Chapter1-6 ウェンズデーイン ダイイング工場前

 翌日、少女はアラームが鳴る前に目を覚ました。ベッドから起き上がると、体を伸ばす。


「……」


 少女は、しばらくそのままの姿勢で固まっていた。そして、ふと思い出したように、机の上に置かれたタブレットを手に取り、ニュースを開く。


『サウス区のギャング「ブルームーン」による襲撃行為が相次ぐ』――そんな見出しが目に入る。少女は記事を読む。


 どうも、昨晩、サウス区でレストランがギャングに襲われたらしい。そのギャング「ブルームーン」は、以前から何件かの襲撃事件を起こしている。


 頭領であるダスティンはこの少し前に収監されており、裁判が近い。それが部下の暴走を招いている……とのことだった。


「…………」


 サウス区に行くのはしばらくやめておいたほうが良さそうだ、と少女は思った。そもそもサウス区のホテルは大したものもないので、行く気はないのだが。


 そんなニュースを読んだあとで、少女は身支度を整える。チェックアウトにはまだ時間があるが、このホテルでやることはもうない――素泊まりなので朝食も出ない。そのため、少女は部屋を出て、ルームキーを回収。エレベーターに乗ってフロントフロアに到着した。


「あら、お嬢ちゃん?」


 フロントには、偶然にも昨日サウナで会った女性がいた。女性はスーツ姿であり、その衣服にもくたびれた様子はない。


 おそらくイースト区に住んでいる人間ではない――一時的にこちらに用事のあった、セントラル区かウエスト区の人間なのだろう。少女は軽く会釈をする。


「……おはよう」

「えぇ、おはよう。あのあと大丈夫だった? ちゃんと水飲んで寝たでしょうね?」

「……」


 少女は無言で頷く。女性は困ったように微笑んだ。


「そう、なら良かったわ。体には気をつけるのよ」


 女性はカードで手早くチェックアウトを済ます。少女に軽く手を振ると、フロントからは去っていった。


 続いて少女もまたチェックアウトを行う。ホテルマンは昨日の男とは別人だった。少女にも何ら関心を見せることはなく、料金の支払いは終わり、少女はトレイと防犯ブザーをフロントに返す。エレベーターに乗ってホテルの入り口に出た。


「……?」


 少女は、ホテルの前の光景を見て立ち止まり、身を隠す。そこには、多くの人間が集まっていた。人間の数は8人くらいだろうか――全員が武装しており、中には銃器を持っている者もいるようだ。


 ホテルの警備員が立ち去るよう警告しているものの、彼らは意に介さずその場から離れない。


「よう、姉ちゃん。このホテルでガキ見なかったか?」


 少女は咄嗟に、ホテルの入り口付近の死角にしゃがみ込み、外の音を聞いていた。


「……なんですか? あなた達。知らないですよ」


 その声は、先ほどチェックアウトした女性の声だった。警備員の声が度々混じるが、彼は完全に気圧されている声色を出すばかりだ。


「あの、当店の前で揉め事は……」

「昨日俺の部下がこっぴどくやられてよ。やったのはここの客のガキだって、見てたやつが言ってたんだ……ホントに知らないのかい?」


 そういうことか、と少女は嘆息する。昨日返り討ちにしたチンピラの親玉が来ているようだ。少女は隠れながら、その集団の様子を伺う。


「知りませんってば……」

「へぇ。まぁいい。それよりお前、セントラル区の人間か? 金持ってそうだな」

「ちょっと……!」


 女性の切迫した様子の声が聞こえてくる。仕方がない、と少女は彼らを追い払うことを決意した。少しだけ準備をしたあとで、少女の目が赤く光り、その視界に映る景色がスローになり始めた。


「1人……2秒か3秒……8人で16秒から24秒」


 少女は死角から一気に飛び出した。そして――


 0秒00 少女は、その特殊な「目」で周辺情報をスキャニングする――攻撃対象8名。ハンドガン1名、テーザー銃2名、ナイフ2名、金属パイプ1名、素手2名――うち1名は左腕をサイバーウェアに換装済――AM1400型。パンチ力増強と握力増強効果のもの。もう1名の素手がリーダー格……少女は集団に向かって走る。


