Chapter8-1 ストレイ・キャット・アウェイクニング
少女の意識は朦朧としていた。つい最近、サウナで倒れたときと同じように、頭がグルグルと回っているようで、何よりも眠い。消毒液のような匂いが充満した真っ白な部屋だ。
彼女はベッドに寝かされていた。周りには手術用と思われる器具と、モニタリング用のディスプレイが大量に並んでいた。
「――麻酔が切れかけているようです。どうしますか?」
「またか? 効きにくい体質なのかもしれないな……もう一度打ち直しておけ」
「は、はぁ。しかし、そんなに麻酔が必要なんでしょうか? 最初から動いていませんが」
「さぁな。とにかく、上の方から少しでも目を覚まさせておくなと指令が来ている。ブレインデータ抽出機の準備ができるまで待機し、でき次第すぐに実行だと」
男は面倒くさそうにそう呟くと、別のコンソールをいじって何かを調べ始めた。少女はその様子をぼんやりと眺めていたが、やがて瞼を閉じた。
麻酔を打たれるまでもなく、彼女は眠るつもりでいた。
彼女は、物心ついたときにはすでに暗殺組織、フェイクフラワーズの施設で育てられていた。自分の意識、自分の個が確立するよりも先に、体が人の壊し方を知っていた。
脳にインプラントされた複数の戦闘データ。それはどんな状況でも彼女を戦わせてきた。依頼されるがままに現場に向かい、体が命じるままに人を殺した。
脳内の戦闘データは、ただ体の動かし方を彼女に植え付けるだけのはずだった。しかし実際には、一部の人格、思考回路が彼女の中に勝手に入り込んでいたのだ。
1つのデータごとの僅かな戦闘者の意識。それが彼女に「常識」を植え付けた。
人を殺してはいけない。殺人者は裁かれなければならない――そんな旧世界の常識を。彼女はその道徳観念に縛り付けられていた。
誰よりも人殺しが得意でありながら、この時代の誰よりも人殺しを忌避する。カーバンクルという兵器は、生まれたときから失敗作だったのだ。
(……人殺しは……死ぬ。当たり前のこと)
そんな少女にとって、おそらく初めての「自我」と呼べるものは、ホテルへの興味だった。
シンプルな部屋、微かな非日常感、安心感。ホテルに泊まったり、ホテルで楽しんでいる間だけは、自分が死ぬべきだという自責の声が聞こえなかったのだ。
そんな芽生えかけた自我に一抹の希望を託して、彼女は組織から逃げ、ホテルに泊まり歩いて暮らしてきた。そんな日々を続けて――もう1つの「自我」が芽生えた。
ヘクト・ガザルス。ほんの数日ではあったが、そのほんの数日の人間との付き合いすらなかった彼女にとって、それはあまりに眩しいものだった。
生きていて欲しいと強く願った。だから彼女は今、ここにいるのだ。
(探偵には、悪いことしちゃったな……)
自殺の口実に使うんじゃねえ、と彼は憤っていた。そんなつもりではなかったが、そうだと言われても否定はできない。
しかし事実、彼を守りながらフェイクフラワーズ――特に『隊長』というあの男がいる状態で、あそこから離脱するのは難しかった。
彼には生きていてほしかった。人と一緒にホテルに泊まる楽しさを、最後に教えてくれた彼には。たとえ彼が、それを望んでいなかったとしても。
「――では、再度麻酔を投与します」
注射器を持った男が近付いてくるのを、うっすらと開いた目が捉えていた。抵抗は、しない。
その時だった。突如、手術室にマイクのハウリングのような音がけたたましく鳴り響いたのだ。眠りかけていた彼女の意識が、微かに呼び覚まされる。
『カーバンクル!!』
次に響いたその声によって、彼女はよりはっきりと覚醒させられた。
「た、ん……てい?」
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