Chapter4-5 グランドヴィラ第12支店
プールは30階にあり、ホテルの利用者が何時でも使えるものになっている。少女は更衣室に入ると同時に、水着など持っていないことに気付いた。
「ねぇ。レンタルする水着とかあるの?」
『ございます。少々お待ちください……』
ドローンは緑色のライトを点滅させると、素早く飛んでいった。2分後、ドローンは戻り、水着が入ったカゴを運んできた。
『こちらの料金は無料となっております。ごゆっくりお楽しみください』
「どうも」
少女はなんとなくルーム内を見回す。横並びの洗面台にはそれぞれ皮膚の状態を良くするスキンケア系の液体が置かれ、また髪を乾かすためのノーハンドドライヤーが置かれている。
利用者は少女を除けば2人だけだ。まだ昼過ぎのため、観光客はみな外にいる時間だ。人がいないのも当然と言える。
彼女は服を脱ぎ、ロッカーに入れ、水着に着替える。競泳用水着のようなデザインだ。水着はフリーサイズのものだったようで、やや締め付けは強いが、とりあえず少女の体にもフィットした。
ガラス製の自動ドアを開くと、水の匂いが漂ってきた。自分自身の足音や、遠くから響く水音、床に何かを打つ音といったものの反響度合いで、天井の高さや空間の広さがわかる。
広いガラス張りの屋内プールだ。浮輪やビート板などの水泳用道具が一通り揃った棚らしきものや、競泳用のプールのレーンも見える。プールサイドにはテーブルと椅子があり、端まで歩くと、ガラス越しに街の景色が見える。
少女はひとまず、近くのプールの縁に腰掛け、足先を水に浸けた。ひやりとするが、冷たいわけではない。全身で入っても凍えることはない、泳いだり浮かんだりするのに最適な温度だといえる。
「お、ここにいたのか」
背後から聞こえた声に少女が振り返ると、そこには水着姿のヘクトがいた。ズボンのような形の水着で、意外と筋肉質な体をしている。彼は無遠慮に少女の体をジロジロと見ていた。
「しかし……やっぱ細いよな。なんでそれであんなに強いんだ?」
「……筋力があってもなくても、あんまり関係ないから」
「そういうもんなのか? 俺にはよくわかんねぇ世界だ……。よくムービーやゲームじゃムキムキの大男を女の子がぶっ倒したりするが、あんなのファンタジーだと思ってたぜ」
「…………」
少女はヘクトの言葉に答えることなくプールに入った。体が一気に冷えていくのを感じる。先程の不本意なトレーニングで熱を持った少女の筋肉が冷やされていく。
プールの縁に腕を置き、その上に顎を乗せた。手や足の指先で水を弄びながら、少女がふとヘクトを見上げると、彼は周囲を見渡していた。
「なにしてるの?」
「あぁ……いや、改めて貸し切りみてぇだなって思ってよ。ひっろい部屋にジム設備、ほぼ貸し切りプール……めちゃくちゃ金持ちになった気分だぜ」
その言葉に、少女は微笑んだ。
「でしょ? 探偵もホテルの良さがわかってきた?」
「まぁな。非日常感っつーか……逃げてここに来てるってことを忘れそうだぜ」
「逃げて――……」
彼女はそのとき、ヘクトの言葉を反芻した。無意識に反応したかのように、気の抜けた声だった。
「ん? どうした?」
「……別に。なんでもない」
「なんだよ、なんかあったのか?」
「……冷えてきたから上がるね」
おい――とヘクトが呼び止めようとするが、少女は無視して歩き続ける。ヘクトはそんな彼女の様子を見て、追うべきかどうか悩んだが……。
「……緊急の連絡には出ろよ!」
彼はそうとだけ言って、追うのはやめた。どことなく、今の少女が覇気がなく、様子がおかしいのはわかっていた。しかし、それを説得して彼女を立ち直らせるだけの情報を、今の彼は持っていない。
そうなれば、最もふさわしい対処は、放置すること。しばらく1人にする時間を彼女に与えることだった。
「はー……泳ぐかぁ」
個人のことは個人のことだ。このネオ・アルカディアでは、他人に肩入れする生き方は推奨されていない。ヘクトはひとまず、涼しげなプールを堪能した。
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