 0秒16 少女が、手に持っていた消火器――ホテルの入り口にあったもの――を、彼女から見て最も手前の男に投擲する。


 0秒72 少女が最も近い男に接敵。接敵された1名を含む3名が少女の出現に気付く。


 0秒97 接敵された男は、消火器が自分の目の前に飛んできていることに気付く。


 1秒02 男の目頭と消火器が激突する。眼窩に衝撃が走るが、骨折には至らず。


 1秒06 ほぼ同時に、少女の貫手が男の鳩尾に突き刺さる。横隔膜の動きが停止し、男の呼吸が止まる。


 1秒56 他の5名も少女の襲撃に気付き、武器を握り直し始める。


 1秒62 少女は、後ろに倒れ込む男の後頭部の落下地点に膝を立て、顔面の上から掌底を打ち下ろし、その衝撃を逃がさない。男は第一頚椎を軽度に損傷。意識を失った。残り7名。


 1秒79 「おい! まさか――」とリーダー格の男が少女に話し始める。


 2秒11 彼女は倒れた男が持っていたナイフを拾い、同時に素手のサイバーウェアの男に向けて、落下した消火器を蹴り転がす。


 2秒35 「お前が俺の部下を――」とリーダー格の男が続ける。


 2秒41 テーザー銃を持った男のうちの1人が構えたと同時、少女はその男めがけてナイフを投げ、彼に向かって走る。


 2秒76 サイバーウェアの男が少女に向かって走り出す。


 3秒12 「シメた――オイ!?」リーダー格の男が言葉を途切れさせる。


 3秒28 少女が投げたナイフが、テーザー銃の男の首に突き刺さった。気管を切断。ナイフの刀身が体内に食い込む。


 3秒30 事態を理解できないテーザー銃の男が一瞬硬直する。


 3秒42 サイバーウェアの男は少女に向かって走る。


 3秒65 テーザー銃の男は、首元に刺さったナイフを見下ろし、パニックに陥る。無我夢中で引き金を引く――その寸前で少女は男の目の前に到着。


 3秒67 少女がテーザー銃の男の手を払い、銃口を金属パイプの男にずらす。


 3秒72 サイバーウェアの男は、転がってきた消火器に足を取られて盛大に転ぶ。


 4秒03 テーザー銃の男の発砲したケーブルが金属パイプの男に命中し、電流を流す。「あががががっ……!」という悲鳴が響く。


 4秒12 少女は跳び上がって、テーザー銃の男の喉に刺さったナイフを引き抜いて着地する。その勢いで、男はその場にうつ伏せに倒れる――残り6名。


 4秒23 盛大に転んだサイバーウェアの男は、受け身を取れずに後頭部を地面に強打。その場で悶絶する。


 4秒29 ハンドガンの男が唾を飲み、少女に向けて銃を構え始める。


 4秒65 少女は再び周辺をスキャニング。一瞬で状況を把握。ハンドガンの男の足にナイフを投げる。


 5秒55 ハンドガンの男の大腿部にナイフが刺さる――大腿直筋断裂、貫通動脈を損傷。


 5秒78 ハンドガンの男が出血とともに立っていられなくなる。少女は彼の目の前に到着。


 6秒12 少女はハンドガンのスライドを掴み、男の手首の可動域と逆方向に銃を引っ張る。男が反射的に銃から手を離す。


 6秒23 リーダー格の男が「オイ!? 何が起きて――」と言う。


 6秒47 少女はスライドを手に持ち、グリップ部分でハンドガンの男のこめかみを殴打――脳震盪が発生し、彼はその場に倒れ込む。残り5名。


 6秒56 「やがる――!?」とリーダー格の男が不安げに辺りを見回す。


 7秒06 「う、うああああああ!」と、ナイフを持った男が半ば恐慌状態で少女に向かって走る。


 7秒30 少女はハンドガンを持ち直し、スライドして弾丸を装填する。


 7秒43 少女はやや低い姿勢から、迫ってくるナイフの男の肘に向けて射撃を行う。


