Chapter2-3 アクアランドホテル

「はぁ、はぁ……み、見えたぞ……あれか?」


 それから約25分。ウエスト区の喧騒を歩き続けた先に、そのホテルはあった。高さは10階以上あるであろう、巨大な建造物。それを取り囲むように堀が作られ、そこが水で満たされている。


 アクアランドホテル。派手なものを好むウエスト区の人間に好まれるだけあって、その外観はまるで遊園地のようであった。船を模したような形のホテルの外壁は、木製かのようにペイントされている。そんなホテルの前で、ヘクトは肩で息をしていた。


「おい……カーバンクル。お前さんは知らないみたいだから言っとくがな。徒歩25分ってのは、もうすでに徒歩の範囲じゃねぇんだ。わかるか? 車かメトロを使えよ!」

「このくらいで疲れないでしょ……」

「おい! 誰もがお前みたいな体力オバケだと思うなよ。オッサンには歩きってだけでキツイんだからよ!」

「大変そうだね……」


 少女は皮肉げに笑い、ヘクトを労う様子もなくホテルの中に入っていく。クソッタレ、と小さく呟き、ヘクトもその後を追った。

 ホテルのロビーでは、穏やかなピアノの曲と、水音が流れていた。ロビーの中心には、このホテルの建物そのものを模した噴水があり、それが絶えず水音を鳴らしていたのだ。


 フロントは無人であり、受付機がそこに置かれている。ロビーには、少女とヘクトの他に客は少ししかいないようだった。その人の少なさと涼しげな室内は、多少なりともヘクトを安心させた。


「で、これが受付機か……」


 ヘクトがタッチパネルを操作するのを、少女が覗き込んでくる。宿泊プランと部屋のサイズを選択できるようだ――彼はその金額を見て目を剥いた。


「げっ! 最低で30AM!?」


 彼が驚くのも無理はなかった。ヘクトが普段使うサウス区のホテルは、安いところでは2AMほどで済む場合すらある。それなりにまともなホテルを取ろうとしても、せいぜいが10AM……このホテルはその3倍だ。


 彼がギャングに要求している金額――つまりこれから入ってくると皮算用している金額を考えれば大した額ではないのかもしれない。しかし、しがない探偵のヘクトを慄かせるには十分な金額であった。


「かぁー……とんだ出費だぜ」


 そう言ってパネルに触れようとした彼の指を、少女が止めた。


「……なんだよ。スイートに泊まるとか言うんじゃないだろうな?」

「別にそれはいい。けど……2部屋にして」

「なにぃ!?」


 ヘクトが触れようとしていたのはツインルーム、つまり2人で1部屋を使用するタイプの部屋である。当然であるが、1部屋だけの購入であるため、2部屋に比べて安い。だというのに、少女はそれを許さないという。


「おい……このツインが35AM。シングルルームだと30AMが2部屋だ。ほとんど俺が払う金が倍になってるじゃねーか!」

「あなたが言ったんでしょ。お代としてホテル代を持つって」

「いや……そりゃ言ったが!」


 単に、少女のぶんのホテル代だけ出す……という話ならば、ヘクトの所持金と照らし合わせてもそう難しいことではなかった。問題はその依頼がボディガードであること。つまり、基本的には2人は同じ場所にいなければならないのだ。


 そうなると、自然とヘクト自身のホテル代も出す必要が出てくる。ツインルームが不可能となると、単純に出費は2倍だ。彼は何としてでもその出費を避けたかった。


「別にいいじゃねぇか、ツインルームで。そもそもボディガードなんだから、ずっと同じ場所にいなきゃ意味ないだろ?」

「ホテルは1人で泊まりたいから」

「そんな理由かよ!?」

「あと、男女で同じ部屋とか……良くないよね」

「ああん? 自分よりバケモンみたいに強い女に手なんか出すかよ。第一お前、まだガキじゃねぇか――あ痛ぁッ!」


 少女は無言でヘクトの脛を蹴飛ばした。涙目で蹲る彼を、彼女は冷たい目で見つめるのだった。


「わ……わかったよ。2部屋取りゃいいんだろ、2部屋……」


 ヘクトはヨロヨロと立ち上がり、受付機を操作する。隣り合った2部屋のシングルルームの朝食付きプランを購入した。決済パネルにカードを触れると、60AMがヘクトの口座から引き落とされる。


「ほら、これで満足だろ。せめて隣の部屋にはしてくれよ。ボディガードとして雇ってるんだからな」


 少女が頷くと、ヘクトはため息とともに受付機から出てきたルームカードのうち1枚を少女に渡し、もう1枚を自分のポケットにしまった。


「さて、と……んじゃ、部屋行くか。エレベーターはどこだ?」

「エレベーターじゃないよ」


 少女は当然のようにそう言うと、ホテル内の案内に従って歩いていく。ヘクトは首を傾げつつ、少女についていく。


「エレベーターじゃないって……じゃあどうやって行くんだよ」

「……こっち」


 少女はある扉の前で立ち止まった。そこには大きな自動ドアがあり、傍らにカード読み取り機があった。少女がルームカードをかざすとドアが開き――その向こうに広がった光景を見て、ヘクトは思わず声を漏らした。


「おお……!?」


 2人の目の前に広がったのは、大きな人工の池のような場所だった。どこかでチョロチョロと水が流れる音が断続的に聞こえてくる。通路の先は桟橋のようになっており、その側に小型のモーターボートが留まっている。


「ホテル……の中だよな? ここ……」


 目を疑いたくなる光景。どうやらここはホテルの中心に位置する場所のようで、天井は非常に高い。人工池は四方をビルの建物に囲まれており、その建物にはいくつもの窓と、その先の部屋の姿が見えた。


「なるほど……ホテルの建物でこの池を囲んでんのか。こりゃすげーな……」


 先程までの葛藤や問答はどこへやら、ヘクトは「こんなものがあるなら30AMも妥当かもしれない」と思い始めていた。

 少女は桟橋を歩いていき、小型のボートに座った。このボートもまた、ルームカードで動作する形式らしい。彼女が座席付近にカードを読み込ませると、側面がガラスドアで閉じ、ゆっくりと船が進み始めた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る