Chapter7-3 ヘクト探偵事務所
日が沈み、夜になる。壊されているためテレビすらない事務所で、少女はソファに寝そべっていた。ヘクトはデスクの椅子に腰掛け、答えのない思索にふける。
少女。カーバンクル。ボディガード。フェイクフラワーズ。コンボイ。ブルームーン……。
面倒事から逃れるために彼女を雇ったというのに、気付けばさらなる面倒事に巻き込まれている。
ブルームーンの一件が済んだらさようなら、と言うには少し関わりすぎてしまった。
今がヘクトにとって人生の最大の分岐点であることは疑う余地はないが、思ったよりも長い分岐点のようだった。
考えを整理するために、ヘクトは窓から外を見る。万一にも自分がここにいると気付かれないように、カーテンの間からこっそりと。
――すると。ビルの外には、黒いスーツの男が何人もいた。
全身の鳥肌が立ち、筋肉が硬直する。背筋を氷が走り抜け、汗が湧き出してくる。
(あいつら、まさかフェイクフラワーズ……!?)
ヘクトはすぐにカーテンを閉じ、身を屈めた。それから、少女の肩を揺すって起こす。
「おい……おい! カーバンクル!」
「ん……なに?」
「外に! フェイクフラワーズの奴らっぽいのが大量に……!」
少女は閉じかけていた目を開き、音もなく跳ね起きる。カーテンをめくり、外を確認する。
「……囲まれてるね」
「クソ! なんでこんなすぐに……!」
「組織が本気で追おうとしたら、居場所くらい掴めるよ。今までは見逃されてただけ」
そのとき、ヘクトのこめかみのチップが光る。音声通信だ。彼はチップに触れ、着信を受ける。
「誰だ。今サプライズパーティを受けて取り込み中なんだよ!」
『……サプライズを仕掛けた人間だ。私のことは『隊長』とでも呼んでほしい』
聞こえてきたのは男の声だ。ヘクトはニューロン内で操作し、少女の端末に音声を繋げる。彼女もまた、端末を耳に当て『隊長』からの声を聞いた。
『本当は、カーバンクルが弱るまでホテルを封鎖して休息を取らせず、少しずつ削っていく作戦だったんだが……まさか君のような協力者がいるとはな。早速計画が狂ったよ』
「そりゃ災難だったな。俺はナイスガイだから、不幸そうな子は拾っちまうタイプでよ」
『だが君の存在によって新たな作戦を思いつくことができた。君がカーバンクルを変えてくれたおかげだ』
不明瞭な物言いに、ヘクトは首を傾げる。
『聞いているのだろう、カーバンクル。投降して出てきてくれ。さもなくば、このビルに突入する』
「なんだと……」
『我々では君には勝てないだろう。しかし、これだけの人数がいれば、少なくともその探偵は殺せる。精鋭のフェイクフラワーズ相手に、1人で足手まといを守り切ることはできまい』
「…………」
少女は黙り込んだ。『隊長』の言うことは正しかった。膨大な戦闘データによって、相手を殺すこと、自分を守ることはいくらでもできる。
しかし、仲間を守りながら戦う――それは、カーバンクルの頭の中のデータにはあまり無い要素だった。
「オイ! 誰が足手まといだって? これでもなかなか動ける方だぜ俺は!」
『……カーバンクル。本部に出頭するだけでいい。
お前の脳のインプラントデータは、組織外に漏れていいものではないんだ。
だからその目と、脳のデータだけを回収する。それだけだ。殺しはしない』
「んなワケねぇだろ! スーパーでは明らかに殺しに来てたじゃねぇか。カーバンクル、こんなやつの話を聞くことはねぇ。抗戦するぞ!」
『カーバンクル。わかっているはずだ。いつまでも逃げることはできない。人にはいつか――順番が来るんだ』
ヘクトの声と『隊長』の声が、少女の頭の中で乱反射する。彼女はゆっくりと立ち上がった。
「……おい。カーバンクル……やめろ。行くな! 絶対に殺されるぞ!」
殺される。その言葉を口にして、ヘクトはハッと気付かされた。
少女はまさか、死にに行くつもりなのか。彼女が抱いている希死念慮を解消するには――すなわち死ぬには、申し分ない状況だ。ヘクトは歯噛みし、彼女の手を掴む。
「俺を自殺の口実に使うんじゃねぇ!」
「……!」
「死ぬなよ。これまで生きてきたんだろ。だったら生きろよ」
ヘクトの口から漏れ出てきたのは、何のジョークも含蓄もない、率直に過ぎる言葉だった。少女は振り向いて答える。
「私は、人殺しで裏切り者。いつまでも生きていていい存在じゃないの」
「ハ! オイ、そんな奴この国に何千人いると思ってる!」
「人にはみんな順番がある。いつまでも罰からは逃げられない。……だからもういいんだよ。ホテルにも行けないし」
少女は諦めと苦笑と、一抹の寂しさ。そんなものが混ぜられた表情で、端末を耳に当てた。
「『隊長』。条件がある」
『……聞こう』
「私がいなくなったあと、探偵にボディガードをつけて。私の代わりに」
「おい――」
『わかった。手配しよう』
俺抜きで話を進めるんじゃねぇ。そう怒鳴りたかったが、ヘクトの声は喉の奥で詰まっていた。少女の意志は堅い。どうあっても、死にに行くつもりのようだ。
「……じゃあね、探偵。最後までボディガードできなくて、ごめん」
少女はそう言い残すと、ドアを開けて、ゆっくりと歩いて出ていってしまった。足音が空々しく響く。しばらくして、飛行ビークルが飛び去っていくような音が遠くに聞こえた。
■
『ヘクト探偵事務所』
★★★★★
今まで泊まった「ホテル」の中で一番散らかってたし、ベッドすらもない場所だった。
だけど、一緒に食べたカレーはおいしかったし、なぜかすごく落ち着けた。
コンシェルジュが良かったからかもね。
誰かと一緒にいることが、こんなに楽しいなんて知らなかった。
さよなら、探偵。長生きしてね。
――カーバンクルのホテルレビューより。
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