Chapter1-2 ウェンズデーイン ダイイング工場前

 そこに映っていたのは、温泉設備の情報だった。どうやらこのホテルには人工温泉があるらしい。少女はタブレットを操作して、施設の詳細を確認する。やや大きめの浴場には、サウナやジャグジーがあるとのことだ。


「…………」


 少女はサイダーを飲まずに、室内に備え付けられた冷蔵庫に入れた。特に今、差し迫って喉が渇いているわけではない。であれば――風呂上がりに飲んだほうが美味い。少女はそのことに気づいたのだ。


 タブレットで確認したところ、温泉施設は7階に配置されているらしい。少女は備え付けのタオルやバッグを持ち、部屋を出た。


 エレベーターに乗って、7階に到着する。4階と違い、この階だと音が増えていた。その主たるものは人の声だ。浴場があるだけあって、人も集まっているのだろう。加えて、ほんの少しだけ水の音が聞こえてくる。


 少女は「浴室はこちら」と書かれた宙に浮くネオンサインに従って、通路を進んでいく。


 イースト区の人間が主に利用しているためか、そこにいる人々はほとんどがスーツか、工業作業用の全身スーツを身に着けている。


 また、すれ違う人間や、疲労除去機に入っている人間は男ばかりで、カーバンクルのような若い少女は他にはいない。だからといって少女は物怖じする様子もなく、堂々と歩いていく。


 やがて少女は、『女』と描かれたスライドドアの前に立つ。入り口の黒いタッチパネルに触れると、簡易生体認証が働き、少女を女性と認定。ドアが開いた。


 隣には『男』のドアもあったが、そちらは少女には無用の長物である。第一開きもしない。


「……」


 少女は脱衣所に入る。そこには髪を乾かしている女性が1人いるだけで、非常にひっそりしていた。少女はロッカーの前でパーカーを脱ぐ。薄手のシャツが露わになる。


 少女はそこで一度動きを止めた。シャツとショートパンツの薄着の状態で、脱衣所の角に向かって歩いていき、しゃがみ込む。


「……やっぱり」


 そこには1センチ程度の黒いコードが飛び出していた。その表面に、一箇所だけ光沢が強い箇所がある。カメラのレンズだった。恐らくは、脱衣所を盗撮する目的のものだろう。


 生体認証も絶対ではない。スタッフならば入れるし、そもそもこの時代において、男や女という概念はある程度の金さえあればいつでも手術で切り替えられる。とにかく、少女はカメラのレンズ部分を千切ってゴミ箱に捨てた。


 安心した少女はシャツを脱ぎ、ショートパンツのポケットから中身を出してから、下着とともに脱いだ。


 少女はそれらの脱いだ衣服を、1回0.1AMで利用できるリニューアルドライヤーに入れる。ホテルなどには基本的に備え付けられているもので、入れた衣服の汚れをナノレベルで分解し、またほつれなどをAIで修復することで新品とほぼ変わらない状態にするものだ。


 少女は服の洗浄を機械に任せると、今度はタオルを巻いて浴場に向かった。


「おぉ……」


 中に入ると、そこは広々とした空間が広がっていた。床はタイル張りで壁は白、天井は黒で、照明は暖色系の光を放っており、全体的に落ち着いた雰囲気である。


 少女は、そんな浴場の中を見回す。湯気で視界が悪いが、少なくとも3名の利用者がいた。体を洗浄するスペースに対して、利用者はかなり少ないと言っていい。その分広々と使えるので、少女としてはありがたかった。


 少女は水色の髪をシャンプーで泡立てて洗う。特に髪型にこだわりは無かったが、今のセミショートヘアーは、髪を洗うのが楽で好きだった。髪の泡を流したあとは、ボディーソープで体を軽く洗い、これもシャワーで流す。


「……ふー……」


 濡れた髪を軽くまとめて、少女は施設案内にあったジャグジーに向かった。ジャグジーは合計で3台あったが、この女性客の少なさから考えれば、ほとんど貸し切りのようなものだ。タオルを傍らに置いて手近なジャグジーバスに横になる。


「……あ〜……」


 スイッチを入れると、ジャグジーは勢いよくお湯を吐き出し始めた。少女は心地よさそうに身をゆだねる。


 少女は目を閉じて、体の力を抜く。疲れが取れていくような気がして思わず声が出たが、さすがに少し気恥ずかしさを覚えて、以降は声を出さなかった。


 このジャグジーは、一般的にスマートジャグジーと呼ばれるものだった。入っている人間の体温や体重、体格を触れている水から読み取り、おおよそその対象にとって最適な温度や湿度、ジャグジーの強さをAIが調整するのだ。


 しばらくすると、体が温まってきたのか眠くなってきた。少女は目を閉じる。このまま寝てしまうのもいいかもしれない。……スマートジャグジーの数少ない欠点の1つが、使用者が基本的に強い眠気に襲われることだ。


「……!」


 ほとんど眠りかけていた状態から、少女は覚醒した。危ないところだった。ジャグジーバスは普通の湯船よりは浅いものの、それでもさすがに眠ってしまうと溺れる危険がある。


 少女は目をこすり、首を回してジャグジーから出た。タオルで軽く体を拭いて、浴場から出ようとする――そんな彼女の視界の端に、サウナの文字が目に入った。


「……サウナ……か……」


 少女は特にサウナが好きなわけではなかったが、サウナの熱には興味があった。熱で汗を流すことで、喉が渇くのは必然……彼女は今ここに、喉を渇かすためにやって来たのだ。


 それゆえに、彼女は人生で初めてかもしれないサウナに入ることにした。スライドドアを開くと、むわっとした空気が流れ込んでくる。室内の温度は80度。かなり高い。


 少女が室内に入ると、扉が自動的に閉まる。木製の床がみしりと鳴り、息を吸うだけで熱風が喉の奥にまで吹き込んでくる。


「……!」


 少女は想定外の暑さに驚きながらも、案外心地よさも感じていた。濡れていた体とタオルが乾いていくような気がする。


 室内には、2人の先客がいた。女性たちはいつからここにいるのか分からないが、かなり汗をかいているように見える。少女は適当な場所に座って、ぼーっと空中を眺めた。


 壁にはサウナの温度を指すのであろう計器や、ボタンがいくつかある。それ以外には、ゴウゴウと鳴りながら部屋に熱気を振り撒いている大きな機械。それくらいのものだろう。


 すぐに見るものがなくなった少女は、目を閉じる。乾いた体に汗が伝うのがわかる。少女は、自分の心臓の鼓動を感じ取ることができた。


「……っ」


 どのくらい経っただろうか。1人の先客が出ていって、一瞬外の涼しい風が吹き込んできた。しかしそれも、すぐにまた熱い蒸気で満たされた。


 少女は、まだ出ようと思わなかった。というよりは、サウナに関する知識が薄く、いつまで入っていればいいのかわからなかったのだ。


「……あれ……」


 少女は先程ジャグジーで味わった眠気と似た、少し違う感覚に襲われた。視界がぼやけるような気がする。さすがに入りすぎていたのかもしれない。そろそろ出ようかと立ち上がるも、ふらついてしまい歩けなかった。


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