幕間 残された男②
それから数時間が経った。ヘクトは、サウス区の寂れたバーにいた。ある人物と待ち合わせをするためだ。
待っている間に酒を飲んだが、ちっとも酔えはなかった。今に住人がヘクトに気付いて、ギャングに通報するかもしれない。はたまた、ギャング自体が現れて襲いかかってくるかもしれない。
少女が共にいる間には決してなかった不安が、彼の酔いを冷まし続ける。まるで内臓の中にただ酒を捨てているような感覚だった。
「――やぁ。こんなすぐまた会うとはね」
待ち人が現れた。それはおおよそバーに似つかわしくない白髪の少年。夜も遅く、誰もが酔いが回っているからこそこのバーに入り込めたような若い見た目だ。
「本当は来世で依頼する気だったんだけどな――ショウ」
ショウ。ウエスト区でヘクトの命を狙ったヒットマン。暴走しがちな気質ゆえに、今は彼もヘクト同様、ブルームーンに追われる身だった。
だというのに、堂々とサウス区に姿を現すのは、やはりその腕に仕込まれた強力な武器ゆえだろうか。
「あいにく生き残っちまったもんでね。せっかくだから、依頼したかったのさ」
「ふーん……。それで? あの女はどこに行ったんだ?」
「ああ。今回依頼したいのがまさにそれだ。カーバンクルが拐われたんだよ。それを取り戻したい」
「はぁ?」
「相手はフェイクフラワーズ。コンボイ社お抱えの暗殺組織だそうだ。カーバンクルの古巣でもあるらしい」
「そりゃ……知ってたけどよ。オイ! ちょっと待て」
ショウはヘクトの言葉を遮り、頭に手を当てた。情報量のあまり頭痛でも催したのだろうか。ヘクトは一時中断し、ショウの再起動を待つ。
それにしても、ショウがカーバンクルの正体を知っていたというのはヘクトにとって意外だった。ハッカーとしても一流という話はあながち嘘でもないらしい。彼は期待で胸が重くなる。
「……俺に依頼したい仕事ってのは?」
「フェイクフラワーズ……というかコンボイにハッキングを仕掛けてほしい。お前さん、確かハッカーだって名乗ってたよな?」
「お前さぁ。俺が来るまでに何本飲んだんだ?」
ヘクトは苦笑して、酒が入ったグラスを一息に空けた。
「ちっとも酔ってねぇよ。シラフでも全く同じことを言うぜ」
「あぁ、そうかい。だったら頭を付け替えてもらえ。交換時だよ」
ショウはそのまま席を立とうとする。当然だ。ここはネオ・アルカディアという名の王国。王の名はコンボイだ。
王に逆らう愚かさなど、いちいち議論する余地もないだろう。それでも、ヘクトは彼の手を掴んだ。
「頼む。お前しかいないんだ」
「俺はサウス区の娼婦じゃねぇぞ。そんなクソワードで口説けるかよ」
「カーバンクルが死んで困るのは、お前くらいのモノなんだよ。わかるだろ? アイツが死ねば、お前はアイツに負けたという汚点を人生に残したまま、一生拭えなくなる――」
ショウはヘクトの首元にぴたりと手を添えた。彼を射抜く眼差しは鋭く、その手の先から、いつブレードが飛び出してもおかしくはない。
「お前を消せばそんな事実も無くなるだろうが」
「それでお前が納得できるならすればいい。やれよ」
ヘクトは首に手をかけられたまま、ショウを睨む。その鬼気迫る迫力に、彼は手を離した。
「なんなんだ、お前。イカレてるぞ」
「言ったように、俺は酔ってねぇ。命を張る覚悟だ。コンボイに殺されるのも、お前に殺されるのも。ギャングに殺されるのも、今さら大差はねぇ」
それから、ヘクトはショウに勢いよく頭を下げた。
「協力してくれ。取り戻したいんだ、カーバンクルを。手遅れになる前に」
「……何でそこまでする? お前とアイツはそんな深い関係なのか?」
「いいや。会って1週間も経っちゃいない。小生意気で色気づいたガキさ」
「だったら何で――」
何で。だろうな。ヘクトは自問自答した。これまで人助けなんて滅多にしたことがない。サウス区の何もない場所で育って、旧世界の映画に憧れて探偵なんかを始めて。
小狡い手で金を稼いで、機嫌を取って、酒を飲んで、溺れて。
おまけに、助けようとしている相手だって、誰もが助けるべきような無垢な聖人じゃない。彼女が自分で言っていたように、人殺しで、裏切り者だ。
じゃあなぜだ? 自殺の口実に使われたのがムカついたからか?
