36

浪人たちを見送った二人が道場の方を振り向くと、そこには雪江が立っていた。

キッと唇を引き結び、耳朶みみたぶを赤くした雪江は、二人と目が合うと、深々と頭を下げた。


「香坂さま、それに棟田さまとおっしゃいますか。ただいまはお助けいただき、ありがとうございました」

頭を下げたまま、そう言ったが、やがて顔を上げると、新次郎を睨み据えた。


「ですが、香坂さま。先ほどの言いようは、何でございますか!」

柳眉りゅうびが吊り上がっていた。

明らかに、怒っている。


「もし負けたら、道場の看板と金十両。そ、それに、わたくしまで持って行って良いとは、何という・・・」

「い、いや、それは・・・」

「女は・・女は、モノではありませぬ!」


「神宮小町」の気の強さ、新次郎をはたとめ付け、動かない。


だが、新次郎がああ言ったのは、その場の「呼吸」とも言うべきもので、終わりかけている剣術勝負を振り出しに戻すべく、相手を挑発したのである。

それが見事に図に当たって、再勝負に持ち込めたのだが・・・


それが、剣術が達者とはいえ世間を知らず、まして自身のみさおまで掛けられたとあって、雪江には我慢が出来なかったのであろう。


「もし、お二人が負けて、そんな事になったら・・・私、舌を噛んで・・・」

そこまで雪江が言いかけた時、新次郎がそれを遮った。


「いや、それは、ない」

「えっ」

と雪江。


「看板と十両はともかく、雪江どのが掛かっておるのだ」

新次郎が、雪江の目を正面から見つめて、言った。

「わしは負けぬ、絶対に!!」

「・・・・・・」

 

涼やかな眼差しで、真剣そのものの口調で言われた雪江。

婚約者がいるにも関わらず、両頬を桜色に染め、目を潤ませて絶句してしまった。

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