Chapter2-7 アクアランドホテル

 ヘクトは不人気で品揃えの少ない「紙巻きタバコ」の箱を大量に手に取り、店主らしき老人のいるカウンターに置く。


「……アンタ、わかってるね」


 老人はモゴモゴと口を動かす。その首元にはインプラントの形跡があった。愛煙家がよく使っている、気管支に装着するタイプのサイバーウェアを彼もしているのだろう。タバコによる体への悪影響をある程度カットできるらしい。


「最近じゃどいつも、水入りだのホログラムの煙だの、訳のわからんタバコばかりだが……やっぱり一番はこの紙巻きさ。味も匂いもね」

「まったくだな。最近じゃ壁を汚すとか言って、同じ喫煙者からも煙たがられる始末だぜ。フッ、煙吐いてるやつに煙たがれるってな」

「ハッハッハ……!」


 何やら店主とヘクトが意気投合するのを、少女は居心地悪そうに見ていた。その視線に老人が気付く。


「娘さんかな……?」

「いや。コイツは……その、なんだ? まぁいいか、娘だ」


 うまい言い訳が思い浮かばなかったのか、ヘクトがそのまま流す。確かに、ボディガードと紹介するには少女の出で立ちは現実感がない。


「タバコは吸うのかい?」


 少女は首を横に振る。


「ヘヘ。大人になってもし吸うことになったら、電子にしておきな。全身の内臓がサイバーウェアになっちまうぜ」


 そもそも全然吸う気がないのだが……。少女は適当に頷くと、店の外に出た。遅れて、ヘクトも会計を終えて出てくる。


「よう、待たせたな。電子タバコは健康にいいらしいぜ。こっちの若い奴らの間では、むしろ健康増進のために吸ってる奴らまでいるらしい」

「そう……」


 興味のないタバコトークに巻き込まれるのを嫌い、少女はすぐに歩き出した。その後ろを、ヘクトはタバコに火をつけながら追っていく。


「おいおい、冷たいな。俺の人生でタバコほど愛されてるものって他にないんだぜ?」

「……あんまり吸いすぎると早死にするよ」


 少女は呆れながら言う。ヘクトはそれを聞いて笑い出した。そんな忠告をされるのは初めてだったらしい。彼はさらに笑いながら煙を吐くのだった。


「――!」


 ふと、突然少女が振り向いた。その視線の先には、ビルの入り口。そこに備えられた――監視カメラだ。


「な、なんだ。どうかしたか?」

「……見られた」


 少女はその場に立ち止まり、監視カメラを睨み続ける。ヘクトが彼女の視線の先がカメラだと気付くと同時に、そのカメラの稼働を示すランプが消える。


「……ハックしたのか? どうやって……てか、何で」

「今、あそこのカメラから誰かに見られてた。……ウエスト区にいるのがバレた……と思う」

「はあ!?」


 ヘクトは改めて、動かなくなったカメラを見つめる。言われなければ気づかなかったような存在だ。なにより、単に監視カメラというだけならこの街にいくらでもある。なぜ今になって、そこのカメラだけを止めたのか?


「説明してもわからないと思う……ただ、私は誰かに見られてたらそれがわかる……」

「えーと……? つまり、なんだ。そこの監視カメラから、誰かが俺らのことを見ていたってことか? それにお前は気付いて、カメラの電源を落とした……と?」


 無言で頷く少女に、ヘクトは乾いた笑いを漏らした。


「おいおい! 勘弁してくれよ。魔法使いか、お前さん。遠隔ハックはまだ、そういうウェアがあるとは聞いたが……監視カメラ越しに誰かに見られたなんて、何をどう感じ取るってんだ。『第六感』か?」

「……別に信じなくてもいい。ただ……近いうちに、ギャングがこっちに来るかも」


 少女はそれだけ言うと、再び歩き出した。ヘクトは肩をすくめてタバコをふかしながら、その後ろをついていった。



 それから2人は、ホテルに戻り、レストランで夕食を摂った。少女は相変わらず食事中も会話はなく、ヘクトだけがひたすら喋っていた。


 レストランを出た後は部屋に戻る……つもりだったが、少女が足を止めたため、ヘクトは振り返る。彼女は4階の廊下の窓から、街の景色を見下ろしていた。


 ウエスト区の夜は、街灯とネオンでますますきらびやかに輝く。道路には車のバックライトが点々と輝き、ともすれば、昼よりも明るいかもしれない。


「何か見えるのか?」

「……夜景」

「へぇ……そんなのに興味あるのか? ロマンチックな趣味だな」

「……うん」


 少女はヘクトのからかいを聞き流す。2人はしばらく、その景色を眺めていた。ヘクトはタバコをふかしながら、少女が再び歩き出すのを待っていたが、少女は一向に動かない。ただじっと夜景を見つめていた。


「おい? もうそろそろ行くぞ」


 ヘクトが声をかけると、少女はようやく動き出した。ヘクトはやれやれと、頭を掻きながら歩く。


 浮力で移動するエレベーターで1階に戻ると、2人は再び別の部屋に戻る。少女は自室のベッドに腰掛けると、大きな窓から、ホテル中央の人工池のイルミネーションを眺めた。


 海賊船やサメのホログラムは、昼と違い様々な色で光り輝いている。ネオンやホログラム、ライトアップされた噴水……それらに照らされた水面はキラキラと輝いていた。少女は満足げに微笑む。


 そろそろ眠る準備をしよう、と少女は洗面台の前に立つ。置かれている口内洗浄液を口に含む――やはり強烈な薬品のような匂いがするが、イースト区のホテルのものよりはいくらか風味が和らいでいる。


 アメニティの質は、基本的にそのままホテルの価格に依存する。30AMの部屋に備えられているからには、それなりのものに間違いないだろう。少女はそれを吐き出し、水で口を濯いだ。


 睡眠の準備を終えた少女は、窓を開けたまま部屋の明かりを消す。窓からはイルミネーションの光が飛び込んでくるが、遠くからの光はむしろ少女に眠気をもたらすようだった。


 少女はベッドに潜り込むと、そのまま目を閉じる。おそらく、明日か……明後日には、追手が来るだろう。


 気ままなホテル暮らしを望む彼女にとっては災難だが、それでも請けた仕事に違いはない。少女は覚悟を決め、眠りについた。



『アクアランドホテル』

★★★☆☆

 水をテーマにした面白いホテル。客室に船で移動するのもとても面白い。

 ただ、水がテーマなのにお風呂やプールがないのだけは少し残念だった。

 ホテル内にはレストランがあり、シーフードが食べられる。サウス区以外で海の料理を食べられるのはなかなか珍しい。

 水で移動するエレベーターは結構揺れる。私は大丈夫だったけど、バランス感覚のない人は手すりにつかまるといいと思う。


 ――カーバンクルのホテルレビューより。

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