも恐ろしい厄介事テリブル・トラブルがやってくるよ!」


 アリスはいらいらしてきた。どうして自分はこんなふざけた茶番を聞かされなければならないのか。


「ちょっと、二人とも。その失礼なつまらないジョークはやめてくれない? 今すぐに!」

「ああ、失礼」

 逸男は言ったものの、一向に話をやめない。

「とはいえ、こちらがお前の発言に注意することに変わりはない。イギリス人は舌を三枚も持っているんだろう」

「すごいね! 一枚くらい閻魔様に引っこ抜かれても大丈夫だね!」

「はい? いきなり何の話?」

「三枚舌外交のことだ」

「秋刀魚……何て?」

「うん? イギリスではそういう言い方をしないのか? 第一次世界大戦中のイギリスの中東政策のことだ。中東の領土問題などに関して、矛盾した密約を幾つもしたという」

「……ああ! あれとそれとこれとあれと……なるほどね」

「アリスには思い当たる節が四つもありんすね」

「何その語尾。つまんないジョークはやめてって言ったでしょ」


 睦夫はいささかしゅんとして、逸男を見た。


「逸男……この子すごく辛辣で毒舌なんだけど……」

「舌が三枚、いや四枚か? それだけあれば一枚くらい毒があってもおかしくない」

「無いってば。そのネタしつこいよ! あと閻魔様って誰なの」


 彼らはいっとき顔を見合わせたが、やがてぴったり同じ動作で再びアリスを見据えた。


「俺たちが教える必要はないね。近いうちにお前も会えるだろうから」

「そうだ。冥土に行くまでの楽しみにしておけ」

「はい?」

「話が逸れたけど、余所者を上様にお会いさせるわけにはいかないよ。不審者から上様を命懸けでお守りする、それが俺たち双子の仕事だからね」

「その通り。お前のことは、俺たちが死んでも止める。忍道とは死ぬことと見つけたり」


 アリスは呆れ返った。


「死ぬことが仕事って意味? すごくワーカホリック! 神風特攻隊を生んだ国なだけあって、ワークライフバランスの概念がぶっ壊れてるね。仕事ワークライフが一緒くただと、天秤のもう片方の皿に乗せるものがなくなるもんね。それとも上様がそう仰せなの? 人を殺して死ねと──死ぬのを人のほまれと?」


 双子は非常に憤慨した様子だった。


「何だよう。イギリスだって戦争をたくさん仕掛けて、兵士を戦場に送り出して戦わせて、不埒な悪行三昧をやっているくせに!」

「全くだ。自分たちのことを棚に上げて俺たちのことをなじるとは言語道断。これはそろそろ真剣にやらねばな、睦夫」

「そうだね、逸男。遊びはおしまい。こっからはド派手に行こう」


 それを言ったら日本だって悪行三昧では……と文句を言いたいのは山々だったが、ひとまずアリスは身構えた。察するに、この二人はさっきの少年のような見習いなどではなく、本物の忍者。あの時アリスはたまたま忍者モードになれたお陰で難を逃れたけれど、今回はどうなるか分からない。じりじりと後退しながら注意深く見ていると、二人は印を結んでこう言った。


「忍法・歌の術」

「忍法・音の術」


 するといきなり、逸男の手に不思議なステッキが現れた。先端には小ぶりの太鼓のようなものと、謎の紐が二本、取り付けられている。

 一方の睦夫は、一歩前に出て、朗々とこんな和歌を暗唱した。


「思ひわび さてもいのちは あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり」


 途端にアリスはひどい倦怠感に苛まれた。ぺたんと地面に座り込んでしまったアリスは、知らぬ間に涙を流している自分に気づき、大層驚いた。


 畳み掛けるようにして、今度は逸男が太鼓をくるくると振った。すると、テンテコテンという滑稽な音と共に、まるで空気の塊にパンチされたような目に見えない謎の攻撃を、鳩尾に三発食らった。

「あべしっ」

 クリティカルヒット。アリスは吹き飛び、仰向けに地面に倒れた。吐き気が半端じゃない。

 しかし双子は、攻撃をやめない。


「忘れじの ゆく末までは かたければ 今日をかぎりの いのちともがな」


 睦夫の和歌により、アリスは更なる憂鬱感に襲われた。頭の中が、死への恐怖に支配されそうになる──いや、違う。恐怖ではない。これは希死念慮だ。アリスは生まれて初めて、死んでしまいたいと心の底から願っていた。

 そこへ容赦なく繰り出される太鼓の攻撃。アリスには最早それをよける気力もなく、一方的にやられるばかりだ。

 二人とも体格が良いのに、近接戦に持ち込まず忍法による遠隔攻撃を仕掛ける辺りに、何やらこだわりを感じる。

 

「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする」


 もうアリスは指一本たりとも動かせない。声の一つも上げられない。死にたくて死にたくて、涙が止まらない。テンテンテンテン、と小気味よく鳴る太鼓の音にただただ蹂躙されるがままだ。耐えきれず嘔吐するわ、腕は折れるわ、肋骨にひびが入るわ、打撲がひどく痛むわで、散々である。

 死にたくなるのも初めてだが、こんなに一方的にやられたことも初めてだ。こんなに他人との力量の差を見せつけられたのも初めて。屈辱感はあるが、それよりも無気力がまさっている始末。


