ストレイ・キャット・ステイ・ホテル

玄野久三郎

プロローグ1-1 都市伝説

 男が歩く道はネオンに塗れ、空には星1つ見えない。地上の光が、成層圏の先の微かな光を容易く覆い尽くしていたのだ。


 とはいえ、例え地上の光が消え失せたとしても、星など見えはしない。外部の大気汚染から国の人間を守るためのシェルターが、都市を完全に覆っているからだ。


 そうしてシェルターを取り払うことができたとしても――その時点で人間は数分で死ぬが――重厚な汚染物質の雲が、その先にあるはずの空を隠しているだろう。


 男はそんなことを考えるともなく考えながら、空中に浮かぶナビを見ながらひたすら前へ歩を進める。


『目的地周辺です。ナビゲーションを終了します。しかし、少女の確保という行動は倫理的に問題があり、推奨される行為では――』


 安価のAIは、騙して犯罪利用をするには向くが、性能が低く口うるさい。男は鬱陶しげに舌打ちし、ナビゲーションの画面を軽く手を振って閉じる。


 男は優れた体格を持っていた。身長はおよそ190センチメートル。体重は160キログラム。その重さは、彼の身体を覆う分厚い筋肉によるものだけではない。


 彼の肘から先は手術によって機械化され、様々な機能と、それに見合った重量を備えていた。この都市において、あるいはこの時代においてそう珍しいものではなかった。


 対して役に立たない生身の肉体を捨てて、効率的でメンテナンスも容易いサイバーウェアを手に入れよう――テレビで、街の広告で、腐るほど見ることになる宣伝文句の1つだ。

 男もまた、そうしたサイバーウェアを手に入れた1人だった。


 男は賞金稼ぎだった。悪徳と非合法が渦巻くこの国では、人殺しや強盗など、多くの賞金首が存在する。それらを追いかけて殺すこと、または確保することで金を得る職業だ。


 今度の賞金首は、安価のAIがナビしたように「少女」であった。


 その若さでどんな犯罪に手を染めたのかはわからないが、その賞金は40万AM(アルカディアマネー)――旧世界の貨幣で言えば、400万ドルほどの、この国での金が手に入る。


 男にとって、それは大金だった。この国において、一攫千金の部類に入る金額だ。


 さらにはこの手の高額依頼に付き物の「傷1つつけてはいけない」といった指定もない。つまり、殺害しても構わないということだ。


 この至極簡単で、しかもあまりに旨い仕事を、彼の同僚は悉く見送っていた。理由は薄々わかる。男は彼らを見下していた。


(要するに、賞金稼ぎなんて名乗ってアウトローを気取っていながらも、「子供を殺すのは良くない」なんて綺麗事を真面目顔で言うバカどもだってこった)


 男には、確かにそれはなかった。彼は賞金稼ぎでありながら、賞金首でもあった。仕事の中で関係のない人間をうっかり殺めたり、気に入らない人間を殴り倒したりしたせいだ。


 つまるところ、彼には良心と言えるようなものはなかった。そんなものは薄っぺらな偽善であり、むしろ害悪であると信じていたからだ。


 その信念の通りに、男は依頼を受けた。少女を捕らえて殺すか、売り飛ばすことに決めた。この手の仕事なら何度もやったことがある。特に難しいことでもなかった。


 男がやってきたのは、この都市国家「ネオ・アルカディア」のイースト区であった。


 イースト区には工場や倉庫、スラムがあった。かつての大戦争の果てに築かれたこの国も、今では戦争前にあった多くの国と同じように、国内には多大な格差がある。セントラル区やウエスト区に比べて治安がいいとは言えない区域だ。


 男がこのイースト区に来たのは、そこが一番少女がいる可能性が高い場所だったからだ。


 少女は特徴的な外見を持っていた。薄い水色の髪と、宝石のように輝くという赤い瞳だ。その特徴と高額な賞金から考えるに、どこかの実験施設で生まれた愛玩生物か何かなのかもしれない。


 ともかく、そういった少女であるから、目撃情報を探すのは難しくない。か細い情報ではあるが、仮にも賞金稼ぎの男が辿るには十分な情報が転がっていた。


 男は我が物顔でその地区に足を踏み入れ、狭い道の真ん中をズカズカと歩く。通常、そのような振る舞いは現地のギャングに歓迎されない――だが男の体格と、戦闘用以外には見えない前腕のマシンアームを見て、絡んでくる者はいなかった。


(さっさと見つけて、さくっと殺しちまうか……)


 とはいえ、絞り込めたのは少女がいるという地区だけだ。具体的に今どこにいるかはわからない。そこらにいる浮浪者を殴り倒して聞き出そうか、と男は威圧的に道端で寝ている男に近付いていく。


 その道中で、男ははたと止まった。視界の端に見えたものがあったのだ。


「おい、おい……面白くねぇな」


 言葉に反し、男の口角は上がっていた。彼が見たのは水色の髪……探していた少女の特徴と合致する。男は無造作にこちらに歩いてくるその影を注視した。


 服装は複数の蛍光ラインが入ったパーカー。この辺りではさして珍しくもないブランドのものだ。下はショートパンツで、細すぎず、太くもないすらりとした健康的な脚が伸びている。


 若者の区画であるウエスト区ならともかく、イースト区では目を引く水色の髪。その髪の間から覗く、血の色をしたガーネットのような瞳。


 男から見ても、その少女は美しかった。幼く、しかし整った顔立ち。まだ成長途中と思しき小柄な身体は、その年齢を考えれば十分に魅力的と言ってよかった。


「……こいつは上玉だぜ」


 思わず呟きながら、男はその少女に声を掛けた。


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