走馬灯リテイク

国仲

走馬灯リテイク

 初夏の昼下がり。地元では自殺スポットとして有名な、とある地方の人気ひとけのない岬にて、映画撮影が行われている。


「――カット! 撮り直しだ!」


 小さな折りたたみの椅子に足組みして座っている瓜田うりたから怒号が飛んだ。それを聞いて、カメラの前に立つ主演の青年と、数名の脇役が同時にため息を吐く。

 スタッフや出番に備えているキャスト達も肩を落とした。どこからか「またか」という愚痴が聞こえた。


 痺れを切らした主演の青年が、全員の気持ちを代弁した。


「瓜田監督、いい加減にしてくれませんか?」


「いい加減?」


 睨みつける青年に、瓜田はいたって落ち着いた声色で聞き返した。丸めた台本で自身の膝を規則的に叩く姿からは、悪びれる様子は一切見られない。


「このシーンを撮り始めてもう四時間半になります。僕たちの演技は問題ないはずです。こんなの、悪戯に時間を浪費しているだけだ」


 青年の握り締めた両拳から怒りが窺える。瓜田は眉をひそめたあと、ふっと嘲るように笑った。


「『問題ない』程度の演技で良いと思っているお前みたいな俳優がいるから、演出に頼った幼稚な大衆ウケ作品ばかりが量産されるんだ。お前は黙って俺に従っていればいい」


 あまりに傲慢な言い草に、全員が閉口した。


 瓜田は三十路手前ながら、海外の映画コンクールで受賞したこともある新進気鋭の映画監督だ。界隈で熱烈な支持を得ている一方、過剰なまでに大衆ウケを嫌い一切の妥協を許さないことから、多くの映画関係者に忌避されていた。




 数日が経った。いくつかのシーンを何とか撮り終えたものの、予定は大幅に押している。そんな状況だった。


「一カメ! このシーンは肩ナメだろうが! 崖側に回り込め!」


 現場では、今日も瓜田の怒鳴り声が響いている。


 肩ナメとは、手前の人物の肩越しに風景を撮ることだ。登場人物の目線を追体験することができ、より感情移入を狙える構図である。


 指示を出された若いカメラマンは、崖際に立つ役者の足元を確認し、引きつった笑みを浮かべた。


「回り込めって瓜田監督、それじゃ僕が崖から落ちちゃいますよ。この崖、波が激しいから入水じゅすいすると死体が浮かんでこないって噂があるらしくて……」


「なら俺が撮る」


 瓜田が腰を上げた。半ば強引にカメラを奪い取ると海に背を向け、つま先だけで断崖のきわに立つ。何人かのスタッフが悲鳴をあげた。瓜田の足の裏、踵半分は宙に浮いている状態だ。


 彼の十数メートル下では、猛々しい波が何度も岩肌に激突し、飛沫をまき散らしている。

 瓜田は不安定な体勢でファインダーを覗き込むと、露光を調整し、構えた。


「始めろ」


 足腰はぐらぐらと揺れているのに、カメラだけは上から吊られたように微動だにしていない。


 現場は騒然としたが、止める者は一人もいない。瓜田が意見を曲げないことは今日までの撮影で嫌というほど知っていたからだ。



 異様な緊張感の中、まもなくそのシーンが終わるというところで、不運にも突風が吹いた。夏嵐なつあらしである。


 瓜田と地面を繋ぎ止めていたスニーカーのつま先が宙に浮いた。彼が覗くファインダーには、役者の肩越しの景色ではなく苔の生えた岩肌が映った。窪みに小さな蟹がいた。


 体が海面に叩きつけられると、深く沈む間もなく激流に揉まれた。海水が肺を満たしていく最中さなか、彼が案じたのは自身の安否ではなく、カメラの中の映像データだった。




 気がつくと、瓜田は誰もいない映画館に座っていた。


 席は中段中列。スクリーンの端から端までがちょうど視界に収まる、最も好きな座席位置だ。


 状況を把握できずにいると、鈍いオレンジ色の照明が落ち、ブザーが鳴った。スクリーンに瓜田が映し出された。数年前、映画コンクールで受賞した彼がタキシード姿でトロフィーを掲げている。


「なるほど。俺は死ぬのか」


 瓜田は驚くでもなく、ポツリと呟いた。直前の出来事とこの非現実な光景を繋ぎ合わせた結果、それしか考えられなかった。


「上映会形式の走馬灯とは気がきいている」


 細かい疑問はいくつもあるが、それら全てを頭の隅に押し込む。映画鑑賞に雑念は厳禁だ。頭を空っぽにして作品に集中するのが制作者への礼儀であり、映画そのものに対する当たり前の敬意。鑑賞後、絶賛するにしろ口汚く罵るにしろ、まずは真摯に向き合う。それが瓜田の矜持だった。


 走馬灯のシーンが切り替わる。スクリーンの中の瓜田は小学生だ。父に連れられて初めて来た映画館で食い入るように鑑賞している。


 この日、瓜田の人生が決まった。映画とはかくも雄弁に人間を語ってしまうのかと、脳天を雷に撃ち抜かれたような衝撃を受けた。エンドロールが終わってもしばらく立ち上がれなかった。


