Chapter1-5 ウェンズデーイン ダイイング工場前
少女がホテルに戻るとき、さして時間は経っていなかった。ホテルマンは彼女が戻ってきたのを見て、半笑いでため息を吐く。
「度胸試しか何かかい? さっさと帰ってきたのは正解だったな。お前さんみたいな子供、スラムじゃ泣かされるだけじゃ済まないよ」
「……うん」
少女は小さく返事をするだけで何も言わない。彼女はそのまま、フロントに置かれたMW(ミラクルウェーブ)レンジに、買ってきたインスタント食品をまとめて入れる。
ボタンを押すと、内部で商品がゆっくりと回り始める。個別で加熱が必要な商品をまとめて入れても、機械が内部で加熱時間を識別し、それぞれに相応しい時間加熱してくれる。それが電子レンジの進化系と呼ばれるMWレンジだった。
「……ん? 飯買ってきたのか?」
「うん……」
少女はMWレンジの操作面にホログラム表示された合計カロリーと栄養価を見るともなく見ながら、あっさりとそう答えた。
「おいマジかよ。そんなところまで出歩いてたのか? よく無事だったな」
「……運が良かったのかも」
「ああ、まったくラッキーだぜお前さん。普通、お前さんみたいのがここで歩いてたら、真っ先に襲われてるさ」
「…………」
少女は何も返さない。まさに先程襲われてきたところではあるが、それを語る気はなかった。MWレンジが加熱完了のアラームを鳴らす。
「あつっ……」
少女は、熱く加熱された食品をレンジの隣にあったトレイに載せて運ぶ。
夜になっただけあって、自室に着くまでは誰とすれ違うこともなかった。部屋に入り、少女はテーブルにトレイを載せると、そのうちの1つ――冷凍ピザを食べる。溶けたチーズが伸び、一口食べるとトマトの風味とチーズの匂いが混ざった。
パリパリした食感は食べやすく、少女は次々に手を伸ばす。度々入ってくるアンチョビの塩味も、少女の舌を楽しませた。ネオ・アルカディアは、サウス区が海に面していることもあり、魚介類の供給は他資源に比べていくらか多い。こうして冷凍食品にも使えるほどに。
残ったサイダーとともにピザを食べる。サイダーは温くなって炭酸もやや抜けていたが、かえってピザには合うような気がした。
ピザを平らげたあとで、少女は同様にレンジで温めていたフォンダンショコラを手に取る。やはり温度は少し下がっていたが、柔らかいケーキの感触とチョコレートの香りは健在だ。
付属していたフォークで刺すと、中からトロリとしたチョコソースが流れ出る。少女はそれを口に運び、咀しゃくする。
「……」
少女は黙ってそれを味わい、飲み込む――その傍らで、少女は窓の外を眺めていた。外は既に暗くなっていたが、一方で遠くの工場の光は消えていない。まだ働いている人間、またはアンドロイドがいるのだろう。そういった遠くに見える人の営みのようなものが少女は好きだった。
食事を終えた少女は、改めてタブレットを見る。ホテルの情報が色々と出てくるがその中に、屋上庭園の情報があった。このホテルでは、夜の10時から朝の5時までを除く時間、屋上が解放されているらしい。
タブレットで時間を確認する。今はまだ8時半ばといったところだ。少女はゴミを片付けると部屋を出て屋上に向かった。
エレベーターのドアが開く。無機質なコンクリートの空間の先に、物理ドア(自動で開く形式でないドア)があった。少女がドアノブを捻り開けると、風が吹き込んでくるのがわかる。
ドアの先には、たしかに庭園のようなものがあった。植物を模したオブジェクトが置かれ、いくつかの屋根付きのソファが置かれている。屋上の縁はフェンスで覆われ、その先にイースト区の景色が見えた。
景色とは言っても、ほとんどが灰色の壁の工場だ。工場と工場の間に道路と、違法建築されたと思われる建物が見える。道路の傍らの歩道には無造作にゴミ箱が置かれ、どこかから吹いてくる風に乗ってボロボロの紙が舞っている。
少し歩いて、屋上の反対側の景色を見ると、高い建物がほとんどないサウス区と、高層ビルが立ち並ぶセントラル区が微かに見える。ネオ・アルカディアには区を仕切る壁はないものの、その特徴と格差は目に見えてハッキリと現れていた。
「…………」
セントラル区。きらびやかに光るビルの数々を見て、少女は過去を回想する――が、すぐに思考を打ち切り、代わりに空を見上げた。
昨日と変わりない空だ。空には星1つありはしない。天球状のシェルターはすべてを遮断し、スモッグが上空を滞留している。見上げた先に光はなく、光はただ、地上の建物の間にあるばかりだった。
少女は一通りその景色に満足し、物理ドアを開けて屋上を出た。エレベーターに乗り、自分の部屋に戻る。時刻は21時だった。
これ以上、やることが特にあるわけでもない。少女は洗面所で、アメニティとして配置された口内洗浄液を口に含む。それは大昔のマウスウォッシュとは違い、歯自体の汚れや歯茎の汚れも落とす、いわば歯を磨くことと変わらない効果があった。
その代わりに、1分近く口に含まなければならないうえに、基本的にまずい。匂いをごまかすために強いミントの匂いが入っているが、それがむしろ薬品のようで余計に嫌な気分にさせられる。
「……」
少女は不機嫌そうな顔で、それを洗面器に吐き捨てた。同じくアメニティとして配置された精製水で口をゆすぐ。体を洗い、口内を洗い、寝る準備か整った少女は、ベッド付近に備えられたアラームをセットすると、部屋の明かりを消した。
少女はカーテンを閉めずに、窓の外が見えるようにしてベッドに寝ていた。空の色は今日も変わらない。工場の電気がまだ付いているのを確認して、少女はそっと目を閉じた。
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