 7秒51 ハンドガンから撃ち出された弾丸が、男のナイフを持っている側の腕の橈骨と肘関節を破壊。


 7秒76 激痛と骨折で力を失った彼の手からナイフが落ちる。それは彼の走行の勢いにより、少女に降り注ぐ。


 7秒81 少女は降ってきたナイフをキャッチし、立ち上がる。


 8秒28 ナイフを持っていた男に少女が足をかけ転ばせる。顔面から倒れた男は、そのまま意識を手放す――残り4名。


 9秒12 テーザー銃の電流を流されていた金属パイプの男が失神。その場に倒れる――残り3名。


 9秒65 倒れていたサイバーウェアの男に少女が近付く。男の傍らに少女がしゃがみ込む。


 10秒81 ハンドガンの持ち主にそうしたように、再びグリップ部分でサイバーウェアの男のこめかみを殴打。男は呻いて失神する。残り2名。


 11秒61 少女が立ち上がる。この時点で彼らの武装は実質もう一丁のテーザー銃だけであった。残ったテーザー銃の男は、状況を整理したあと慌ててテーザー銃を構えて少女に向ける。同時に少女がハンドガンを男に向ける。


 12秒02 少女が引き金を引く。弾丸はテーザー銃の中心に命中。機構を破壊した。敵の武装がすべて無力化される。


 12秒50 「残り2人で6秒……」と少女が呟く。少女はハンドガンを2人に向けたままでいる。


 14秒11 「……もう諦めて」と少女が言う。テーザー銃の男は、壊れた武器をその場に捨て、両手を上げた。


 15秒69 残るリーダー格の男も、渋々といった様子で両手を上げる。……残り0名。制圧が完了していた。


「……だいたい16秒」


 少女はハンドガンを構えたまま、その場で身動きが取れずに一部始終を見ていた女性に歩み寄る。


「ひっ……」


 しかし、女性は小さく悲鳴を上げて後退る。それは、当然といえば当然のことだった。


 人は、窮地を救ってくれるヒーローに感謝と尊敬の念を抱く。だが、そのヒーローの力が――あまりに圧倒的だったとしたら。そのヒーローが、自分をも容易く殺せる存在だと理解してしまったら、そこには恐怖が溢れ出すだろう。


 少女の戦闘力は明らかに人間離れしていた。特別に腕力や脚力が強いわけでもないが、それでも傍で見ていて、女性は何か恐るべきものを感じざるを得なかった。


 そんな彼女に対し、少女は少し寂しそうな表情を見せた。それから、ハンドガンのマガジンを落とし、スライドを引いて解体し、その場にパーツを投げ捨てる。


「……無事でよかった」


 少女はそう伝えると、女性とも、武装集団とも違う方向に歩いていく。女性は慌てて立ち上がり、ホテルから去っていく。後には、悶絶して倒れる6名と、魂を抜かれたように立ち尽くす2名の男だけが残された。



『ウェンズデーイン ダイイング工場前』

★★★☆☆

 清掃は行き届いてはいないが、汚いわけでもない。イースト区のホテルなら許容範囲内。

 道路に面している部屋は、昼などにチェックインするとうるさいかも。

 防犯設備は基本的にないに等しいのと、周りの治安もよくないので、女性の利用には向かない。

 浴場は広めでジャグジーも気持ちいいので、お風呂に入るだけでも価格以上の満足感はあるかも。

 屋上にちょっとした庭園があって、景色はなかなかいい。ただし、イースト区の工場区なので、ウェスト区やセントラル区みたいな景色は期待してはいけない。


 それと、サウナとかいうやつは、何がいいのか全然わからなかった。


 ――カーバンクルのホテルレビューより。

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