Chapter4-4 グランドヴィラ第12支店
それからしばらく、少女はベッドに寝転がってテレビをザッピングしていたが、部屋のチャイムが鳴らされた。
『ご来客です。ご同行のヘクト様がお越しのようです』
コンシェルジュの声が室内に響く。面倒に思いながら、一応少女は部屋から出た。自動ドアの向こうのヘクトをさも面倒そうに睨む。
「何か用?」
「あぁ。せっかく無料らしいし、ジムに行ってみねぇか?」
「探偵が? ……ジムに?」
明らかに運動を好むタイプでない彼が、運動をしようと言う。どういう風の吹き回しだろうか。訝しむ少女にヘクトは続ける。
「……なんだよ。別にいいだろ、運動くらいしても」
「どうしても元が取りたいんだね」
「ああそうだよ! こうなりゃすべての施設を使い倒して何がなんでもあの金に納得しなきゃならねぇ! お前も付き合え!」
ヤケクソ気味のヘクトに、少女は苦笑した。
「はいはい。わかったよ」
それから少女とヘクトは、エレベーターに乗り2階に向かった。広々としたホールには案内板の類はなかったが、2人の話を聞いていたAIドローンが問題なくジムへと案内してくれる。
ガラスで仕切られたジムが見えてきた。利用者はまばらといったところで、施設の充実度合いに対して盛況とは言えない様子だ。
ガラスのドアがスライドすると、なにか爽やかな室内の匂いが鼻に入ってくる。
『当ホテルのジムには、チェストプレスマシン、エアロバイク、ランニングマシンなどがございます。ランニングマシンはスピードや距離を調整でき、またシートの傾斜角度もお好きな位置に調節できます』
「なるほどな。はぁ〜……ちょっとやってみるか」
「今から運動する人の態度じゃないよ」
ヘクトが説明を受けながら、ランニングマシンに歩み寄る。暑苦しいトレンチコートを傍らに掛け、黒色のシャツとズボンのまま走り出した。少女は備え付けのベンチに腰掛け、ヘクトが運動するのを眺める。
「運動用のスーツ着なよ……」
「何言ってんだ。探偵ってのはこういう普段着のまま走ることになるのが定石だろ?」
謎のロマンを持ち出してきたヘクトに、少女は眉を顰めた。
彼は最初こそぎこちない動きでランニングマシンを走っていたものの、やがて走り方が慣れてきたようでペースが安定し始める。
少女は一応、改めて辺りを見回すが、一般のジム利用者ばかりで、ギャングやヒットマンらしき人影はない。ヘクトから離れて、少女はチェストプレスマシン――バーを前に押して引っ張るマシンに座る。
ウェイトを最低に設定して、少女はバーを押す。その時点ですでに重く、確かな負荷が腕と大胸筋に伝わってきた。そうして何度かバーを押していると、興味本位を顔面全体に貼りつけながらヘクトが歩いてきた。
「おいおい、最低ウェイトでやってるのか? そんなのでボディガードができるのかねぇ」
「…………」
少女はヘクトを睨みながら立ち上がり、ウェイトを追加した。再び座り、全力でバーを押す。
「……ッ!」
「おおー、なかなかやるじゃないか。まぁ普通の女の子としては、って感じだが」
「……ッ!!」
「うお! ウェイトやりながら蹴るな!」
少女は膝から下だけを動かしてヘクトを蹴って追い払う。直後に、バーを押していた腕の力が抜け、両手が想定していない形で後ろに押し込まれ、少女の筋肉が攣った。
「ッ……! った……!」
少女は荒い息を整える。その中には痛みを逃す特殊な呼吸法も混じっていた……が、すべての痛みを完全に消す麻酔のようなものではない。少女はしばらくその場で悶え続けた。
……ヘクトは再びランニングマシンで有酸素運動に勤しんでいた。少女はその背後に音を殺して歩み寄ると、ランニングマシンの速度上昇ボタンを連打した。
「!? おい! おいおい待て、何しやがる!」
ヘクトはバランスを崩しながらも何とか走行を続け、速度のボタンに手を伸ばす――その手を少女が払った。
「待てってオイ! ハァッ……洒落に! 洒落にならん! 射出される!」
ヘクトは必死に足を動かしながらボタンを押そうとする。なりふり構わず両手でボタンに迫るが、その手の軌道は全て見切られ、払い落とされる。
「わかった! ハァ、ハァ、さっきは悪かった! だから一旦止めようぜ! アァッ、怪我する! 怪我するってこれ!」
少女はそんなヘクトの命乞いを聞くことなく、さらに速度上昇ボタンを連打。ランニングマシンの速度は最高になり、ヘクトは足を滑らせ、転ぶ……その後、高速回転するベルトに射出され、半メートルほど地面を滑った。
「ぁ痛ってぇ! アッツい!!」
「ふっ……ハァ、ハァ……」
少女は口元に笑みを浮かべ、地面で悶えるヘクトを鑑賞していた。彼は立ち上がることもできず、激しい呼吸をしながら腰と足を押さえている。
「ち、畜生……クライアントを積極的に怪我させてくるボディガードなんて……聞いたことねぇ……」
2人はしばらく荒い息を整えていた。ヘクトの大騒ぎに、何事かと他の客が冷たい目線を送っている。
「……プール行かねぇか。汗を流してぇ……」
「……いいけど……プールでふざけたら排水口に詰めるから……」
溺れさせる、どころの騒ぎではない殺意に、ヘクトは冷や汗が追加されるのを感じていた。
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