幕間 残された男①
――ヘクトは呆然と、自分の事務所を眺めた。とても広く見えた。もともと1人で使っていた場所だというのに、自らの視界に彼女がいないだけで、気持ちの悪い空虚感が拭えない。
ノックの音がした。事務所の扉が開く。入ってきたのは、スーツの男だ。
金髪で、両目の眼球が異様な色合いをしている。インプラントだろう。それ以外にも整形などをしているのか、顔立ちはアンドロイドのように整っていた。
「先ほどはどうも、ヘクト・ガザルス。私が『隊長』だ」
「……お前か。ずいぶんイケメンじゃないか」
「それはどうも。カーバンクルは飛び立ったよ。もうしばらくすれば、セントラルタワービルに着くだろう」
「…………」
ヘクトは気分を落ち着けるため、ポケットからタバコを取り出して咥える。
「紙タバコか。いい趣味だ。私もしばらく紙だったが、周りの人間に不評でね」
煙を吐き出す。ヘクトは男の雑談に応じるつもりはさらさらなかった。
「カーバンクルを……殺すのか?」
「君には教えられない。が、あえて言うなら、彼女は元々フェイクフラワーズの所有物だ。生殺与奪は、我々が握るのが自然だろう」
ヘクトは『隊長』の言に異論を挟みはしなかった。それは違う、彼女は1人の人間で、かけがえのない命なんだ――そんな青臭いセリフは酒の肴にもなりはしない。
「で、お前さんは何のために戻ってきたんだ」
「カーバンクルが最後に言っていただろう。君の護衛をつけてほしいと。遺言に従ったのさ。私がお前を護衛しよう」
ヘクトは舌打ちし、男に詰め寄った。
「見くびんな。今さらいらねぇよ、護衛なんて」
「そう強がるな。私を護衛につけられることなど滅多にないぞ。それこそ、コンボイの幹部級でなければ」
「そういう話をしてんじゃねぇよ!」
ヘクトは煙草をふかしても、頭が冷静にならないままだった。自分はブルームーンに命を狙われている。ボディガードが必要だ。目の前の男の申し出を蹴る理由はない。むしろ好都合ですらある。
ならばなぜ、こんなにも苛立つのか。自分は知らぬ間に、そこまで少女を気に入っていたのだろうか?
「私はお前に個人的に感謝しているんだぞ。彼女が誰かを守るために犠牲になるなど、私が知る彼女ならあり得なかった。随分カーバンクルに気に入られたらしい」
「何だと?」
「ありがとう、ヘクト・ガザルス。死者を出さずにカーバンクルを捕らえられたのは君のおかげだ」
『隊長』は無感情にヘクトの肩に手を置き、いけしゃあしゃあと感謝してみせた。ヘクトは咄嗟に、彼の顔面を殴る――その反動で、ヘクトの体は弾き飛ばされた。
「うおっ!?」
殴られた『隊長』はというと、その場から一歩も動いていない。まるで分厚いゴムの壁を殴ったかのような感触だった。彼はニヤリと不敵に笑う。
「どうだ? 強いだろう、私は。ボディガードにしたくなってきたか?」
「……お前、空気読めないってよく言われるだろ」
ヘクトはため息を吐き、改めて首を横に振った。
「お断りだ。アイツより弱そうだしな」
「そうか。なら、せいぜい頑張って生きるといい」
そのまま帰ろうとする『隊長』の背に、ヘクトは疑問を投げかける。
「俺を殺さないのか? フェイクフラワーズだのなんだの、コンボイの重要な機密を色々聞いたぞ」
「お前では、知ったところで脅威にならない。殺せとも言われていないしな」
『隊長』がドアを開け、去っていく足音が聞こえる。その音が空気に溶け切ったあと、ヘクトは近くの机の面を殴りつけた。大きな音が鳴る。
「……ナメやがって!」
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