Epilogue シルバーエッジプラザホテル②
しばらくしてから2人は、「シルバーエッジプラザホテル」のロビーにいた。黒々とした大理石の床が、光を反射している。ガラス張りの壁の向こうには、朝の街が広がっていた。
早朝にもかかわらず、ロビーは大勢の人で賑わっていた。ビジネスマンや他の区からの旅行者らしき人々が行き交い、新聞を読みながらコーヒー飲料を飲んだり、パソコンを広げて作業をしたりしていた。
彼らは皆高級感のあるスーツかドレスを身に着けている。ただのパーカーを着た少女と、安っぽいコートのヘクトは明らかに浮いていた。
2人が入り口付近で立ち往生していると、フロントの男性がにこやかに近づいてきた。
「お客様、おはようございます。ご宿泊ですか? それともお食事でしょうか?」
「……ええと」
口籠もった少女の代わりに、ヘクトが答える。
「シングルルームをそれぞれ1部屋ずつ頼みたいんだが」
男性は慣れた様子で笑みを浮かべた。「ソファにおかけして、少々お待ちください」と言って、カウンターの裏へと消えていく。
数分後、男性は戻ってきた。手には何らかの端末を持っている。
「申し訳ございません。現在、諸般の都合によりお客様のお部屋をご用意できなくなっておりまして……」
「あ〜……」
そういえばその点はまだ解決していないんだった、とヘクトは思い出す。フェイクフラワーズは少女が壊滅させたが、彼らが各ホテルに出した指令は自動的に消えるわけではない。
どうしたものか考えていると――少女は男の胸倉を掴み、顔を引き寄せていた。
「命は大事にしたほうがいい……」
「ひ、ひいぃ!?」
少女が男を脅すのを見て、ヘクトは苦笑した。以前のようにションボリと黙ったままでいるよりはいくらか成長したのかもしれない。いささか直線的すぎるが……。
「まぁまぁ。お前さん、アレだろ? コンボイからこの子を入れるなって通達があったんだろ?」
「……! い、いえ、そんなことは……」
「隠さなくてもいい。で、その通達の件なんだが……誤報というかミスというか。とにかく、解決済みなんだ。じき取り下げのメールも来るだろうよ」
「は……え……?」
「で、俺らはその件に関わってる者でな……早めに休みたいんだ。お前さんには迷惑をかけないと約束する。見なかったことにして通してくれないか?」
ヘクトは少女に目配せする。彼女は頷き、男の胸倉を離した。男はへたり込む。
「……かしこまりました」
「……あ。シングル2つじゃなくて、ツインルームでお願い」
「……? は、はい……」
男が去る前に、少女はそんなことを要求した。しばらくして彼は、2枚のルームカードを持ってやって来る。
「ど、どうぞごゆっくり……」
ルームカードを受け取ると、2人は何食わぬ顔でエレベーターに乗り込んだ。階数を示す数字がみるみるうちに増加し、耳が詰まったような感覚がしてくる。ほどなくして扉が開いた。
廊下に出ると、高級感あるカーペットが敷かれており、2人の部屋を示すランプが部屋のドアの上で点灯していた。
「しかし、どういう風の吹き回しだ? ツインルームを許してくれるなんて」
「今日はそういう気分だった。……たまには、誰かと一緒にホテルに泊まるのも悪くないな、と思ってね」
2人は部屋へと入る。部屋の一面は大きな窓ガラスになっており、バルコニーに出ることもできるようだ。
部屋には上等そうなソファがいくつもあり、暖かなオレンジ色の間接照明が天井を照らしている。
少女は部屋内の探検もせず、ベッドに倒れ込んだ。スプリングが大きく軋み、彼女の体が跳ねる。彼女は目を閉じ、横になった。
「ねぇ」
少女は、眠そうな声でヘクトに話しかける。
「助けてくれてありがとね。……ヘクト」
「え……? おま、俺の名前――」
ちゃんと認識していたのか。ヘクトが彼女の言葉を掘り下げる前に、少女は寝息を立て始めた。
(寝ちまったか)
無理もないな、とヘクトは思う。昨晩はほとんど寝ていないだろうし、そうでなくても色んなことがあった。体力的にも精神的にも限界だったに違いない。
彼女の代わりに、ヘクトは部屋の中を観察した。壁に面して設置された冷蔵庫はまるで家庭用のもので、一般的にホテルに置かれた小さなものではない。
中には各種の酒が取り揃えられ、ジュースや炭酸水なども入っていた。彼にとって馴染みのないミニバーというシステムだが、今日ばかりは利用するのも悪くはないと思っていた。
ベッドサイドの小さな棚の上に置かれたラジオからは、小さくクラシック音楽が流れ続けている。ヘクトはそれを止め、電源を切った。
窓の外を見ると、朝の光に照らされた街が見える。ビル群の向こうにそびえ立つ巨大な塔、コンボイ・セントラルタワービル。
あの大騒動など何もなかったかのように、遠くから見るタワーはいつも通りだった。
彼はバルコニーに出て、タバコに火を付けた。紫煙が風に乗って流れていく。そうして目を閉じ、改めて思考を巡らせた。
(や……ヤベェェ〜〜〜〜。金が、ねぇ!)
