Chapter1-3 ウェンズデーイン ダイイング工場前

「ちょっと、大丈夫!?」


 残っていた先客の女性が、倒れそうな少女を支えた。少女はなんとか返事をしようとするも、口がうまく動かず、頷くだけだった。


「いやいや、大丈夫じゃないでしょ……。無茶しちゃだめよ、まだ小さいんだから」


 女性は少女の肩を支えてサウナを出る。見た目ほど小さい年齢ではない……と否定しようとした少女だったが、その余裕は今の彼女にはなかった。


 それから、女性は少女を脱衣所に連れて行った。その空間にはクーラーが効いていて、水風呂のように急速に冷やすわけではないぶん体調を回復させやすい。


「ほら、ゆっくり座って」


 少女は言われるままに脱衣所のベンチに腰掛ける。頭がふわふわしてきて、何も考えられなくなっていた。


「はいこれ飲んで。お水ね」


 少女は紙コップを受け取り、それに口をつける。風呂上がりに最初に飲みたいのはサイダーだったが、これは仕方がないと自らを納得させて飲み干した。


「……っ、はぁ……」

「落ち着いた?」

「……うん。ありがとう……」

「あなた、親御さんは? 男湯かしら?」


 少女は頭の痛みを感じつつ、首を横に振った。


「……私は、1人で来てる」

「1人で、って……ホテルに? その年で?」


 少女は頷く。若者の街であり、無軌道な若者の多いウエスト区ならばそういった家出少女も少なくはないだろうが、ここはイースト区のビジネスホテルだ。


 金に余裕のない人間が泊まれる場所ではないし、かと言って金持ちならばわざわざここを選びはしない。家出にしては随分と渋いチョイスに、女性は首をひねる。


「うーん……事情は聞かないけど……イースト区はあんまり治安が良くないし、このホテルもスラムに近い場所にあるから、夜出歩いたりしないようにしなさいね」


 少女は無表情で頷いた。それを見て、女性は納得した様子で立ち上がる。


「ま。何かあったらフロントに連絡して。立って歩けるようになったら部屋に戻るのよ。それじゃ」


 女性はそう言い残して、浴場に戻っていった。少女はその背中を見送り、天井を見上げる。2回ほど深呼吸して心臓に手を当てた。


「……ふぅ〜……」


 まさか倒れてしまうとは思ってもいなかった。サウナはやはり危険な場所だ。少女はサウナを封印しようと心に決めた。

 それからしばらくベンチで横になっていると、少女は意識がはっきりし、手指の先端まで感覚が戻ってきているのを感じていた。少女は立ち上がって体を伸ばし、大きく息を吐く。


 彼女はリニューアルドライヤーに入れていた自らの下着と衣服を取り出し、それを身に着けた。パーカーとショートパンツ。少女は基本的に常にこの出で立ちであった。リニューアルドライヤーに入れさえすれば、一年中同じ服でもさして問題はないからだ。ネオ・アルカディアでは、むしろ服にこだわりがない限りは同じ服を着ていることのほうが多い。


 それから、少女は洗面台の前でヘアドライヤーで髪を乾かし、改めて客室に戻ることにした。


 部屋に戻る道中、少女は自分の鼓動が強くなるのを感じ、また廊下の静かな空気と風を好ましく思っていた。何に注目することもない、無機質な廊下。それがかえって、混み混みとした街の景色を忘れさせてくれるのかもしれない……などと考えながら、少女は自室に戻ってきた。


 少女は勢い良くベッドに飛び込むと、その後小型冷蔵庫を開け、中に入ったサイダーを開ける。プシ、という小気味良い音が部屋に響いた。

 少女は喉を鳴らしながらサイダーを飲む。冷たい液体が食道を通って胃に流れ込んでいくのがわかる。


「ぷはっ……!」


 3分の1ほど一気に飲んで、ようやくサイダーの風味や味を意識し始める。旧世界に存在した果物、グレープの味を再現したサイダー。実物は食べたことがないが、甘酸っぱく、こんな味がするならいつか食べてみたいと少女は思った。


「……ふぅ」


 悲願を達成し、少女はベッドサイドにサイダーを置いてベッドに横になった。さすがに、先ほど倒れかけただけあって体は疲れていた。眠気を感じる。とはいえ、まだ眠るわけにはいかなかった。何しろ、このホテルは素泊まりだ。夕食の類が出ないということは、自分で確保する必要がある。


 女性の夜歩きは危険な地区だ。それを考えると、早めにどこかで食糧を確保しなければならない――


「…………」


 ――そう理性ではわかっていても、体の疲れと清潔なシーツに、少女は目を閉じてしまった。

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