Chapter5-1 ショッピングモールの死闘

 結論から言えば、チップ作戦は(おそらく)うまく行った。


 2人は何事もなくチェックアウトに成功し、翌日の昼、おそらく部屋の清掃が始まったであろう時刻になっても、ホテルからコールもメールも来ることはなかった。


 2人はセントラル区の朝を歩いていた。とはいえ、この区には朝も夜もない。24時間営業の店はいつまでも光り続け、企業のビルの窓もまた光り続けている。


 夢のある経済の中心街のように見えても、その実、それを支えるのは命を削った労働というわけだ。


「……さすがに腹減ったわ。朝飯にするぞ」

「ビビって早めに出てきちゃったからね……」


 そこで少女は足を止めた。視線は道路を走るホバータクシーに向いている。


「……ねぇ探偵。イースト区に行かない?」

「ん? ……ああ。別にいいが、どうしてだ?」

「……服を買いたいから。いつもの服が昨日ので汚れちゃったし」


 ヘクトは少女の格好を見る。確かに彼女の着ているのは昨日彼がコンビニで購入したありあわせのシャツとショートパンツだ。


 微妙にサイズが合っておらず、シャツはダボダボで、正直往来を歩くには情けない格好とも言える。


「イースト区のブランドだったのか? いいぜ。物価も安いしな。朝もそっちで食っちまおう」

「おーけー」


 少女は小型の端末からホバータクシーを呼ぶ。数台のタクシーが目の前を通り過ぎ、やがて1台が2人の前に停止した。電子音が鳴り、ドアが開く。


「あ! ちょ、ちょっと待ってくれ。没収されたハンドガンを取り返さねえと……!」

『ご申請いただければ、ドローンで先回りして配送いたします』


 タクシーを運転するAIナビがヘクトにそうアドバイスした。ヘクトはホッと胸をなでおろし、タクシーに乗り込む。


「すげえなオイ。じゃあ、そうしてくれ」

「イースト区までお願いね……」

『かしこまりました』


 それから数分後。信号を待っている間に、ヘクトが座っている座席側の窓が開き、ドローンが飛んできた。格納されたケースから、ヘクトのハンドガンが出てくる。


「ふぅ。ようやく戻ってきたぜ。銃がねえとさすがに不安でな」

「よかったね。それじゃ、出発して」


 車が発進し、道路を抜けていく。対向車線は車でごった返していた。経済の中心だけあって、セントラル区には他の区から入ってくる人間が多いのだ。


 そうして走る車の窓からは、一際高く、そして大きなビルが見えた。この国で最も大きなビル――コンボイ・セントラルタワービル。


 ネオ・アルカディアを支配する巨大企業、コンボイ社の本社ビル。物流、科学技術開発、サイバーウェア事業、セキュリティに武器……。


 あらゆる分野に手を伸ばし、成功を納めるコンボイ社はまさに、この国の心臓部と言えるだろう。


「コンボイ・セントラルタワービル。すげぇでかさだよな」


 ヘクトは窓の外のビルを眺めながら、どこか遠い目をしていた。企業はヘクトの憧れであり、無関係な存在であった。


 この国の誰もが、コンボイ社と仕事がしたいと常に考えていながらも、その社員となるのも、共に仕事ができるのもほんの一握りだけだ。何人もの人間が、あの塔を夢見て生きて、死んでいく。


 少女は興味なさそうに窓の外を見ていた。移ろいゆく景色はどれも目に留まることもなく、やがて舟を漕ぎ始め……少女は体の圧迫感で目を覚ました。


 加速路による加速だ。窓の外のトンネルの光は高速で流れていく。


「起きたか? まぁ、ここ入ったらやっぱ目ぇ覚めるよな」

「……うん」


 少女は眠そうに目をこすった。少し寝足りなかった。それでも、この圧迫感の中眠るのは難しい。


 しばらくして再び窓に視線を注ぐと、タクシーは広い道路へと入っていく。イースト区のメインストリートに入ったのだ。


 少女は欠伸を噛み殺しながら、窓の外の景色を眺めていた。道路はあまり使われていないのか、それとも交通量が少ないために整備されていないのか、ところどころでひび割れや隆起が見られる。セントラル区とは大層な違いだった。


 2人が初めて出会ったのは工場地区であったが、こちらはどちらかというと住宅街だ。無秩序に建築と増築が為された、非常に太くて長いビルが立ち並んでいる。


 建築物の名は「アーコロジービル」。アーコロジーとは建築と生態学を意味する単語であり、平たく言えば、そこだけで生命維持に必要なすべてが完結している施設のことだ。


 住居、医療、食糧、娯楽……それらが全て、このビルに詰まっている。極端な話をすれば、住民はこのビルから一歩も外に出ることなく寿命を全うすることすら可能だ。もっとも、そんなことはほとんど無いが。


「まずは飯を食おうぜ。そこのビルになんかあるだろ?」


 移動の間にヘクトの空腹は随分と進行していたらしい。彼は少女にそう提案すると、すぐ近くのアーコロジービルの正面玄関から中に足を踏み入れた。自動ドアが開き、中から喧騒が聞こえてくる。


「今だ! 入れろッ!」

「あぁ〜! クソッ!」


 ヘクトはしばし呆然と立ち尽くした。ビル入り口の広場には、安っぽいプラスチック製の椅子が乱雑に並び、空中に投影されたモニターにスポーツの映像が映されるのを、住人と思しき者たちが見ていた。


「……すっげえ賑やかだな……」


 観戦している彼らは興奮状態にあり、よそ者である2人が来ても何も気付いていないようだ。


 変に警戒されるよりはやりやすい、とヘクトは少女を先導し、エレベーターに入り、内部の案内板に従って6階に向かう。


 ドアが開くと、そこはレストラン街となっていた。飲食店がずらりと並んでいる光景は、セントラル区のそれと少し似ているかもしれない。


 しかし、こちらはもっと生活臭がある。店先に出されたメニューの看板は油で薄汚れているし、店の前に置かれたテーブルには食べかけの料理が置いてあったりする。


「お〜……落ち着く雰囲気だ」


 ヘクトはそのうちの1つの店に無作為に入ると、客入りがまばらなテーブルに腰掛ける。ビジュアルシートではないただの紙に書かれた商品を吟味した。


「まぁ、とりあえずコーヒーと……このフライドポテトを頼む」


 そうヘクトが注文すると、返事も返さずにテーブルの向こうの店主が調理を始めた。その雑な接客が、ヘクトにはむしろ嬉しく思えたようだ。


「……で、カーバンクル。服買いに行くんだったよな?」

「うん……」


 少女は紅茶だけを頼み、それを冷ましながら隣で飲んでいた。


「服屋は? こっから近いのか?」

「そうだね……。徒歩、5分くらいかな。ホテルも近くにあるよ」

「オーケーだ。じゃあさっそく行くか」


 ヘクトは出てきた油まみれのポテトを口に詰め込み、コーヒーで流すと立ち上がり、チップカードで会計した。

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