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「ちょっと、話してかんか」

大膳が、堀割沿いの、大きな柳の木を指して言った。

「うむ」

新次郎が応じて、二人は木の根元辺りに腰を下ろした。


目の前の堀を、猪牙舟ちょきぶねや屋根舟、荷足舟にたりぶねが、忙しそうに行き交う。

新次郎は、この風景が、好きだった。


と、

「よお、将棋の先生!」

船の上から、声をかけて来る者があった。

見ると、流れの中央辺りに、短めの木材をぎっしり積んだ荷足舟の上から、手を振っている男がいた。

印半纏しるしばんてんに股引姿で、頭に手拭いを鉢巻にしている。


「おお、源さんか。精が出るの」

「あたぼうよ、稼がなけりゃ、親子四人干上がっちまわあな」

「さようか。怪我をせぬようにな」

「ありがとよ! 先生もよ、そんな所で男二人で油売ってねえで、早く仕事場にけえんな。でねえと、またあかねちゃんの機嫌が悪くなるぜ」

源さんは、そう言いながら、堀の流れと共に遠ざかって行った。


「お主も、知り合いが多いな」

大膳が、笑いながら言った。

「今のは、お得意さんでの。いつも、五手詰めの詰将棋を解きに、来てくれる」

「で、解けたことがあるのか?」

「無いのう。もう、数十回は挑んできてるのだが」

「それは、筋金入りのカモ・・いや、上客だな」

新次郎は、子供のような笑顔で、

「だが、源さんはわしと同じく、心底、将棋が好きなんだ。お客さんではあるが、いい友達じゃよ」

と言って、青い空を見上げた。


「なるほどな」

将棋にあまり興味のない大膳は、頷きながら話を元に戻した。

「さっき、高瀬恭一郎とかいう人の話が出たろう。どういう御仁ごじんだ? 大師匠はちょいと悩ましげだったが」

「ああ、高瀬師範か」

新次郎の顔から、笑みが消えた。


「神宮道場一番のつかい手でな。わしに小野派一刀流の手ほどきをしてくれた方でな。とうとう、一度も勝てんかった」

「なんと、それほどの腕か。で、そのかたが・・・?」

「うむ・・・ある日突然、消えた」



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