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新次郎が刀のつかに手を掛けた瞬間、幽鬼のような男は、高々と跳躍した。

薩摩の示現流には、このような跳躍技は、ない。

この男が示現流遣いだとすれば、独自の工夫を加えたのであろう。


次の瞬間、風を切る音を立てて、男の剣が新次郎の頭を目掛けて振り下ろされた。

新次郎は、上に向かって抜刀したが、剣先は下に向いたままだ。


ジャッ!!


金属が擦れる音がした。

新次郎は、下向きの自分の刀を潜り抜けるようにして、敵の斬撃を下方に逸らしたのだ。

この「擦り抜け」の技法は、各流派に存在するもので、珍しいものではない。

が、命懸けの真剣勝負の場で誰もが正確に遣えるものではなかった。


互いに入れ違って數歩前に進み、再び向き合った。


「ほう、思ったより、やるな」

幽鬼のような顔の男が言った。

「これで五十両は、ちと安いな」


新次郎が前に出ようとすると、男は片手を上げて制した。

「待て、今のはほんの挨拶代わりだ。仕事料を百両に上げて貰ってから、また来るわ」

「誰に頼まれたか分かっておるが、相変わらずしわくて、すまんの」

新次郎がそう返すと、男は笑って、

「もう、縁は切ったのであろう。お主が謝ることはないわ」

言いながら、刀を鞘に納めた。


そして、ゆっくりと後退りながら、

「言っておくが、今のは俺の全力ではないぞ。せいぜい、七分の力だ。次に会う時は、手加減はせぬ」

と言うや、クルリときびすを返して、俊敏な動きで土手を駆け上がり、土堤の向こうへと姿を消した。


(今のが、七分の動きか・・・)

新次郎は慄然としながら納刀し、先ほどと同じ方向へ歩き始めた。

とりあえず、あかねの顔を見ておこう

——そう思ったのである。




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