Chapter2-2 アクアランドホテル
「で、サウス区はもう無理だってんで、イースト区まで逃げてきたら、お前さんに出会ったってわけだ」
「ふーん……」
少女は興味なさげに、座席のタッチパネルからタクシーの進路をいじる。進行方向はサウス区に向いていた。
「おい! 人の話聞いてたのか!? サウス区はヤベーんだって!」
「ウエスト区に行きたいんだもん……」
「セントラル区を突っ切っていけよ! 遠回りだろ!」
「セントラル区は通りたくない」
「俺だってサウス区を通りたくねえよ!」
ヘクトはそう必死に訴えるが、少女は譲る様子を見せなかった。仕方なく、浮かしかけた腰を下ろす。確かに、サウス区はヘクトが狙われる地ではある。
とはいえ、タクシーで移動している最中のヘクトを追跡したり攻撃したりする技術力はブルームーンにはない。つまり、サウス区を通過する程度なら問題はないのだ。ないのだが……。
「なんでセントラル区がダメなんだ? 別に通るくらいいいだろうに」
「…………」
「だんまりかよ」
ヘクトはやれやれ、とため息を吐く。どうも気難しい性格らしい。扱いづらいが、今の彼にとってカーバンクルは命綱だ。無碍に扱うこともできなかった。
「……あなたはなんで、私を知ってたの?」
「ああ……ちょっとサウスの安バーで飲んでたときに聞いたんだよ。お前、賞金稼ぎの間で都市伝説みたいになってんだって?」
「……なんのこと?」
「恐ろしく強くて、正体不明。何人もの賞金稼ぎが挑んでは返り討ちにされて殺されてる……けど、横の繋がりが薄くてその情報を知らねぇ奴は、無謀に挑んで殺される。情報力のねぇ賞金稼ぎを殺してふるいにかける存在、それがカーバンクル……ってな」
「ああ……道理で……」
少女は憂鬱そうに目を細めた。
「別に全員殺してるわけじゃないよ。明らかに危険な相手は殺ってるけどね……」
「つまり、さっきあっという間にのしちまった奴らは危険ではなかったってわけかい」
ヘクトは肩をすくめ、タクシーの窓から外の様子を注意深く眺めていた。サウス区の道路は、狭く曲がりくねっている。タクシーはたびたび減速しながら、サウス区を抜けていく。
窓を挟んで1,2メートル程度の距離に、ホームレスや街娼のような人間が佇んでいるのが見える。サイバーウェアを身に着けた人間やアンドロイドは比較的少なく、またたまにいても配線が剥き出しであったりとお粗末な技術によるものが多いようだ。
バラック小屋の上からさらにバラック小屋を建てたような混沌とした町並みは、これもまた配線が剥き出しになっているネオンサインの看板で飾り付けられている。
「カーバンクル。この辺りに来たことは?」
「……少しだけある。けど、ほとんどない」
「へぇ。じゃ、イースト区の出身かい?」
「…………」
「秘密主義だねぇ、お嬢さん……」
ヘクトは頭を掻く。どうやらこの少女、会話自体が嫌いなわけではないようだ。ただし、何かと話したくないことがあるらしい。だからといって無言になられるのは困るが、とりあえずヘクトは彼女とのコミュニケーションの傾向を掴み始めていた。
ホバータクシーは市街地を抜け、道路を登っていった。高い地点にある道路を走ると、この国で唯一サウス区からしか見ることができない「海」が見える。海は汚染され、濁りきっているが、それでもある程度の恵みをネオ・アルカディアにもたらしていた。
次第に、道路は加速路に入り、辺りはトンネルに覆われた。複数色のライトが高速で窓の外を通り抜け、その間隔が徐々に短くなっていき、2人は前方から体を圧迫されるような感覚に陥る。タクシーが加速している証拠だ。
そんな加速がしばらく続いたあとで、タクシーはトンネルを抜ける――すると、サウス区の錆びついた景色とは真逆の、パステルカラーのカラフルな街が目に飛び込んできた。
「あ〜、眩しい……ウエスト区はど〜〜も苦手なんだよな。このいかにも若者文化でござい! って感じがオッサンには厳しいぜ」
「…………」