「こんなもんで良いかな、逸男」

「ああ、睦夫。さっさとふん縛るぞ」


 これまでか、と疲れ切った頭で考えながら、全身の痛みに耐えていると、どこからか聞き覚えのある声が降った。


「あれぇ、アリス、何でくたばってんのぉ?」

 知紗だ。戻ってきたのだ。アリスは無理矢理頭を上げて知紗の生首を見上げたが、一言も発することができなかった。知紗は双子に目をやった。

東居とうい兄弟、あんたらの仕業? この人まだ素人なんだからさぁ、手加減してやりなよ」

「手加減ならしていたぞ。殺してしまっては尋問できないからな。だから武器は一番威力の弱いでんでん太鼓にしておいたんだ」

「俺だって『さしも知らじな燃えろお前は』とか『からくれなゐに首くくれコラ』とかの、威力の高い歌は使わなかったよ。だいたい、俺たちは上様の護衛として仕事をしただけなんだけど! 邪悪で姑息で惰弱な不徳の異族を捕縛しおくが下僕の御役!」

 知紗は空中でくるくる回った。アリスはさりげなく首の断面から目を逸らした。

「んー、まあ、それもそっかぁ。でもねぇ、詳しくは割愛するけど、この子にもちゃあんと事情があるから。上様のとこにはあたしが連れてくし、心配いらないよ」


 知紗は全身を現すと、若干不服そうな双子に背を向け、しゃがんでアリスの肩を叩いた。

「いやぁ、大変だったねぇ。しょうがないしょうがない。こういうこともあるって」

 知紗がアリスを置いてどこかに行かなければ、この事態は防げただろうにと、アリスはぼんやりと考えた。


「ほれ、回復用の兵糧丸をあげるから食べなよ」

 知紗は兵糧丸をアリスの口にねじ込んだ。

「ほら、元気になあれって念じて飲み込む! 特製の漢方薬が大量に混ぜ込んであるから死ぬほどまずいけど、吐いちゃだめだからねぇ。はい、水で流し込むよぉ」

 今度は竹筒から水を飲まされる。アリスは今や別の理由で涙していた。イギリスに生まれてから随分経つが、こんなにまずいものは初めて食べた。

「どぉ? これはねぇ、たとえ三徹したサラリーマンでも、食べればたちまち回復して、四徹五徹と働けちゃう優れ物! 企業戦士御用達の特製品! 過労死も防げて一石二鳥なんだよぉ」

「うえぇ……」

 アリスは呻いたが、知紗の言う通り、気力と体力がみるみる快方に向かうのが分かった。痛みも引いていくし、何故か骨折も治った。アリスはもぞもぞと立ち上がった。

「ありがとう、知紗……」

「どういたしまして」


 アリスは、まだ靄がかかっているような頭をぷるぷる振って、気を取り直した。


「……ねえ、兵糧丸を食べただけで、どうしてこんな超常現象が起きるの?」

「んー? それは、兵糧丸作りの達人の忍者が作ったやつだからかなぁ」

 知紗の返しはあまり答えになっていない気がしたが、超常現象ならさっきから頻発しているし、今更尋ねるのもナンセンスだろう。「忍者だから」──これより他に説得力のある説明など存在しない。アリスは考えるのをやめた。

 代わりに別の質問をする。


「あと、さっきから聞きたかったんだけど、上様ってどんなお方?」

「あー、そうだなぁ」

 知紗が答える前に、睦夫と逸男が即答した。

「俺たちみんなの本当の幸いを願って下さる、優しい、尊い、眩い、凛々しい、慈悲深い素晴らしいお方だよ」

「その高貴さたるや、まさに摩利支天まりしてんの化身。原始の太陽の如き、光の権化であらせられる。決して不敬をはたらくなよ」


 アリスは姿勢を正した。

「なるほど、ありがとう」

 二人が主人をどれほど尊敬しているかはとてもよく分かった。

「それはさておき許さないからね、睦夫も逸男も! この私をあんな酷い目に遭わせるなんて。近い内にぶん殴りに行くから、楽しみにしておくこと! いいね?」


 まくしたてたアリスは、すっくと立ち上がると、二人に背を向けて早足で歩き出した。

 獣道をずんずん進む。

 知紗は再びどこかへ消えてしまったが、もう気にしないことにした。やがてアリスは、鬱蒼と茂る木々の間から抜け出して、拓けた場所に出た。


 そこは、丁寧に整備された庭のようだった。風になびいて爽やかに揺れる風光明媚な草原、ぽつぽつと置かれた平たい飛び石、手入れの行き届いた幾本かの松の木、細く流れる清らかな小川。その向こうには立派な屋敷が見えた。瓦屋根に縁側にふすま御簾みす……これぞ日本式といった佇まいである。ただし、こちら側が背面のようだった。恐らく入り口は建物の反対側にあるのだろう。

「あれが、上様のお屋敷?」

 アリスは建物をじっと見つめながら、どこにいるとも知れない知紗に話しかけた。

「そうだよぉ。お城って呼ぶことのが多いかも。規模は三階建て程度だけどね」

「すごく無防備だね。城壁の一つも無いなんて」

「だって敵襲に備える必要がないもん。外からの敵はみんな穴で弾かれるから、内部抗争にだけ気をつけていれば良いもんね。余所者の侵入なんてアリスが史上初」

「そっか……」


 これは意外と大事件なのかも知れない。アリスは気を引き締め直した。


「あと、あの城、いざとなったら動くし」

「動くの!?」

「床の下にさ、縁の下の力持ち的な小人たちがいて、地面からこう、城ごとドーンと投げ上げられる」

「投げちゃうの!?」

「っていう、与太話」

「何だ、嘘かあ」

「嘘ぴょん。そんなことよりほら、行った行った。アリスが歩かないとあたしが帰れないでしょ」

「はあい」


 アリスは庭の周縁を大回りして、建物の正面を目指した。

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