 瞳に炎が灯った幼い少年の表情がスローモーションで流れていく。後日、その作品を批評家たちがこぞって罵倒した。それも瓜田の情熱を駆り立てる燃料となった。


 客席の瓜田は、肘置きの上で拳を握りしめる。自分の喉が鳴る音が聞こえた。


 続けて、初めて映画制作に挑戦した中学時代のシーンに移る。瓜田は夕陽に向かって疾走する同級生にデジタルカメラを向けながら並走している。こうして見返すとひどく拙い。構図はありきたり。画面は揺れている。今すぐ目を覆いたくなる。

 しかし、全身汗まみれで頬を紅潮させる瓜田少年の顔を見れば、そんなことは些事にすぎないことが充分に伝わった。


 撮り終えて、主演と二人で息を荒らげながらデジタルカメラを覗き込み、データを確認する。顔を見合わせ、クランクアップと叫んだ瞬間、当時流行っていたロックミュージックのサビがカットインした。


 瓜田は無意識に立ち上がっていた。ピンボケしていた古い記憶が、きめ細やかな解像度をもって脳裏に蘇る。体の奥から熱い何かが込み上げてくる。


 再度、作中の時間が飛んだ。冒頭の受賞式に戻る。大人になった瓜田が真紅のカーペットを踏み、無数のフラッシュに応えている。


 一人の老人が瓜田の背中にやさしく触れた。

 偏屈で、顔を合わせるたびに悪態をつく、世間では巨匠と呼ばれている映画監督だった。相変わらず気難しい顔をしているが、彼の指先には溢れんばかりの賛辞がこめられていた。


 日本映画界が瓜田を認めた瞬間だった。新星へと業界の未来を託す老監督の目に、光かがやく何かが反射していた。



 瓜田は限界だった。


 震えながらスクリーンを見つめ、必死に耐えたが我慢できなかった。衝動が、決壊したダムのごとく激流となって溢れ出た。



「――ふざけるな!!」



 そう叫んで、自身が座っていた座席を両手で掴む。細く青白い腕に無数の血管が浮かぶ。

 瓜田は鉄筋コンクリートで溶接された座席を、常識はずれの腕力で床から引き抜き、頭上に掲げた。


 生身の人間にはとうてい不可能な荒業あらわざだが今の瓜田は実体ではない。死の間際で思念体となっているので、必要なのは筋力ではなく激情だった。


「山場のスローモーション! 流行りのサントラ! クライマックスに敵役かたきやくの涙! 何から何まで売れ線の演出だ! 俺の人生を使って大衆ウケを狙うな!! 撮り直しだあああああっ!!!!」


 瓜田はスクリーンに向かって椅子を放り投げた。けたたましい轟音と共に、目の前の空間に幾重もの亀裂が入る。瓜田は巨大な闇に覆われた。




 撮影現場は混沌としていた。監督が撮影中に崖から落下するという衝撃的な事件について、最も近くにいた役者と、代表者に繰り上がってしまった助監督が警察からの事情聴取を受けている。


 関係者は現場保存ということで、この場から離れることを禁じられた。通夜を前倒ししたかのような重苦しい雰囲気が漂っている。おそらく殺到するであろう取材や撮りかけの映画の行く末を案じ、誰もが頭を抱えていた。

 救急車が待機し、十人以上の救助隊が捜索に当たるも発見は絶望的、というのが専門家の見立てだった。


 ――そんな暗澹あんとんとした空気を切り裂くように、悲鳴が上がった。


 女優が尻もちをつき、震えながら崖を指差している。全員の視線がその先に集中した。


 雲ひとつない青空を背景に、崖際がけぎわにかかる四本の指がある。


 次の瞬間、崖下から陽光を反射させる濡れたカメラが現れ、ふわりと着地した。そして黒髪と海藻が溶け合った不気味な塊が勢い良く飛び出した。


「カメラの中身を確認する! タオルとドライヤーを用意しろ!」


 瓜田だった。崖をよじ登ると、身震いして全身から滴る海水を払う。辺りを見回し、誰もが驚きのあまり呆然と立ち尽くしている様を見て、怪訝な顔で言った。


「何をしている、ボケっとするな! それに部外者はとっとと下がれ! 撮影の邪魔だろうが!!」


 状況を理解するまでの時間差があったものの、その場にいた者の反応は真っ二つに別れた。

 瓜田の映画に対する底知れない執念に崇敬の念を抱くか。あるいは、あまりの身勝手さに心の底から嫌悪するか。そのどちらかだった。






 陽射しが心地よい白昼。テレビ画面の中で女性アナウンサーがニュースを読み上げる。


『生涯多くの名作を世に残した日本が誇る映画界の巨匠、瓜田監督が、今朝お亡くなりになりました。享年九十歳。大往生でした。ご冥福をお祈り致しま……』


 と、そこでアナウンサーの流暢な朗読が止まった。スタジオの慌ただしい空気が画面越しに漂ってくる。


『……そ、速報、速報です! 瓜田監督がたった今息を吹き返しました! 病室にいたご家族によると、「シーン数が多すぎて引き算が意識できていない。撮り直しだ」と叫び、目を覚ましたそうです!』



 瓜田の幕は、まだまだ下りそうにない。

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