Chapter3-1 ホテル「ネオン・ドリーム」

「ふわあぁ〜〜……ねみぃ」


 翌日。チェックアウトを済ませ、ホテルを出た2人。ヘクトはあくびをしながら、朝の街を歩いていた。


「ホテルはチェックアウト時間とかいうののせいで、早起きを強制されるのが嫌なんだよな」

「……朝食美味しかったのに」


 フロントに指定された朝食の時間に、ヘクトは起きてこなかった。そのため、ホテルの朝食バイキングは少女1人で堪能していた。


「別にいいよ……朝からそんなガッツリ食う気にはなれねぇって」


 そうぼやきながら、ヘクトはコンビニに入った。ビニールに入ったパンを持ったヘクトに、アンドロイドの店員が対応する。彼は懐から「チップカード」を取り出し、それで決済を行った。


 チップカードは、AMを分割して入れておくカードである。チップカード内のAMは誰のものとも結びついていないため、誰かに譲渡したり、足がつかない買い物をしたいときにも役立てられる。


 そんなチップカードが最も使われるタイミングは、防犯設備が不十分な場所での買い物時だ。チップカードは入れられる金額が少なく、暴力によって奪っても実入りが少ない。


 そのため、チップカードで買い物をする人間を襲ったところであまり意味がない、というのがギャング内での常識だ。


 その常識がカードを使う側にも浸透した結果、「治安が悪い場所での会計はチップカードを使う」という半ばルールのようなものがネオ・アルカディアにはある。


 逆に、「治安の悪い場所でパーソナルカードで会計を行う者は、常識がない――つまりカモだ」という常識も生まれている。以前少女がイースト区で襲われた理由はそこにあった。


 ともかく、サウス区を拠点とする探偵であるヘクトは、その備えが染み付いていた。実際のところは、ウエスト区ではパーソナルカードで会計したところで襲われることは非常に少ないのだが、癖のようなものだ。


「探偵といえばやっぱりこういう安っぽいパンだよな」


 ヘクトは形から入る男だった。探偵といえば、とトレンチコートを羽織り、紙巻きタバコを吸う。彼の憧れは、旧世界のフィクション作品の中にあった。ビニールを破り、安いパンを咀嚼する。


「……それより。オススメのホテル教えて」

「ん? オススメ?」


 そう言われてはじめて、ヘクトはその言葉を思い出した。たしか、少女と口約束を交わしたときにおすすめのホテルを教えると口走った気がする。


 振り返って考えてみれば、ほとんど必死に適当なことを言っただけだ。ヘクトにおすすめのホテルのあてなどない。そもそも、サウス区を拠点に活動している彼にサウス区以外の知識などあってないようなものだった。


(やべぇ……ど、どうしようか)


 ヘクトはとにかく、こめかみのチップを指で叩いて起動した。光るチップを手で隠しながら、彼はサイバーネットに接続しウエスト区のホテルを検索する。


「ああ! えーと……なんつー名前だったかな!」


 ヘクトは焦るが、サイバーネットからのダウンロード速度は変わらない。ウエスト区にはかなりのホテルがあるようだが、ひとまずチェーン店は避けるべきだとヘクトは検索結果をフィルタする。おすすめのレストランと言って女をチェーン店に連れて行ってはいけないのと同じだ。


 そうして見つけたのは、「ネオン・ドリーム」というホテルだった。あまり高い価格ではない。1泊にかかる費用はシングルで20AM。もちろんヘクトの普段泊まるような安宿とは比べ物にならないが、先程のアクアランドホテルよりは安い。


「ネオン・ドリーム! ネオン・ドリームってホテルだ。思い出した」

「ふーん。じゃあ、次はそこで」


 少女はあっさりと次のホテルを決定し、その場で一旦足を止めた。案内しろとでも言うような視線に、ヘクトが前を歩く。幸いにして、先程のホテルからそう遠い場所ではないため、歩いていれば着きそうだった。


「なぁ。お前さん、ホントに毎日ホテルに泊まって生活してるのか?」

「そうだけど……」

「家はないのか? 親は? それに金がなくなったらどうすんだ?」


 ヘクトはずけずけといくつもの質問を彼女にぶつける。彼はすでに少女からの無視になれていたため、これも流されるだろうと踏んでの質問だった。が……


「家はない」

「えっ」

「親は元々いない」


 少女は気にした様子もなく淡白に答えていく。そして――


「――お金もなくなったら死ぬだけ」


 少女の言葉に、ヘクトは思わず立ち止まった。死ぬ。順番からして金の話だ。ホテルに泊まるだけの代金がなくなったら死ぬ……とも取れる発言だった。


「死ぬって……お前……?」


 振り向き、ヘクトは少女を見る。無機質な赤い瞳が見つめ返してくるばかりで、彼は二の句を継げなかった。


 考えてみれば、ヘクトは少女のことを何も知らなかった。素性の知れない、都市伝説のような存在「カーバンクル」。尋常でなく強いというその一点だけを求めて雇ったものの、それ以外の全ては謎に包まれていた。


「お前は一体……」

「……ホテル行くんでしょ。はやく」

「あ……あぁ……」


 ヘクトは言葉に詰まりながら、ひとまず再び歩き始めた。ナビゲートはすでに頭の中に浮かんでいる。残り5分ほど歩けばすぐに着く。ネオン・ドリームは朝からチェックインを受け付けているタイプのホテルなため、着けばすぐに部屋に入ることもできる。


 そこからの5分間は、ヘクトは何も喋ることができなかった。少女の言葉をあれこれと考え、悶々としながらホテルへと歩いていくことになった。

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