第2話 筆
わしの名前は弥助。都では名の知れた絵師だった。
だがわしの腕ではない。この神様からの贈り物、筆のおかげだった。
この筆は、言い伝えがあった。それはどんなものでもそっくりそのまま真実を描くことができるという筆なのだ。
ある日、道で足をけがした狐を見かけた。
おそらく人間をだますために都にやってきたのだろう。
それでもあまりに痛々しい姿はわしは助けてやろうという気持ちになった。
家に連れて帰り、傷の手当てをしてやった。
「ほら、もう都に来るんじゃないよ。自分の山へお帰り。」
忠告して狐を外に放してやった。
しかし、この女狐は、わしの家に何度もやってきた。
きのこやら栗やら色んな食べ物をたくさん置いていった。
わしは、この女狐にすっかり気に入られたようだ。
女狐は、恋する乙女のような目でわしをじっと見つめてくる。
「よしよし。お前のことも描いてやろう。」
わしが女狐のことを描きだすと、女狐はうれしそうにすましたしぐさをしてみせた。
わしらはすっかり仲良くなっていった。
それからひと月後、わしは城に呼ばれることになった。
殿様の大切な愛娘の絵を描くようにと命じられた。
あらわれた娘は、それはそれは美しい娘だった。
わしは、その娘にひとめぼれをしていた。
何とか嫁にしたいという気持ちでいっぱいになった。
高ぶる気持ちをおさえながら、筆を動かしていった。
自分の描いている絵のほうなど全く見ずにただ美しい娘に見惚れていた。
「どうじゃ。絵の進みは?」
殿様が近づいてきて絵をのぞきこんだ。
すると急に怖い顔をした。
「なんという・・・お前は・・いったい・・いったい何を描いておるのじゃ。」
「えっ・・えっ・・・」
わしが自分の絵を見ると、それは女狐の絵だった。
殿様の娘は、目をつり上げてくすりと笑うとさっと去っていった。
そしてわしははっと気づいた。
わしを気に入ってる女狐が、殿様の娘に化けていたのだ。
わしの後をつけて、わしが他の女と恋をしないようにと化けていたというのか。
「違うんです。あれは狐です。狐が殿様の姫様に化けていたのです。本物の姫様はおそらくまだご自身のお部屋にいらっしゃるはずです。」
「ええいっ。何をわけの分からぬことを言っておる。大事な美しい娘を狐になど描きおって。お前は火あぶりだ。この者をとらえよ。」
わしは、家来達をぐぐりぬけ、必死で逃げて逃げて逃げた。
そしてたどりついたのがこの『魂の山』だったのだ。
「魂の山だって。小さい頃、母ちゃんから聞いたことがある。迷信だとばかり思っていた。先代の殿様が、神様からの贈り物である不死の火を持っていたって。そして無実の多くの人々を火刑にして、死ぬことのできない苦しみを与えて楽しんでいたと。」
「そうじゃ。神様の贈り物である不死の火で焼かれた人々の怨念。その怨念と同じく神様からの筆の持ち主であるわしは共鳴しあっておる。わしも不死の肉体になってしまった。ただし、わしが不死でいられるのはこの山にいる時だけじゃ。山から一歩でも出てしまえば不死ではなくなる。ところがわしはこの山からどうしても出られなくなってしまった。怨念に引っぱられているのだろう。もう八十年もの間、この山に閉じこめられたままだ。」
老人は、自分のあごの白くて長いひげをなでながら、寂しそうに微笑んでみせた。
「その火、本当に神様からの贈り物だったのかい?まるで悪魔の火じゃないか。」
十兵衛は首をかしげた。
「神様達もこんなことになるなんて思わなんだ。昔、東西南北からすべての神々が集まって宴会を開いた。そしていつも自分達を祈ってくれている下界の人間達に何か贈り物をあげようということになった。その話を聞いたことがあるかえ?」
十兵衛は首を横に振った。
「その話も聞かせてやろう。これが神様からの贈り物、不死の火の始まりじゃ。」
まず、東の国の半人半象の神が、願いの叶う茶瓶を贈るを言い出した。
そして次々に神様は、色んな贈り物をしていくことにした。
ある南の国の神が、何でも真実を描ける筆を贈ると言った。
それがわしの持っている神の筆だ。
そして我が国、イザナギをイザナミの子である火の神カグツチは、両手に火を持ちながらこれを贈りたいと言い出した。
すると、海をはるかに渡った遠い国のとある神が怒り出して止めはじめた。
その神は不死身だが、人間に火を与えてしまったがために 山にくくりつけられて毎日鷲に臓物を食われ、そして次の日にはまた生き返り、同じ責め苦を受け続けるという地獄を味わった神だった。
「カグヅチよ。そなたの母君は、そなたを産んだ時に火で亡くなっているではないか。火というものは災いでしかないんだ。」
遠い国の神のこの言葉に 火の神はすっかり怒り出した。
そして何が何でもこの火を贈り物にすると言いはった。
神様同士はもみ合いになってしまった。
その時、不死身の神様の体が火に触れてしまった。
触れたことによって、火に不死身の力までも宿ってしまった。
カグヅチはもみ合いになりながらも 何とか下界へその火を贈ったのだった。
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