命を救われた恩返しのためか?
自分になついてくれていた相手だからか?
娘ができたみたいで楽しかったからか?
『隊長』の態度が不愉快だからか?
自分がセントラル区のホテルを提案したのが、彼女が捕まるきっかけになってしまったからか?
それともただ、一度やりかけた仕事が途中で終わったのがスッキリしないだけなのか?
きっとそのどれでもあり、どれでもなかった。ただひとつ言えることは――。
「目の前でお姫様が拐われたんだ。助けに行かなかったら、男じゃないだろ」
「ハッ――」
ショウはそれを聞いて失笑した。それから席を立つ。
「そのお姫様にボコられた俺にそんな話を持ちかけるかよ、普通」
「それで。答えは?」
「――付いて来い、ヘボ探偵」
■
2人はエアタクシーに乗りながら作戦を話し合っていた。
「……いいか。まずカーバンクルの居場所だが、大体予想が付いている」
「コンボイ・セントラルタワービルか?」
「ああ、そうだ。そこをお前にハッキングしてもらいたい」
ショウはノートパソコンを取り出し、いくつかのプログラムを立ち上げる。パソコンから伸びるコードを自身の首元のジャックに繋いだ。
「お前には残念なお知らせだが、コンボイのビルのシステムを丸ごと乗っ取るなんてことは無理だからな。相手にもハッカーは山ほどいるんだ。俺と同じか、俺よりヤバイくらいのハッカーが」
「そんなに大規模なハックじゃなくていい。ただ、ビル全体の放送システム……そういうものを、1分かそこら乗っ取ってくれればそれでいい」
「……できなくはないラインだ。けど、放送設備なんかハックしてどうする。まさかあの女への愛でも叫ぶのか?」
ショウがヘクトを嘲笑するような笑みを浮かべる。対する彼もまた、不敵に笑った。
「そのまさかさ。とにかく、アイツに声を届ける。アイツが目を覚ましさえすりゃ、勝手に帰ってくるさ」
それはヘクトから少女への信頼だった。本来の実力を発揮さえすれば、彼女は捕らえられるような存在ではない。
死ぬだなんだと言わずに戦いさえすれば、敵の本拠地であろうがなんとかできるはずだと、彼は信じていた。
「ふーん……だがビルにいなかったらどうする?」
「その時は……コンボイ社に変なイタズラを仕掛けたおっさんとして怒られるくらいで済むんじゃないか?」
「済むかバカ野郎! 田舎者が」
それからショウは、パソコンに数字を入力した。「1000」の文字がディスプレイにデカデカと映る。
「これが前金だ。振り込んどけ」
「オイ! マジかよお前。高すぎるぞ!」
「俺がもしうまくセキュリティガードを撒けなかったら、死ぬかコンボイに取り込まれる羽目になんだよ。このくらい正当だ」
企業にハッキングを仕掛ける。それは、企業に属するハッカーとの戦いを意味する。ただファイアウォールに弾かれる程度のハッカーなら何も起きないが、セキュリティを破れるようなそれなり以上の腕のハッカーならば問題だ。
企業のセキュリティを破れる者が、企業の外に存在してはならない。つまり、この世から消すか、企業のハッカーとして雇用し、絶対に裏切れないように縛り付ける。
ショウがコンボイ社の放送設備をハック後、コンボイのハッカーに見つかれば、彼を待っている運命は2つに1つだ。
「納得できないんだったらいいんだぜ。俺はセントラル区に着いたら観光でもして帰るからよ」
ショウは乱暴に背もたれに身を預けて、目を閉じた。
「……わかった」
ヘクトは小さくため息をついて、こめかみのチップに触れる。ショウが表示した彼の口座に金を送金した。
「毎度」
タクシーが加速路に入る。体の圧迫感を覚えながら、ヘクトはただ祈った。
(無事でいろよ。俺が着くまではな)
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