第3話 魂
「やはり、そんな話は信じられないなあ。じいさんよ。また女狐にだまされてんじゃないのかい?」
「そうじゃのう。ところで腹はすかぬかね。まずお茶をいれるとしよう。」
老人はよいしょと立ち上げると、ふらふらした足どりで台所へ行った。
一人になった十兵衛は、ちゃぶ台に置かれた筆に目がいった。
「ただの筆にしか見えないが、これは金になりそうだ。」
しばらくして老人が茶の間に戻ってくると、そこには十兵衛の姿はなかった。
そして神の筆もなくなっていた。
「やはりな・・・」
老人はちゃぶ台の前に座ると、十兵衛あてに文を描き始めた。
「わしがこの山に出る方法はだた一つ。この神の筆を人に渡すことだけだ。わしの身代わりになる気の毒な少年よ。次に神の筆を渡せる人間が訪れるまでは不死の肉体で、この山に閉じ込められるのだ。」
老人は手紙の最後にこう綴った。
人の欲の深きこと 果てしない
次の朝、老人は日の出とともに目を覚まし、荷物をまとめて外へ出た。
太陽が高く昇っていき、明るく広がる果てしない空を仰いだ。
すると草むらがカサカサという音がした。
「そこにいるのは女狐だろう。お前がわしの身代わりを連れてきてくれたんだろう。わしを助けようとしてくれていたのか。こんな長い年月、ずっとわしを想ってくれていたのか。」
老人は、隠れている女狐に語りかけたが、草からその姿は現れなかった。
「もう八十年も前のことよ。もう怒っていないよ。わしはもうすっかり老いぼれてしまった。山を下りてもあと一年も生きられるかどうか。だからわしのそばにいておくれ。一緒に行こう」
老人の言葉に女狐はばっと飛び出してきた。
昔のように恋する乙女のような目でじっと見つめてくる。
そして一人の老人と一匹の女狐は、魂の山を下りていった。
おわり
神の筆 魂の山 下り 星谷七海 @ar77
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます