第34話 胡宮山

 医者の胡宮山は、どこの出身であるか分からない。ある者は「元の姓を金といい、実は呉三桂(明末清初の将軍。三藩の乱を起こした)の間諜で、三桂が敗れてから名を変えたのだ。」と言うが、証拠も無く、詳らかにするすべもない。私は六、七歳の頃に彼を見たが、八十歳あまりでありながら、猿のように敏捷であり、拳法の腕前も類稀なものであった。かつて、彼が船に乗っていた際、夜強盗に遭った。彼は小刀すら手にしておらず、ただ一本の煙筒だけを持ち、それを揮うこと風の如く、盗賊七、八人の鼻を突き刺して倒してしまった。


 しかしながら、彼はひどく幽鬼を恐れ、生涯、一人で寝ようとはしなかった。彼が言うことには、少年の頃に僵屍(キョンシー)と遭遇した。拳を揮ってこれを攻撃するも、木や石に当てているかのようで、危うく逆に撃たれそうになった。幸いにも高い木があったので飛び上がって頂まで登ると、僵屍はぐるりと樹を囲んで飛び跳ね、明け方になると幹にがっしり抱きついて動かなくなった。鈴を連ねた荷馬車の一団が通り過ぎたところで、彼はやっとの思いで下を見てみた。白い毛が全身を覆い、眼は丹砂のように赤く、指は鈎のように曲がり、唇が捲れ上がり歯が露わになっていて、それは鋭利な刃物のようだった。あまりの恐ろしさに、魂が抜け出るところであった。


 また、彼がかつて山間の旅籠に泊まった時のこと、夜目覚めると布団の中で何やらもぞもぞと蠢くものがあり、蛇や鼠の類であるかと思われた。すると俄かにそれがグンと突き出して布団を支えると、だんだんと長く、大きくなっていき、布団から飛び出してきて彼と枕を並べて臥した。それは、裸の婦人だった。彼は両肩を抱き込まれ、まるで太い縄で縛り上げられたようになり、口づけで息を吹き込まれた。血腥い気が鼻腔を突き抜け、覚えず昏倒した。翌日、介抱されて息を吹き返した。それからというもの、彼の肝はすっかり潰れてしまい、黄昏を過ぎると、風音や月影にも怯えびくびくとしながら後ずさるようになったということだ。




紀昀(清)

『閲微草堂筆記』巻七「如是我聞一」より

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る