第75話 馮道の墓
一族の叔父である楘庵が言うことには、景城の南側では、しばしば、今まさに太陽が昇ろうという時に、物の怪が見える。それは旋風を操り東へと飛んで行く。その身体全体は見えず、もたげた頭の高さが一丈あまりで、長いたてがみがぐるぐるとねじれたようになっているのが見えるだけである。これが一体何の物の怪であるかは分からなかった。
ある者が言った。
「これは馮道の墓前の馬の石像が長い年月を経て妖となって化けて出たのだ。」
調べてみると、馮道の住んでいた場所は現在の相国莊で、その妻の家のあった場所は現在の夫人莊であり、いずれも景城から近かった。
私の高祖父(曾祖父母の父)の作った詩には
青史は空しく 字を留むること数行なり
書生 終に是を侯王に譲る
劉光伯(※1)の墓は 尋ぬる処無く
相国(※2)と夫人は 各々莊有り
とある。馮道の墓の場所は県誌においても正確に記されてはいない。北村の南に石人窪と呼ばれている土地があり、そこに一部崩れかけている翁仲(墓前に設置される石像)が今なお残っている。地元の人々はこれを指さし馮道の墓だと言うが、恐らくは何か言い伝えがあるのだろう。
董空如は、かつて酔いに任せて夜道を行き、その傍で小便をした。するとたちまち気味の悪い風が吹き荒れ、砂礫が乱れ飛び、かすかながら何か怒っているような声が聞こえた。董空如は怒鳴りつけるように言った。
「長楽老(馮道のこと)は愚かで恥知らず(※3)である!それがどうして七、八百年経ってなお霊験を示せるというのか!これは邪鬼が憑りついているだけだ!また再び跋扈するようなら、毎日やって来て小便で溺れさせてやるぞ!」
言い終わるやいなや、風は止んだ。
※1:劉炫。北斉から隋にかけて活躍した学者。景城の出身。
※2:馮道のことを指す。馮道とは五大十国時代の宰相。景城の出身。ここでは同じ景城出身で著名な人物を挙げ、劉光伯の墓の場所は手がかりはないが、馮道とその妻はその名が入った村があると述べている。
※3:長楽老とは馮道のこと。馮道は世渡り上手で次から次へと仕える国を変え、そのことが後に、主君一人に身命を賭して仕えるべきだとする朱子学の観点から批判されるようになる。
紀昀(清)
『閲微草堂筆記』巻六「灤陽消夏錄六」より
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