16

永代橋の西詰のたもとに、大きな柳の木がある。

その木を背にして、新次郎が立っていた。


彼の前には、腰ほどの高さの細長い床机しょうぎが二つ繋げて置かれ、片方には駒を乗せた一寸(3㎝)ほどの厚さの将棋盤が三面、間を開けて置かれていた。

そしてもう片方には、中央に駒箱を乗せた将棋盤が一面、置いてある。


そして新次郎の背後には、白地に墨痕ぼっこん鮮やかな文字が書かれた、縦長ののぼりが二本、立てられていた。


幟の一つには「詰将棋三倍返し」、もう一本には「将棋指南」の大文字が、大川から来る川風にははひるがえっていた。


これが、浪人した新次郎の口をのりする為の、商売であった。

新次郎が周囲の者から「先生」と呼ばれているのは、実は「将棋の先生」という意味なのであった。


新次郎の立つ場所から右手に大川、正面にあかねの働く茶屋があった。

新次郎は、特に呼び込みをすることもなく、

ぼうっと大川の流れに目をやっていた。


と、茶屋の方から黄八丈の着物の裾を翻して、あかねが小走りに駆け寄って来た。


「先生、さっきはありがとう!」

「おお、あかねちゃんか。なに、もう心配はいらん。あの男も、芯から悪いやつではあるまい。今度、謝りに来たら、許しておあげ」


「え〜!」

あかねは、ちょっと頬を膨らませた。


「まあ、わしが居なかったしの。わしが居る限り、もう、あかねちゃんのお尻は、誰にも触らせんから」

「誰にも?」

「ああ」

「なら、いいわ。でも・・・」

「ーー?」

「先生なら、いいかな?」

「えっ」


「な〜んてね!」

あかねは、クスッと笑うと、駒下駄の音を鳴らして、茶屋へと戻って行った。


(ちょ・・町家ちょうか女子おなごは、よくわからん!)

憮然として立つ新次郎の背後で、白い幟が川風にはためいていた。

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