プロローグ1-2 都市伝説

「よォ、嬢ちゃん。こんな所で会うとは奇遇じゃあないか?」

「…………」


 少女は足を止めた。男の外見が、どう見ても平和的な人物には見えないためだろう。


「お前、どんなコトやらかしたんだ? あんな賞金首になるなんてよぉ」


 男は下卑た笑みを浮かべながら、少女に向かって一歩踏み出す。


「ま、俺は他のマヌケと違って優しくはねぇ。さくっと殺して……その後、ちょいと「使って」からゆっくり大金を貰うとするぜ」


 その時点で、少女は無表情のままだった。怯え、逃げ惑う姿を期待していた男は、内心で舌打ちする。


(なんだこいつ……ショックで固まってんのか? それとも頭がイカれてるタイプか?)


 どちらにせよ、この場でやる行動は変わらない。男が右腕を軽く撫でると、前腕の装甲がスライドし、金属音と共に展開。内部から現れた銃口を少女に向ける。


「さぁて。まずは悲鳴の1つでも聞かせてもらおうか」


 年端もいかない少女が、無法者に食い物にされ殺される――それは、このネオ・アルカディアのスラムではそう珍しくない光景だった。

 ありふれた悲劇が、また1つ起きる。それだけの話。


 そのはず、だったのだ。その瞬間――少女の目が、激しく赤色に光ったかと思うと――常人の目では追いきれない事象が発生していた。


 0秒05 男はマシンアームから弾丸を発射しようと構える。狙いは少女の足だった。


 0秒38 右腕の筋肉の動きでトリガーを制御する。男が引き金を引き始める。


 0秒42 少女は一瞬で左に大きく体を揺らし男へと接近する。


 0秒87 少女の挙動で照準が狂った男が、引き金を引くのをやめる。


 0秒96 少女は視界外から男へと近付いていく。


 1秒22 男は左方向に視界から消えた少女を追って、銃口と視線を左に向ける。


 1秒24 少女は、身を屈めて男の視界から外れつつ、男の右側に移動する。


 1秒75 男は少女を見失ったままでいる。少女は男のすぐ近くに接近していた。


 2秒18 少女が男の目の前に立つ。


 2秒34 驚いた男が、反射的に右腕の筋肉に力を入れる。


 2秒47 「うお――」と声を漏らし、男が引き金を引いた。


 2秒48 少女が右手で男の前腕を下から弾き、左手で男の肘窩を弾く。彼の腕は上方向に曲げられ、その照準は男自身に向く。


 2秒61 照準が自分に向いていることに男は気付く――同時に、引き金が引かれたことで、男が自らに発砲。マズルフラッシュとともに弾丸が飛び出す。


 2秒70 弾丸が男の顔面に到達。唇を貫き、男の左上側の犬歯、第1、第2小臼歯を破壊――弾丸の勢いは止まらず、上顎に侵入。そのまま顔面内部の奥深くまで食い込み、気管支の周辺で停止した。


「うぶっ……!? ごああああっ……!」


 ――時間が正常に流れ出す。この刹那に発生した戦いを、男は理解していない。


 少女を撃とうとしたら見失った――目の前に現れた――驚いて撃った――そうしたら、自分が撃たれていた――?


 疑問と共に、口内の激しい痛みと喉奥の違和感が襲ってくる。男は機械化した両手で顔を覆い、その場に膝をつく。


「ぐ……げえっ……! がはっ……!」


 男は口から血と胃液と唾液と、砕けた前歯の破片を吐き出す。男の精神を支配したのは混乱と恐怖。その次に怒りだった。彼は怒りで痛みをねじ伏せると、無理矢理に立ち上がる。


「グゾ……ガキッ! て、めぇ……!」


 男が顔を上げる。その視界に、少女はいない。少女は既に背後にいた。


(……なっ……!)


 次の瞬間、男は膝裏に強い衝撃を受けて思わず跪く。跪いた彼の首筋に、少女の手が触れる。そして――


「やめ――」



「あのバカ、マジで請けやがったみたいだぜ」


 精製された安物のアルコールで喉を潤しながら、赤ら顔の男が笑った。


 そこは表向きは安酒の飲めるバーであったが、その実、非合法の仕事に手を染める人間が集まる情報交換の場でもあった。


「ああ……えーと、あいつのことか? 両腕をメカにしてる……」

「そいつだ。そいつが、『あの女』の依頼を請けてやがったよ」


 赤ら顔の男は愉快そうに笑う。マシンアームの男と、彼は以前から折り合いが悪かった。


「ってことは、今頃は……」

「ああ、殺されてるだろうよ」


 小さな瓶に入った酒を飲み干し、赤ら顔の男は満足そうに続ける。


「得意げに語ってたよ。『どうせお前らは、子供を殺すのが嫌とかクソみたいな正義感の残りカスで動かねぇだけだろ』『俺はこの腕で、もう4人は女子供殺してんだ』……とかなんとかな」


 聞いていた男は苦笑する。タバコに火をつけ、口から煙を吐く。


「力自慢、犯罪自慢……ワル自慢なんぞこの界隈でやってどうなるのかね」

「バカは死ぬまでわからねぇさ。俺らみてぇな稼業ほど、そんなんじゃやっていけねぇんだってよ」


 赤ら顔の男は、酔っぱらいながらもその言葉の正しさは濁っていなかった。

 賞金稼ぎ、アウトロー、非合法……それらの個人の犯罪行為に身を置く人間であればあるほど、この国では横の繋がりというものは重要になってくる。


 企業に属さず個人で仕事を請ける上に、正規の警察組織からも追われる賞金稼ぎは、同じ稼業同士で身を寄せ合わざるを得ないもの。


 この依頼は危険で、この依頼主からはもっと金を取れる――それらの情報は、賞金稼ぎ同士でしか手に入らないからだ。


 マシンアームの男はそれを怠った。同業を見下し、人付き合いを拒否したために……その日、「地雷」を踏んだのだ。


「……なあ。その女、何なんだ? 俺が知ってるのは外見と、的にかけた奴が全員返り討ちにあったってことだけだぞ」

「さぁな。賞金稼ぎ同士ではタブーにされてる依頼だよ。なんつーか、都市伝説みたいなモンだ」


「都市伝説……?」

「名前は『カーバンクル』。年齢15歳程度。水色の髪と、赤色の瞳。大金の賞金がかけられてるが、依頼者も不明と来てる」


 赤ら顔の男は、酔いで不安定ながらも、空中に浮かぶ薄型のディスプレイを操作する。映っていたのは、件の依頼のURLだ。


 名前と年齢、特徴、大金の報酬。それ以外のほとんどのデータが「Unknown」と書かれている。


「そして関わった全員が死ぬ。どうだ? 都市伝説だと思うだろ、こんなの」

「……だが現実に死人は出てる?」

「ああ。だから、こいつは……賞金稼ぎの質をふるいに掛けるために誰かが作った罠かなんかじゃないかと俺は思ってるがね。

 情報収集と、横の繋がりを怠った奴がカーバンクルのところに行くようになってる。そういう役立たずを殺して、賞金稼ぎの質を良くしようとしてるやつがいるんじゃないかと……」


 赤ら顔の男が陰謀めいた話をしだしたのを見て、隣のコート姿の客は苦笑する。


「飲み過ぎだな。そんなことして誰が得するんだ」

「何言ってんだ! おい見ろ。証拠があるんだ。まず、いいか?」


 熱を込めて語りだした男がさらに真偽不明の資料を空中に投影した。サウス区の夜は、酔いと喧騒の中に沈んでいく――。

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