Chapter1-4 ウェンズデーイン ダイイング工場前

 次に彼女が目覚めたとき、既に日は暮れていた。時刻は19時半。少女は、自分が寝すぎたことを悟る。窓の外はもう暗くなっていた。


 少女は4階の部屋の窓から外の様子を見る。冷たく冷えた窓に手を触れ、小さく見える人の姿をただ見下ろす。


 彼女はこの光景が好きだった。人通りが増え、人通りが減り、車が通り、車が消え……街が起きる瞬間と眠る瞬間を、ホテルでは特等席で眺められる。道路に面したこのホテルでは、それが顕著に見られた。


 窓の外を眺めていた少女は、ここで自分の状況を思い出す。夕食を確保しなければならない。疲れて眠ったせいか、すでに空腹具合はなかなかのものだった。


 少女は荷物も何も持たずに(部屋のカードキーだけは回収して)ホテルのロビーを出た。ホテルマンが何かを言いたそうにしていたが、何も言わずに彼女を見送る。ホテルの外で客が襲われても、それはホテルには関係がない話だからだ。


 ホテルの自動ドアが開くと、街灯の少ない道路が見える。そんな道の端にはホームレスや、精製アルコールで酔っ払った若者、あるいは何が目的かぶつぶつ呟きながら佇む怪しげな人物などがいる。


 ここ、イースト区の工場地区には失業者や、その日暮らしの人間が多い。工場の主役は今やAIやロボットで、人間はその下でこき使われている。


 それもどちらかというと、国が需要を発生させたいから無意味に配置しているような役割に過ぎず、彼らの多くは日がな一日、理由もなくAIに使い走らされ、罵倒されているのだ。


 そういう事情があってか、工場地区の周辺の人間は苛立っていたり無軌道な行動をするケースが多い。治安の悪い場所には、相応の人間が集まってくる……スラムの出来上がりであった。


 少女はそんな中を悠然と歩く。周辺マップを見ようとして、端末をホテルに置いてきたことに気付いた。小さくため息を吐くと、再び適当に歩き出した。


「ようお嬢ちゃん! 迷子かい!」


 大声で道の端から声をかけてきたのは、ゴーグルを着けた若者だった。少女がそちらを見ると、そこには数人の男がいて、その中の1人のようだ。


「早く帰らないと、ギャングに捕まってバラされちゃうぞ!」


 男達は下品に笑っている。少女は無視して歩みを進めた。幸い、彼らはそれ以上絡んでくることはなかった。


 彼らを無視してしばらく道なりに歩くと、強い光が目に入ってくる。それは紫色の怪しい光を常に放つ小屋のようなもの……コンビニエンスストアだ。


 コンビニと言っても、そこに店員などはいない。購入も決済もすべて1台のアンドロイド店員が管理する。少女は自動ドアを開け、コンビニに入った。


「いらっしゃいませ」


 店内は薄暗い。照明も最低限のもので、商品棚はぼんやりと照らされていた。並んでいるのは合成食品やエナジードリンク。あとは依存性の低いドラッグや酒なども置かれている。


 これらは人気商品だが、少女には無用の長物だった。彼女はいくつかのインスタント食品を手に取り、店の奥にあるレジに向かう。


「……あの」

「はい。何でしょうか?」


 少女が話しかけると、カウンターの向こうにいる女性型のアンドロイドが返事をした。彼女は少女をじっと見つめる。少女は無言で購入商品を差し出した。


「お買い上げですね。ありがとうございます」


 アンドロイドは手際よくバーコードを読み取り、会計処理をする。


「合計で1AMになりま、ありがとうございました」


 少女がパーソナルカードで会計を済ますと、プログラムされたセリフを言い終わる前にアンドロイドが頭を下げた。コンビニに配置されたアンドロイドはかなりの旧型で、ただのロボットと遜色ない代物だった。


 少女が店を出ると、コンビニの外には3名の男が待ち構えていた。十中八九、少女の所持金を狙っているのだろう。


 ここネオ・アルカディアでは、個人の識別番号と所持金が各人に配布されたパーソナルカードと結び付けて管理されている。先ほど少女がそうしたように、会計をそのカードで直接行うこともできる。


 本人の生体情報と一致しなければカードの機能を使うことはできないが、逆に言えば、個人の生体情報と一致さえすれば――つまり暴力や脅迫によって本人にカードを使わせれば、金を奪い取ることは容易くできるというわけだ。


 故に、暴力への備えのない人間は、こうしたスラムでパーソナルカードを使ってはいけない。カードを持っているところを見られれば、たちまちこういった人間がやってきてしまうからだ――。


「ちょっと世間知らずだったな、お嬢ちゃん」


 男たちはニヤつきながら、少女を取り囲むように動いた。少女は表情を変えず、ただ彼らの動きを見ている。彼らはそれぞれ、スタンロッドと警棒、旧型のハンドガンで武装していた。


「どこの区から来たか知らないが、イースト区には俺達みたいなのがいるんだぜ。お嬢ちゃんみたいなちびっ子が1人で、しかもパーソナルカード使うなんて、襲ってくれって言ってるようなもんだ」


「セントラル区か……ウエスト区ってとこだろ? あっちはいくらか治安もいいもんな。さ、お嬢ちゃん。勉強代の支払いの時間だ。大怪我したくなきゃカードを出しな」


 少女は黙ったまま、片手をパーカーのポケットに突っ込み、もう片方の手はコンビニのビニールの袋を持ったまま彼らを見ていた。怯えも戸惑いもしない冷たい瞳に、男たちはむしろ逆上する。


「言葉がわかんねぇのか? いいから出せって――」


 警棒を持った男が少女の腕を掴もうとする。その瞬間、少女の左手がパーカーのポケットから飛び出す――伸ばした男の手の中指を掴んだ。


「あっ!?」


 右手の袋を地面に落とすと、少女は男の中指を掴んだままの左手に、右手の手の平をぶつける――その衝撃により、一瞬にして男の中指が曲がらない方向に曲がった。


「いぎゃあああっ!?」


 男は悲鳴を上げ、地面に倒れ込む。彼は何が起きたかもわからないまま、激しく痛む中指を握り包み、のたうち回る。少女は冷めた目で、男を見下ろしていた。


「てめぇっ!」


 仲間が倒されたことで、他の2人が逆上し、武器を構える。本来は、小さな少女を前にしているという油断と慢心から決して使う予定のなかった武器だ。


 それでも、武器は武器。彼らは確かに、少女に――カーバンクルに対して、威力の高い武器を向けたのだ。その瞬間、少女の目は赤く輝き――


「動くんじゃ――オゥッ……!?」

「うらぁーー! えッ……!」


 男が苦悶の声と共に唾液を吐き、もう1人は悲鳴をあげながら前のめりに倒れ、スタンロッドを取り落とす。


 男の持っていたハンドガンはいつの間にか少女の手の中にあり、銃口から硝煙を上げていた。


 ――男3人を無力化したのと同時に、赤く光っていた少女の目が元通りになっていく。


「…………」


 少女は無言のまま、奪ったハンドガンを眺める。今時、電子制御されていない銃は珍しかった。威力や弾速にしても、現行のものに比べればおもちゃに近い。それでも、人体を破壊するには十分だ。


 しばらくそれを見つめた後、興味を失ったかのように、彼女は銃をコンビニのゴミ箱に捨ててしまった。それから落としたコンビニのビニール袋を拾い上げ、再び歩き始めた。


 少女が去った後も、残された3人の男は、激痛に悶え倒れたままだった。

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