少女はヘクトのぼやきを無視して、タッチパネルからタクシーを止めた。タクシーはしばらく走ったあと、道路の手頃な地点で止まり、車内では決済端末が青い光で点滅する。少女が自身のカードをタッチすると、タクシーのドアが開く。
「お、おぉ。悪いな」
少女に続いてヘクトが車を降りると、聴こえてきたのは陽気なBGMだ。それが何であったのかはヘクトにはわからなかったが、おおよそ今流行りの歌なのだろう。
ウエスト区はいつでも賑やかで、高いビルの壁面は丸々すべて広告用のディスプレイになっていて、何らかの映画の映像を流している。
通り過ぎる人々の姿はサウス区の侘しいものとは真逆で、派手な色合いの衣服に派手なアクセサリーを混ぜたものばかりだ。サイバーウェアの普及率にしても、イースト区やサウス区のそれを大きく越える。デザインも洗練されたものばかりで、青や黒の滑らかな腕を持つ者、そして顔面に何らかのパーツを組み込んだ跡を持つ者が多い。
「やれやれ。ま、確かに身を隠すにはいい場所かもな。どいつもこいつもスゲー色で、こんな所で人探しは無理だ」
少女を見失わないようにしながら、ヘクトは人混みの中を進む。少女は何かの屋台の前で立ち止まっていた。ホットドッグの店のようだ。
「お? それ買うのか?」
「…………」
そうヘクトが尋ねると、少女はなにか抗議するような目つきで彼を見つめていた。
「……なんだよ」
「さっきのタクシー代……私が払ったんだけど……」
「……あー、わかったよ。どれがいい?」
少女はディスプレイを指差す。彼女が選んだのは、何味かはわからない緑色のソースがかかったホットドッグ(合成肉使用)だ。この国、というよりはこの時代において、合成されていない天然の動物肉はとても貴重で高価だ。そのため、売られているのはもっぱら昆虫を加工して精製した肉だけだ。
こんなものの何がいいのやら、と思いつつも、ヘクトは決済装置にカードを触れる。すると、赤いシャツにドレッドヘアの店主がすぐに商品を渡してきた。
「ありがと」
少女が礼を言ってそれを受け取る。一口食べる……彼女の顔は徐々に濁っていった。
「どうした? そもそもそれ何味だ?」
「まずい……何味かはわからないけど、なんか……フルーツの匂い……」
少女は店の目の前で堂々と文句を言う。彼女の声があと一回り大きければ、店主の耳に届き激しい怒りを買っただろう。ヘクトは眉をひそめ、商品説明を見る。
「……キウイっつーフルーツのソースをかけたらしいぞ」
「…………」
少女はしかめっ面のままホットドッグを食べ進める。
「捨てたらいいんじゃねぇか。まずいんだろ?」
「食べ物を粗末にするとバチが当たる」
「いつの時代の人間だよ、お前」
少女の言葉は旧世界で語られたおとぎ話のものだ。ヘクトは一笑に付し、自分も普通のホットドッグを買って食べる。
「それで? ウエスト区で何をする気なんだ?」
少女は無言でホットドッグを食べながら、ヘクトに端末を突きつけた。その画面には、ホテルのホームページが写っている。
「なになに……アクアランドホテル?」
どうやらそれはウエスト区で人気の高いホテルらしい。概要だけ確認したヘクトは、自身のこめかみのチップに触れる――脳内にサイバーネットへのアクセス音声や映像が広がり、件のホテルについての情報が入ってくる。
「水をテーマにした、テーマパーク風ホテル。ホテル全体が水路で囲まれていて、客室への移動やホテル内の移動は水路で行う……ホテルの部屋からは美しいイルミネーションが見える……」
少女はうんうんと頷いた。どうやらかなり楽しみにしているらしく、目が輝いている――実際に輝いているわけではないが。
「ホテルなんて寝れりゃそれでいいだろうに。とんでもねぇスペースの無駄遣いだな」
そうヘクトがぼやくと、少女は露骨に不機嫌そうな顔をした。それから、心なしか早足で歩き始めたのだった。
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