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「まあ、いいじゃないか、与兵衛よへえ

若者の方がそう言って、新次郎の前に立った。


「お武家さま、私はこういうものは初めてなのですが、この、『詰将棋三倍返し』というのは、書いてある手数内に詰め上げれば、料金の三倍を頂ける、ということですかな?」

そう訊く若者は、すっきりと鼻筋の通った、白皙はくせきおもて

将棋盤に軽く置いた手指は、まさに白魚のようだった。


「まあ、そうだが・・・」

片手であごをポリポリと掻きながら、

「わしの所は、玄人くろうとさんには、ご遠慮いたたいておるでな」

と、新次郎が応えた。


「ほう。私が素人でないと?」

「今、そこの御仁が将来の名人とか言われたではないか。大橋家の方かな? それとも、伊藤家?」


当時の将棋界は、最高位である名人を、現在のように実力で決めるものではなく、世襲制であった。

名人を名乗り、将軍の前で「お城将棋」を披露できるのは、大橋家、または伊藤家の人間に限られていたのだ。


「ははは、聞こえてましたか。いかにも、大橋宗涼おおはしそうりょうと申します」

「やはり、さようか。わしも、遊びてやっておるわけではないでの。これで日々のかてを得ておるでな」

「なるほど。では・・・」

宗涼と名乗った若者は、左手の、将棋盤が中央に一つだけ置かれた床机のほうを見た。

「あちらの、『将棋指南』の方は、如何ですかな?」


「ああ、そちらは、わしがお客さんと直接対局して指導を行うというものでな。一局百文頂いておる」

「ほう、指導とな」

宗涼の目が、キラリと光った。


「それは、大橋家の、私に対してもですかな?」

「さよう」

新次郎が、余裕の笑みで応じた。

そばにいた大膳が、「おいおい」という顔で新次郎を見たが、彼は泰然としたままだ。


「いいでしょう」

さすがに、ちょっと気色ばんだ声音て、宗涼が言った。

「では、ご指導願いましょうか。これ、与兵衛、百文お出し!」



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