Special Episode スペースランドホテル⑥

 それから少女が目覚めたとき、窓の外から差し込む光は赤く染まっていた。


 夕暮れ時だ。とはいえ、その赤色は太陽が沈みかけていることを示すものではなく、ただネオ・アルカディアを覆う天球のドームが写す、数千万個のランプの光に過ぎない。


「あぁ、おはよう。ったく、ぐっすり寝ちゃって……」

「……何かあったの?」

「いーえ、別に何も。ただ隣のアイツらがうるさいから、1回怒鳴り込みに行ったけどね。ったく、男どもで何盛り上がってんだが」

「ふーん……」


 寝ぼけた頭を軽く振り、少女はテレビのリモコンを操作する。アトラクションの紹介映像以外にも、追加アメニティや、ルームサービスの注文が行えるようだ。


「どうせ外に出られないなら、それ注文しましょうよ。金はアイツに払わせるわ」

「……そうだね」


 少女はリモコンを動かして、室内にデリバリーできるメニューを見る。


 分厚く大きなリアルミートのステーキから、カラフルなゼリーと錠剤を楽しめるディストピアプレートまで、価格も内容もピンキリだ。


「どうせなら贅沢してやりましょうよ。一番高いのを頼むわよ!」


 リーはそう言って、Lサイズの豚肉ステーキを注文。少女はトマトクリームパスタを頼む。すると3分も経たないうちに、宇宙服らしい制服を着たスタッフが料理を運んできた。


「お待たせしました。ごゆっくりお楽しみください!」

「おおっ、デカイ肉ねぇ」


 2人は届いた肉とパスタを室内の机に置いた。リーはその様子を空中軌道小型カメラで撮影すると、フォークとナイフで肉を切り分け始めた。


「ここからだと、人がゾロゾロ歩いてるのがよく見えるわ。混み混みした遊園地の人を見ながら、静かな部屋で高級料理食うって最高ね!」

「言い方はアレだけど……ちょっとわかるよ。他の人と違う場所から見下ろす感じは、けっこう気分がいい」

「なによ、普通に喋れるんじゃない。折角だから、もっと色々聞かせてよ。あの探偵の男とはどういう関係なの?」


 どういう……と少女は顎に手を当て、首を傾げる。


 初めはただ偶然出会っただけのクライアント。それがいつの間にか、一緒にいると心地良い人間になった。


 そして、命を救われただけでなく、生きる活力を与えてもらった。彼女を長い間縛っていた無気力感と諦念を取り払ってくれた恩人。それがヘクトだ。


「大切な……人、かな」

「ふーん。若いわねぇ。あたしもそんなこと言ってみたいわぁ」

「でも、彼氏がいるんでしょ」

「いることにはいるけどね。あんなのは……腐れ縁よ。さして大切でもないわ」


 そう語るリーの横顔は、単に恋人に不満があるという以上の何かを考えていた。少女にはそう見えた。


(ヘクトならもう少し何かわかったのかな)


 相手が何を考えているのかという問題は、未だ人間とのやり取りを学び始めたばかりの彼女には難しかった。


「ふぅ、旨かったわ。……見て。イルミネーションが灯り始めたわよ」

「……!」


 アトラクションの壁面が淡く紫に光り、ジェットコースターのレールに沿って虹色の光が走る。


 ドン、ドンと銃声のような音が外から聞こえる。それは花火だった。大小様々な花火が、きらびやかなパレードと共に打ち上げられている。


 暗い夜の色の中に眩い光が増え、その下を歩く人々を照らし出している。その瞬間には、誰もがその彩りに見惚れていた。


「ホテルなんてなんとも思ってなかったけど、結構いい景色よね」

「うん。……ホテルはいい所だよ」


 リーの発言に、少女は満足げだった。2人はルームサービスに食器を下げてもらい、ただ何をするでもなく外の景色を眺めていた。


「殺し屋に狙われたり、探偵に匿われたり、宇宙船のホテルに泊まったり……なんか夢みたいな一日だわ」

「明日には……日常に戻れるよ」

「だといいけど」


 彼女は嘆息し、ベッドに寝転んだ。それから、ベッド脇に置かれた薄型の時計に触れる。空中に「08:21」の時刻が薄い水色の光で投影された。


「あたしはもう寝るけど。頑張ってあたしを守ってよね」

「わかった」


 椅子に座り、窓の景色を眺めながら少女は頷く。リーガ寝息を立て始めたのを確認し、再び窓に視線を戻した。



 それからしばらくして、園内から人がいなくなった頃、リーがベッドから起き上がった。


「どこに行くの?」

「ちょっと水を買いに行きたくて。自販機があったわよね。すぐそこだから、ついて来なくていいわ」

「……そう」


 少女は再び窓の外を眺める。もうずっとそうしていた。ホテルからの景色は、いつまで経っても案外飽きないものだ。


「――キャアアアアアッ!!」


 外からの悲鳴に、彼女は飛び上がるようにして椅子から立ち、ドアを開けた。


 悲鳴を聞いてそれきり、廊下は静まり返っていた。一拍置いて、隣の部屋から男――ジャクソンが飛び出してくる。


「おい待てって!」

「待ってられるか! 今の声はリーの悲鳴だ! くそっ、やっぱり奴が来たんだ!」


 彼はカーペットの敷かれた廊下を走り出す。彼女がどこに行ったのかもわからないまま。同じように部屋から出てきたヘクトがため息を吐く。


「やれやれ……。カーバンクル。「男の方を」追ってくれ」

「? 攫われた彼女のほうじゃないの?」

「ああ。そっちは大丈夫だ。俺を信じな」

「……よくわかんないけど、わかった」


 今ならさほど距離は離れていない。追いつける――少女は廊下を走り出した。

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