顔面から血の気が引き、内臓が冷たくなっていくような気がした。連日のホテル宿泊でただでさえ削られていたヘクトの貯金。
さらに、少女を救出するためのショウへの依頼金が前金で1000AM。成功の報酬を払うとなると、さらに1000AMは要るだろう。
そうしてお祝いのつもりで入ったこのホテル。代金は確認してすらいなかった。
ここのホテル代すら、もしかすると払えない可能性が出てくる。気が重いが、とにかくせめて残高だけでも確認しなければ。
ヘクトはこめかみのチップに手を当てる――同時に、彼に通信が入った。
「あぁ。こちら探偵、ヘクト・ガザルス」
『…………』
「もしもし? イタズラ通信じゃないだろうな」
『……ブルームーンの、タルコフってモンだ。探偵。……俺達の負けだ』
ヘクトはその通信内容に目を見開いた。彼が待ち望んでいた、ギャングからの降伏。つまり、彼らのボスの犯罪の証拠をヘクトから買い上げるということのはずだ。
「へぇ。そりゃ懸命な判断だ。できれば俺らを襲う前に決断してほしかったがな」
『……先のショッピングモールでの襲撃で……構成員がかなり死んじまった。これでボスまで戻ってこねぇとなると、ブルームーンは潰れちまう』
「ソイツは気の毒にな。俺に何か手伝えることはあるかい?」
ヘクトは半笑いで告げた。電話の向こうで、ギャングのメンバーが怒りを堪えているのがわかる。
『……お前が持つという証拠を買う。幾ら欲しいんだ』
「へッ、毎度あり。幾ら、か。そうだなぁ……」
ヘクトは悪い笑みを浮かべながら、頭の中で考えた。この1週間ほどの、少女と自分のためのホテル宿泊料金。彼女に払うべき報酬。ショウへの報酬。
勿論それだけじゃない。ヘクト自身が得るべき利益の分もある。この部屋にはミニバーもあったし、貰った金でホテルで豪遊してみるのも面白そうだ。
どれだけ吹っかけてやろうか。そもそもこちらは何度も襲われている。その怒りに任せて、幾ら要求してきたとしても不自然じゃない。
そうとわかっているから、ギャングは柄にもなく怒りを抑え、同情を引くようなセリフを吐いているのだろう。
(起きたらちょっとした金持ちだぜ、カーバンクル。喜べよな)
ヘクトは通信したまま、部屋の中で泥のように眠る少女をチラリと見て笑った。
■
『シルバーエッジプラザホテル』
★★★★★
値段はちょいと目玉が飛び出るほど高いが、ホテルのサービスは間違いなくピカイチだ。
オマケに外に買いに行かなくても、室内でイイ酒は飲み放題だし、タバコもついてくる。
……ただし、タバコを吸うときはバルコニーに出たほうがいい。気難しい同行者がいるならなおさら。殴られる前にな。
とにかく、めでたいことがあった祝いに泊まるには最適、最高のホテルだ。
金が余ってて、そして誰かと何かを祝いたいなら、ここに泊まるといい。
……例えば、新しい人生の門出のときとかな!
――ヘクト・ガザルスのホテルレビューより。
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