Chapter7-2 ヘクト探偵事務所

 ホテル・ヘクト探偵事務所はとても静かだった。逃亡生活中とは思えない平和な時間。このボロ事務所に安らぎを感じてしまうほどに、ここ数日の生活は刺激的だったのだと改めて彼は思った。


(このまま何事もなく1週間が終わってくれれば……)


 そう思わずにはいられないほどの平穏さだった。一方で、少女だ。昨日から彼女は、少しどころでなく落ち込んでいるように見える。


 時折楽しげに話してはくれるものの、またすぐに沈んで俯き、どこかを見つめているばかりだ。何か考え事をしているのかもしれない。


 ヘクトはそんな彼女の様子を案じながらも、掃除を続け、時に食糧を用意していた。備蓄されていた食糧だ。ただのレトルトカレーライスだが、ギャングもいちいちこんなものにまで手を出しはしなかったらしい。


「ほらよ。サウス区名物、シーフードカレーだ。食いな」

「……あ、うん。ありがと」


 いくらか片付いた屋内にテーブルを広げ、2人はカレーライスを食べる。具として入っている「シーフード」は、ほとんどが名称不明の魚だ。


 一応毒性チェックは通っているものの、何が入っているのかはわからない。しかし味の方はまともであり、2人は舌鼓を打つ。


「……ごちそうさまでした。意外と美味しいんだね」

「そりゃどうも」


 食べ終えると、少女は黙ってしまう。ヘクトも、少女が落ち込んでいる原因まではわからず、なんと声をかけたらいいかわからなかった。


 皿を洗う水音がやけに大きく響く気がした。そんな中、少女が口を開く。


「……私ね。フェイクフラワーズで……最強の暗殺者だったんだけど」

「お……おう。自分で言うか、そういうこと」

「事実だから、謙遜したってしょうがないし。それでとにかく、何人も暗殺してきたんだけど」


 少女は悲しそうな目で天井を見上げる。本当は「何人」などという数ではない。何十、何百。その中には善人もいれば、悪人もいただろう。


「暗殺の仕事をしてると、ホテルに泊まることが多くてさ。ターゲットが泊まってるところに襲撃に行ったり、ターゲットが動きを見せるまで近くのホテルで待ったりとか」

「お、おう。そうなのか」


「そうやって何回も泊まるうちに、ホテルが好きになってね。暗殺するのも好きじゃなかったし、組織をやめて、ホテルに泊まって暮らすことにしたんだよ」

「……大胆すぎる転職だな」


 少女は笑う。それは自虐を含んだような笑みだ。その笑顔の裏にはどんな感情が隠されているのか、ヘクトには想像できなかった。


「……そういうわけで、まともなホテルに泊まれないと辛いんだよね。余計なことばっかり考えちゃうしさ……」


「余計なこと」。少女が言うそれの正体に、ヘクトは心当たりがあった。これまでに2度口にされた「死ぬだけ」という言葉。


「お前……。死のうとしてないか?」


 率直な問いかけに対して、少女はしばらく答えなかった。その瞳はどこか空っぽで、冷えていた。その目蓋が閉じられる。


「何人も殺してきたからね。いつか罰を受けるべきだとは思ってる」

「おいおい、勘弁してくれ。いつの時代の価値観だよ?」

「……でも、積極的に死ぬつもりはないよ。今は探偵との契約もあるしね」


 ヘクトは教師ではない。人に褒められるような生き方をしているわけでもない。だから、今ここで彼女を止めたり、その心のケアをしてみせるようなことはできない。


 それに、「人を殺したから罰を受けるべき」という価値観は、旧時代のものだ。先の大戦を経て、宗教も消え去り、人間の価値観は大きく変容した。


 ヘクトも旧時代の映像文化にどっぷり浸かっているタチではあるが、少女のその考えはそれ以上に古臭い。彼は肩をすくめる。


「もっと楽しいことを考えるべきだと思うぜ、俺は。コンボイに目をつけられてるんなら、ネオ・アルカディア以外の国に行くのもアリだしよ」

「ネオ・アルカディア以外の国……?」


 少女は少しだけ興味を惹かれた様子でヘクトの顔を見た。


「ああ。前の大戦の汚染で、地球のほとんどの地域は住めなくなってるけどよ。ネオ・アルカディアみたいな、シェルター付き都市国家は他にもあるんだぜ。『バルカン』とか、『バビロン』とかよ」


 少女の目が輝いたようにも見えた。あるいはそれは、ヘクトがそう思いたいがゆえの気のせいかもしれない。とにかくヘクトは話を続けることにする。


「コロニーの外だからな。行くなら相当準備していかないと。ホテルっつーなら、それこそ他の国なら、見たこともないようなホテルがあるかもな!」

「……うん。そうかも」

「もし行けるなら、一緒に行こうぜ。俺もギャングに追われっぱなしじゃ国内で生きづらいからよ」

「それは自業自得でしょ」


 少女は眉を下げ、クスリと笑った。ホテルでないぶん、2人ともやる事がない。それ故に、いつになく会話は弾んだ。隙間風の入る宿ではあったが、歓談には向いていたようだ。

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