Chapter6-2 カプセルホテル「レッドボックス」

 それから2人がさらに走って、降りたのは寂れた街だった。もう光らないネオンサインの看板が並ぶ路地を抜け、雑居ビルだらけの通りに出る。


 昼間だというのに薄暗く、人の気配も少ない。僅かな道行く人々の格好もひどくみすぼらしかった。


「……ここって」


 少女の問いかけに、ヘクトは軽く説明する。


「ここはサウス地区の中でも特に貧しい連中が住んでる海沿いエリアだな。さっき言ったホテルもその近くにある」


 ヘクトは慣れた足取りで歩いていく。少女は少し後ろを歩いていたが、たまにすれ違う人間から浴びせられるジロジロとした視線には慣れなかった。その視線の中には悪意を感じるものも少なくなく、居心地は良くない。


「探偵、こんなとこに住んでるの?」

「いやいや、俺の立派な事務所はもう少しマシなとこにあるさ。ただ仕事柄、夜遅くまで聞き込みとか調査してることも多くてな。サウスのホテルには詳しいんだ」


 やがて、彼らはとあるビルの前で足を止めた。『レッドボックス』と書かれた看板が目立つ建物である。どうやら何かの建物の一部を改装したようだ。


 さらに「1晩1.5AM」「風呂あり」「空き室あり」という嫌な予感を感じさせる文字が、切れかけの電気で点滅していた。ネオ・アルカディアの空は暗くなり始めている。


 2人はその建物の中に入る。受付には誰もおらず、照明も消えているようだ。何より……臭い。


 すえたような異臭が立ち込めている。思わず顔をしかめる少女に対し、ヘクトはまるで自宅に入るかのように平然としている。


「おい、オーナーいるかー? ……おーい」


 彼が声をかけると奥から1人の老人が現れた。彼は不機嫌そうな顔でヘクトを睨みつける。


「……探偵じゃねぇか。ん? そりゃ何だ」


 物を尋ねるように老人が少女を顎で指すと、ヘクトは「ああ」と頷く。


「コイツは俺の助手みたいなもんだ。気にしないでくれ」


 ヘクトの言葉に老人は訝しげな顔をするが、それ以上何も言わなかった。代わりにこう切り出す。


「……お前、ブルームーンと揉めてんだって? そんな奴が、サウス区のホテルに泊まりに来たのか?」

「まあ、いろいろあってな。俺が泊まることは内緒にしてくれよ。俺とアンタの仲だろ?」


 そう言うと彼は懐からチップカードを取り出し、カウンターに置いた。それを受け取った老人の表情が変わる。


「まぁ、そういうことだ。頼むぜ」

「……一晩だけだ。アイツらは頭がぶっ壊れてるからな。俺が匿ってるともし知られたら、ホテルごとぶっ壊しに来るぜ」

「ホントはもっと長く泊まりたいが、まぁ十分か。ありがとよ」


 ヘクトは追加で、部屋分の料金をチップカードで決済した。このホテルには自動チェックイン機などなく、またホテルマンもいない。


 ただ決済機での決済を確認した老人が、2人分の鍵を投げつけてくるだけだ。


「おいガキ。キッズスペースはないからな。女性用ルームもだ」


 ぶっきらぼうにそう言う彼に、少女はむっとした表情で鍵を受け取り、無視した。


 薄暗い廊下を通っていくと、少し大きなロッカールームのような空間があった。


 1列につき2つのロッカーらしきものが上下に連なっている。ロッカーは1m四方程度のサイズだ。それぞれのロッカーに番号が振られている。


「カーバンクル。お前の部屋はそこな」


 ヘクトは当然のようにロッカーを指した。何を言っているのかわからない少女は、指し示されたロッカーの番号を見る。23番。次に手元の鍵に振られた番号を見る――23番だ。少女は目を丸くした。


「……部屋? どういうこと?」


 少女は不満そうにヘクトを睨む。当の本人はどこ吹く風といった様子だ。


「ほら。こういうことだ」


 ヘクトが自分の「部屋」を鍵で開ける。ロッカーには奥行きがあり、2m程度の身長ならば中に入れるようになっていた。


 中には申し訳程度の照明やシーツ、枕がある。それだけだ。それだけがこのホテルの設備だった。


「こんなのは……ホテルじゃない……」

「カプセルホテルだ。まぁ、野宿よりはマシだろ?」

「野宿とかなり微々たる差だよ……」


 少女は不満を漏らしながら、ロッカーのような部屋の中に入った。一応、シーツはそれなりに綺麗だ。


 だがやはりベッドはなく、部屋全体にフィットするような形でマットレスが敷かれているだけで、寝心地はあまり良くなさそうだ。


 それでも、硬い床の上で寝るよりは確かにマシだろう。幸いにして、ホテル内の妙な匂いも部屋の中にはない。


 部屋に置かれた紙の設備案内によれば、ホテル内にはシャワーもあるようだ。最低限の生活環境はあると言っていいかもしれない。


「……仕方ないね……我慢するよ……」


 そう言いながら彼女は横になった。というより、その部屋の中では横になる以外の行動は基本的に取れない。


 小柄な少女ゆえに寝返りは打てるし、その場に座る程度の空間の余裕があるが、ヘクトなど起き上がるだけでも一苦労だろう。


「なぁカーバンクル。飯買いに行ってくれないか」


 ロッカーのドア越しに、ハッキリとヘクトの声が聞こえた。防音性は皆無のようだ。不機嫌さを隠さないまま少女はドアを開ける。


「……なんで」

「いやぁホラ、さすがにサウス区であんまり顔晒して歩けないだろ? バレたらすぐギャングが飛んでくるぜ」

「やだ。私はもう寝る。こんなホテルで意識を保っていられない」

「ちょちょちょちょ……」


 ヘクトはドアを閉めようとする少女を慌てて止める。


「頼むよ! お前俺のボディガードだろ!?」

「肝心の報酬がこれじゃやる気になれない」

「わかった! なら、せめて一緒に行こうぜ! 俺1人で出歩いて死んだら、お前も寝覚め悪いだろ?」

「……むぅ」


 少女は渋々頷いた。確かに、自分が同行しない状態でヘクトが襲われれば、そのまま死ぬ可能性は高い。


 それに、そもそも指名手配を受けてホテルに入れなくなったのは自分だ。責任の一端はあると言える。


 2人は部屋を出て鍵をかけた。廊下の照明も薄暗く、非常口を示す緑の光だけが煌々と点灯している。


 ホテルから外に出ると既に日は沈み、闇が辺りを支配していた。夜であっても明るいはずのネオ・アルカディアという国の中にあって、サウス区のさらに貧民街のここには、街灯すらまともに設置されていなかった。

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