Chapter2-1 アクアランドホテル
「なぁ。そこのアンタ」
そうして歩いていた少女を呼び止める声があった。振り向くと、そこにはいかにも前時代的なベージュ色のトレンチコートを着込んだ、30代ほどの怪しげな男がいた。
「見てたぜ。さっきの大立ち回り」
男がそう続けると、少女は踵を返し歩きだす。そんな彼女に、男は必死に追いすがる。
「待て待て待て! 俺は怪しいもんじゃない!」
「……怪しくないものは怪しくないとか言わない」
「あーそりゃごもっとも! だが待ってくれ。アンタ……『カーバンクル』、だろ?」
男がそう言うと、少女は立ち止まり再び彼を見た。茶髪で、生え際が少し後退している不健康そうな男だ。サイバーウェアの類は身に着けていないように見えるが、こめかみにはチップのようなものがある。恐らくサイバーネット接続用のものだ。それ以外は上から下まで、比較的安い衣服で固めている。
「俺はヘクト・ガザルス。探偵だ。お前を探してた……ってワケじゃないんだが、お前を知ってる。そして今、お前に用がある」
「……なに?」
「頼む! 俺のボディガードを頼まれてくれ!」
ヘクトと名乗った男は顔の前で手を合わせる。旧時代のアジア圏で使われていた祈りや願いのポーズだ。ネオ・アルカディアでもたまに使われる仕草であった。
「……なんで?」
「アンタ相当強いだろ! それも、そんじょそこらのサシなら強いって腕自慢野郎じゃない。あんだけの人数で来られてもまったく問題じゃねーって強さだ。俺は今そういうのが欲しいんだよ!」
「探せばいくらでもいる……」
「あー、そりゃたっかい金かけて探しゃいるかもな。でも生憎、俺はサウス区にしかコネがない上に、そのサウス区で揉めちまったからアテがねぇんだ」
少女は面倒そうに、再び歩き出した。ヘクトはその横に並んで勝手に歩いてくる。
「とにかく、ヤバいヤマに手を出してるわけなんだが……そのぶん、入ってくる金もかなりのモノになるはずなんだ。金ならそいつで払うよ」
「……金なら持ってる」
「おいおい! ガキのお小遣いをやるって言ってるわけじゃないんだぜ? そうだな、仕事が終わったらだいたい5000AMは払う! 1,2年は遊んで暮らせる金だぜ」
「別にいらない」
ヘクトは眉をひそめる。そんな馬鹿な、と口を開く。少女の風体を見て、大金など持っているわけがないと踏んだというのに。少女が早足で歩き続けるのを、ヘクトは慌てて追う。
「なぁ! 頼むよ。人助けだと思って……どっか急いでんのか? それともスゲー忙しい?」
「そうでもない……」
「ならいいだろ!? とりあえず、どこかで止まって話さないか? アンタこれ今どこ向かってんの?」
「……ホテル」
「あん? ホテルからホテル? アンタ普段何して暮らしてんだ?」
「ホテルに泊まって暮らしてる……」
なんのこっちゃ、とヘクトは頭を抱えた。しかしながら、彼はそこに活路を見出だした。探偵の勘というやつだったのかもしれない。
「だったらそのホテル代を当面持ってやる!」
「……?」
「あと俺のオススメのいいホテルも教えてやる! それでどうだ!?」
「…………」
少女はようやく足を止め、再びヘクトを値踏みするように全身を眺めた。それからため息を吐く。
「ボディガードって……何をすればいいの」
渋々、不承不承、そんな言葉がこの上なく似合う表情で少女は言った。それでも肯定は肯定である。ヘクトは満面に喜色を浮かべ少女の手を取る――直後に、その手首を捻り上げられた。痛みと反射で膝が折れる。
「いぃ〜ででででで!? 何すんだお前!」
「あ、いや……ごめん。掴みかかってきたかと思って」
少女が適当にヘクトを解放すると、ヘクトは手首をさすりながら立ち上がり、改めて彼女に手を差し出す。
「握手だよ。これからよろしく頼むってことだ」
少女は男の手を観察する――とりあえず毒や刃の類は手にはなく、サイバーウェアの擬態でもない。筋力がそこまで高いわけでもない……と分析したあとで、おずおずと手を重ね、握った。
「……なんか握りが浅いのは警戒してるのか」
「いや……別に……」
「まぁいいや。改めてよろしくな、カーバンクル。あ、カーバンクルって呼んでいいのか?」
「別に……いいよ」
少女は握ったその手を、しばらく見つめていた。こうして正式に仕事を請けることなど、彼女にとっては本当に久しぶりだったのだ。
「……それでな。カーバンクル、ニュースは読むか?」
「それなりには……」
2人は無人運転のホバータクシーに乗っていた。常に移動する他に誰もいない個室は、密談にはもってこいだった。浮遊する車は揺れもなく、快適なドライブを提供してくれる……が、そのぶん値は張る。高速で流れていく景色を少女は眺めていた。
「若いのに結構なことだ。なら、今サウス区でブルームーンってギャングが暴れてるのを知ってるだろ?」
少女は、今朝ホテルで読んだニュースを思い返し頷く。
「アレはな、俺を狙ってんだ。襲われた場所ってのは、俺がいた場所か、俺がいるって偽の情報を流した店ばっかさ」
ヘクトは悪びれもせずに笑った。そのせいで犠牲は出ているが、彼にとって知ったことではない。かと言って、これは彼が特別に外道なわけではない――ネオ・アルカディアにおいては比較的一般的といえるモラルだった。
「それでな。俺は探偵として比較的有能なわけで、まぁ何をしたかっつーと、ギャング親分の犯罪の……証拠ログみたいなモンを握っちまったわけだ」
「ふーん……」
「で、親分が今別件で捕まって裁判中だろ。その裁判がだいたい2週間後にあるんだ。それまでに俺が裁判所に握った証拠を突き出せば、その親分は当分出てこれない。逆に俺が何もしなければ、親分はさっさと出てくる――」
ヘクトは悪辣な笑みを浮かべ、指で金を表すジェスチャーをしてみせる。
「となりゃあ、脅すだろ。証拠のファイルのコピーと共に、これを送られたくなけりゃ金よこせって送ったわけよ」
窓の景色を見ていた少女は、怪訝な顔でヘクトを見つめなおした。彼は気にせず続ける。
「……そしたらアイツらカンッカンでよ。今すぐ出せ、ぶっ殺してやる……つって大荒れよ。俺はサウス区を拠点にしてるんだが、もうどこで飲んでてもブルームーンの奴らが襲ってきて……」
「当たり前でしょ……」
喧嘩を売る相手を間違えているとしか思えない……。少女はさっそくボディガードを請けたことを後悔し始めていた。
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