Chapter4-8 グランドヴィラ第12支店

 少女の体に付着した血液は、もう完全に落ちていた。彼女は座り込んでシャワーを頭から浴びながら、自らの手を見つめていた。手にも、体にも傷1つない。


 殺さずに勝てる相手だった。まして、返り血を浴びるような無様など、あるはずはなかった。少女がそこまで「手こずって」しまったのは、余計な考え事をしていたからだ。


 ――あのヒットマンたちは、ギャングが雇った人間ではない。そもそも、ヘクトを狙った人間ではないからだ。


 狙いは少女自身。そう彼女は確信していた。過去が追いついてきたのだと。逃げ続けた過去と業が、死神の鎌を持って迎えに来たのだと。


 その死神の鎌は、容易くへし折れてしまう脆いものではあった。少女は迷ってしまったのだ。ここで彼らの手にかかるべきではないのかと。それが自らの運命に、正しい決着をつけることではないかと……。


 そんなことを考えていると、ドアの開いた音がした。ヘクトが戻ってきたのだ。


「ほら、服と……下着買ってきたぞ。サイズはわかんねぇけど文句言うなよ。ドアの前に置いとくからな」

「……うん」


 少女は思考を停止させた。不要な思考は迷いを生む。封じ込めていたはずの希死念慮が蘇ってしまう。彼女はタオルを手に取り、ドアを開けた。


 置かれていた衣服を開封し、身につける。だいたいのサイズはあっていたが、少し大きい。そのまま髪を乾かして、少女はバスルームを出た。


「おう。まぁ着れないことはなさそうだな」

「……ん」

「さて。とりあえずは……現場を他の客やスタッフにまだ見られたくねえ。ドアを閉じようぜ」


 少女は廊下に出た。壊れたドローンが2台転がり、彼女の部屋の扉は半開き。ひとまずの隠蔽工作が必要だ。少女は1秒ほど目を閉じ、ドアを見つめる――すると、ドアが自動的に閉まった。


「一体どうなってんだ、そりゃあ」

「企業秘密」


 続いて、地面に落ちていたドローンを彼女がそれぞれ見つめる……すると、ドローンのカメラアイが点滅し、再び浮かび上がる。


『何らかのアクシデントにより、ショートが発生し、電源がオフになっておりました。只今より、再起動いたします』

『お客様のデータを照会します……。メモリーの乱れがございましたらご容赦ください。正常動作を再開します』


「お、おお。こいつらも生きてたのか」

「……一時的に止めただけだからね。動いてよかった」


 隠蔽工作は成功した。あとはチップカードをそっと部屋に置けば作戦完了だ。少女はカードを買うためにコンビニに向かう。その背中を、ヘクトが呼び止めた。


「俺も一緒に行くぜ。なんつーか……危なそうだしな」


 そんな彼の言葉に、少女は失笑した。エレベーターに向かう2人のあとに、ドローンが飛行してついていく。


「それは私が? それとも探偵が?」

「両方」



 時刻はすでに夜だった。少女はそれを、ガラス張りのエレベーターから外を見て初めて気付いた。


 世界が変わっても、夜の空は変わらず暗い。そうと気付かせないほどに、ホテルの照明はうっすらと廊下を照らし、コンビニは煌々と光を放っていた。


「……そういえば、夜ご飯食べてないんだった……」

「ったく。連絡してやったのによ」


 少女は強い冷房の効いたコンビニで、6枚ほどのチップカード、それとメッセージカードを購入。


 それと同時に、インスタントヌードルを購入した。無人のレジで、チップカードにそれぞれ投入する金額を指定し、決済する。


 それから、コンビニのMWレンジにヌードルを入れると、投入されたインスタント食品の種類を判別した機械が勝手にお湯を入れてくれる。ヌードルとカードを手に取り、少女はコンビニを出た。


 少女は自室に戻り、チップカードとメッセージカードを置く。メッセージカードには、先ほどヘクトに教わった文言を書き込んである。

 未だ転がったままの死体を置いて、彼女はヌードルと共に部屋を出た。


「探偵。いれて」


 だいたい麺がほぐれてきたのを見て、彼女は麺を啜りながらヘクトを待つ。


 アジアン風を名乗るそのヌードルは、独特のスパイスの風味と、魚介系の旨味調味料をこれでもかと練り込んだ麺の味で彼女の口の中を混沌に陥れる。廊下での立ち食いをドローンに窘められたが、無視した。


「あん!? オイ、どうした。部屋に戻れよ」

「ひふぁいふぉ、いっひょにめれふぁい」

「何だって? 食ってから喋れ」

「……んん。死体と一緒に寝れないでしょ」


 ドローンに聞かれないように小声で少女が伝える。あー……とヘクトは声を漏らした。失念していた。


 少女はズカズカと部屋の中に入っていくが、ドローンが止める様子はない。明らかにホテル規約違反だが、意外と寛容らしい。


 セントラル区らしい、高性能なAIだ。あるいは先ほどの少女のハッキングで壊れただけかもしれないが……。


 アジアン風ヌードルを食べながら、少女は窓のすぐ側の椅子に座って外を眺めていた。ひんやりとした窓と、黒い輪郭に寒々しい光がデコレーションされた外の景色。


 それに反して温かな室内と熱いヌードルの温度。その温度差に、彼女の心は癒やされ始めていた。


「やっぱりホテルはいいね。嫌なことを忘れさせてくれる」

「あー、そうかい。俺はベッドを譲ったりと嫌な思いをしそうな気配がするがね」


 少女はヌードルを食べながら、ヘクトとベッドを交互に見た。


「別にいいよ。詰めれば2人寝れるでしょ」

「お前がいいならいいけどよ。狭いとか文句は言うなよ?」


 少女は頷き、ヌードルを食べ終わる。それから、洗面台の前で口内洗浄液を含み、吐き出す。早々に寝る準備を整えると、ヘクトよりも先にベッドに入り込んだ。


「まったく……」


 ヘクトはため息を吐き、気難しい少女の機嫌を損ねないように注意しながら恐る恐るベッドに潜り込んだ。


 2人がベッドに入ると、自動的に部屋の照明が落ちた。無音の部屋の中で、寝息はまだ聞こえない。ヘクトは疑問を彼女にぶつける。


「なぁ。お前を襲ったあの2人組……ホントにブルームーンか?」


 少女は答えない。


「あのショウとかいうチンピラを雇うのがせいぜいのサウスのギャングが……飛行ビークルまで使って、あんなちゃんとした刺客を雇うとはなかなか思えねぇんだよな」


 それでも、少女は答えない。寝ているとアピールするように、目を閉じている。


「それに、窓から見りゃ一発でわかるはずなのに俺とお前を間違えたのも謎だ。お前目当ての賞金稼ぎ……だとしても、ちょっと大規模すぎるしなあ」


 少女はなおも答えることなく、しまいには寝息を立て始めてしまった。ヘクトは諦めて、自分も目を閉じることにした。



『グランドヴィラ第12支店』

★★★★☆

 AIドローンコンシェルジュが特徴的なホテル。頼めばだいたいのことは解決してくれるし、1人につき1台ついてくる。

 頼めば部屋の中にも付いてきてくれるらしいので、1人だと寂しいって人は話し相手にもいいかも。

 部屋の中のサービスもかなり良好。大きな窓は高層階だといい景色が見れる。

 ホテルの中にジムとプールとコンビニがあって、長期滞在にも向くと思う。

 セキュリティだけ少し不安だけど、あとはとても良いホテルだった。


 ――カーバンクルのホテルレビューより。

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