噛む馬はしまいまで噛む

三鹿ショート

噛む馬はしまいまで噛む

 恋人が頭を下げる姿を、何度見たことだろうか。

 涙を流しながら謝罪の言葉を吐いているが、心から反省をしているのならば、同じように何度も頭を下げることはないはずである。

 それでも私が恋人を許すのは、今度こそ心を入れ替えると期待しているからなのだろう。

 それほどまでに、私は恋人に心を奪われていたのだ。

 だが、裏切られた際の心の痛みは、これ以上味わいたくはなかった。


***


 私の恋人が裏切っていると伝えてきたのは、私の恋人と関係を持っている男性が交際している女性だった。

 私とは異なり、交際相手の裏切り行為は初めてだったためか、彼女は強い怒りを抱いている様子である。

 彼女は恋人の不始末について私を責めるようなことはなかったが、何故そこまで落ち着いているのかと疑問を発した。

 私が事情を説明すると、彼女はそれまでの怒りが嘘だったかのように、私に同情するような表情を浮かべた。

「何故、耐えることができるのですか」

 その言葉に、私は首を横に振った。

「何度も経験しているゆえに、すっかり慣れていると思うだろうが、本当は今すぐにでも、私は泣き出したい。いずれは私のところへ戻ってくると信じているが、それでも裏切られたことによる心の傷は、深いものだ」

 私がそのように告げると、彼女は頭を下げた。

 しかし、彼女がそのようなことをする必要は無い。

 悪いのは我々を裏切っている恋人であり、我々は被害者なのである。

 ゆえに、今後どのように動くべきかを、私は彼女に説明することにした。

 恋人の不貞行為を許すか許さないかに関わらず、裏切りの証拠は集めておいた方が良い。

 そして、言い逃れることが出来ないほどの証拠を集めた後、それを本人に突きつけ、今後どうするのかを、相手に決めさせるのだ。

 二度と裏切ることはないと誓わせ、それでも再び裏切った際の責任の取り方を決めておくのか。

 恋人である彼女を捨てて、浮気相手に逃げるのか。

 それらのように、恋人が口にするであろうあらゆる可能性を考え、その答えを用意しておけば、感情的に言い争う可能性も少なくなる。

 実際、私は常に恋人を刺激しないようにしていた。

 自分が感情的になれば、相手もまた、釣られてしまう恐れがあるからだ。

 そうなった場合、怒りのあまり何をしてしまうのか、自分でも想像することができないのである。

 だからこそ、自分が落ち着くことが大事だった。

 私の助言を、彼女は神妙な面持ちで首肯を返しながら聞いていた。

 だが、話していて、私は悲しくなっていた。

 このような対策を考えるようになってしまうほどに、私が恋人から裏切られているということになるからだ。


***


 後日、私は彼女から結果を聞いた。

 驚くべきことに、彼女の恋人もまた、私の恋人と同じように、何度も裏切ってはその度に謝罪をしてくるような人間だったのである。

 そのような人間が数多く存在していると考えたくはなかったが、既に二人も発見していることを思えば、現実を受け入れなければならないだろう。

 しかし、不謹慎ながらも、私は自分と同じような境遇の仲間を得られたことが、嬉しかった。

 これまでは、一人で悩み、一人で悲しむことしかできなかったのだが、彼女が現われたことで、傷を舐め合うことができるのだ。

 健全では無いやり取りであることは理解しているが、互いに心から愛している相手と離れることができないのならば、仕方の無いことである。

 そのような事情で、我々は、時折顔を合わせては、互いの傷を癒やすようになった。

 だが、これは恋人に対する裏切り行為ではない。

 我々の間には、恋愛感情も肉体関係も無いからだ。

 それぞれの恋人とは異なり、簡単に関係を持つわけではない。


***


 ある日、我が恋人が私の裏切り行為について追及してきた。

 何の話かと思ったが、其処で彼女との関係を誤解しているのだということに気付いた。

 私が彼女とのやり取りについて話すと、恋人は顔を赤く染めながら、

「何故、私の罪を他者に話したのですか。酷い話ではありませんか」

 その言葉を、私は信ずることができなかった。

 自分のことを棚に上げて、よくもそのような言葉を吐いたものだ。

 自身は私のことを何度も裏切っているにも関わらず、裏切りと言うことはできない私の行為を責めるなど、一体何様のつもりなのだろうか。

 その瞬間、私は眼前の女性に対して、魅力を感ずることがなくなってしまった。

 これが、百年の恋が冷めた瞬間なのだろうか。

 私は初めて、これまでの恋人の不貞行為を感情的に追及した。

 恋人は口を挟もうとしたが、私は応ずることなく、口を動かし続けた。

 私が口を動かすことを止めたとき、恋人は無言で涙を流していた。

 これまでの私ならば、罪悪感を抱いたことだろうが、今は何も感じていなかった。

 私は恋人に向かって合鍵を投げつけると、その場を後にした。


***


 恋人と別れて気が付いたことだが、彼女こそが、私にとって相応しい恋人なのではないだろうか。

 同じように傷つき、互いの気持ちを理解していることを思えば、私や彼女が相手を裏切ることは無いと断言することができる。

 ゆえに、我々が交際すれば、今後の人生を幸福に過ごすことができることは、間違いないのだ。

 そのように考えていたが、彼女は未だに、恋人と離れることができない様子だった。

 それならば、彼女を現実に引き戻さなければならないだろう。

 私は、彼女を自身の恋人と化すための計画を立てることにした。

 その計画を実行することは、私と彼女を幸福と化すことにつながるのである。

 ゆえに、彼女が受け入れてくれるだろうと、私は信じて疑わなかった。

 私は、間違っているだろうか。

 私は、間違っていない。

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