Chapter1-1 ウェンズデーイン ダイイング工場前
翌日、イースト区。その工場地帯の付近にあるホテル、『ウェンズデーイン ダイイング工場前』フロントにて――1人の少女が、チェックインを行っていた。
「宿泊希望? お1人様かな?」
「……うん」
「こっちゃ別に、払ってさえ貰えればいいんだけどさ。家出かい?」
ホテルマンは露骨に不審そうに少女を見る。少女は無言で、提示されたタッチパネルに指で署名する。『カーバンクル』――と。
それを受け取ると、ホテルマンは何も言わずにキーカードをカウンターに置く。
「……ま、好きにしな。でもここらは物騒だし、女の子1人で出歩くような場所じゃないぜ。一応ホテル内なら……」
彼は部屋のキーカードの横に、四角い小型の端末を置いた。少女は手を伸ばしてそれを取ると、裏返したりして見る。表面には1つ、ボタンが付いていた。
「防犯ブザーだ。鳴らすとそれなりにデカい音がなる。で、フロントに連絡が行く。ホテルの中で面倒事が起きたら押しな」
「……わかった」
少女は素直にうなずく。ホテルマンは少女を一通り眺めると、ホテル内の手引きを渡した。
「……ありがとう」
「おう。良い宿泊を」
それだけ聞くと、彼女は踵を返し、フロントを見渡す。調度品のようなものはあまりなく、シンプルな内装だ。壁にはいくつかの絵画が飾られていて、そのすぐ横には、一定時間で内容が切り替わるポスターが貼られていた。
こういったポスターは紙のように薄いものの、電子制御されたものであり、かつ比較的安価に購入できる。映っているのは、このホテルのクーポン情報や、近くのレストランの広告だ。
フロントに他の人間はあまりいない。スタッフが2名と、客が1名だ。少女はアメニティの類を確認すると、使い捨ての櫛を手に取り、エレベーターへ向かった。
エレベーターの中で、少女はカードキーの番号を見る。4103……4階だ。エレベーターのボタンの読み取り部にカードをかざし、4のボタンを押す。すると一瞬の浮遊感のあと、扉はすぐに開いた。
4階の廊下には、絨毯が敷かれている。床は綺麗だが壁は汚れており、年季と掃除の行き届かなさを感じさせる。また廊下の窓の外を見ると、眼下に広がる景色は道路と工場ばかりであり、工場地帯であるイースト区らしさを感じさせた。
少女は4103号室の前に立つと、ドアの横にある機械にカードキーを差し込む。機械が自動的にケースに覆われ、カードキーを飲み込んだ。ロックが解除され、スライド式のドアが開く。
部屋に入ると、そこは少し広いワンルームだった。ベッドとテーブルと椅子があり、ベッドの正面には壁に埋め込まれたテレビがある。
少女が室内の明かりをつける。ややあってから、照明がつく。少女は、とにかく最初に、豪快にベッドに横になった。体がベッドに弾み、沈む。そのまましばらく、静寂の時間が流れる。
やがて、少女は寝転がったままパーカーのポケットに手を入れ、小型の通信端末を取り出す。タッチパネルに直接触れて操作する、やや古いタイプの端末だ。少女は立ち上がり、それをテーブルに置かれた充電コードに挿す。その画面を一瞥もせず、少女はテーブルの上を見る。
そこには宿泊約款が書かれた電子ペーパーと、タブレット端末と、個包装されたクッキーが1枚置かれていた。いわゆるウェルカムアメニティというやつだ。
「……なんだっけ、これ……」
少女はクッキーを取り出し、匂いを嗅ぐ。何の匂いもしない。バターの匂いもココアの匂いも、何も感じられない。
「……?」
一口食べると、それはチョコの味がした。その味わいから少女は思い出す。
「……レインボーか」
レインボーとは、レインボークッキーと呼ばれる菓子のことだ。ウエスト区で長い間流行している菓子であり、食べた人間の好みに応じて味が変わるクッキーである。
食感はクッキーの範疇から出ることはないが、味ならば激甘から激辛まで自在に変わるらしい。その万能性から、レインボーしか食べない人間を多く生んでしまい、他の菓子の生産を減らしてしまった商品でもあった。
少女は別の味を思い浮かべながらもう一口クッキーをかじる。すると、コーラのような味がした……が、当然ながら炭酸の感覚を感じられることはなかった。
「……微妙」
少女は残りをまとめて口に放り込むと、テーブルに置かれた電子タブレットを手に取る。電源を入れると、画面にはホテルマップが映し出された。
少女はその地図から、自動販売機の位置を確認する。幸い、それは少女のいる階と同じ4階に設置されていた。
少女は自動スライド式のドアを開け、部屋を出る。同時に入り口の機械のケースが外れ、ルームカードが出てきたのを手に取った。
廊下は静まり返っていて、ブーン……というどこかで鳴っている機械音と、少女の足音だけが聞こえている。歩いていくと、喫煙室付近に自動販売機を発見した。
彼女の目当ては炭酸飲料だった。特に好きというわけでもないが、たまに飲みたい瞬間が訪れるのだ。彼女にとっては今日がその日だった。
ショートパンツのポケットからパーソナルカードを取り出し、自動販売機に当てる。それは個人のIDを示すカードであり、口座の所持金と接続され支払いに用いられるものでもある。このネオ・アルカディアでは、必ず1人1枚は持っているカードだ。
「…………」
少女は迷った末に、グレープ味のサイダーを購入する。取り出したそれを開けようとした瞬間――少女は重大なことに気付き手を止めた。
「……確か……」
少女はサイダーを開けずに、急いで自室に戻る。テーブルに置かれたタブレットを改めて確認すると、「やっぱり……」と少女は呟いた。
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