#106 弱気モード

 シーツを洗濯機にぶちこみたいけど、やめておいたほうがいいな。多分脱衣所に洗濯機があると思うんだけど、トラブルの予感しかしないし。飛鳥さんはともかく、影山さんの下着を見たら殺されかねない。

 さてと……あの二人が戻ってくるまで、SNSでも眺めてようかな。公園で寝落ちしたところを晒されて以来、投稿することはなくなったが、今でも閲覧は続けている。

 ……深く考えてなかったけど、俺って結構信頼されてるのかな? 男嫌いの影山さんが、自室に男がいる状態で席を外してんだぜ? 財布もスマホ置きっぱなしだし。

 しかし、なんで男嫌いになったんだろうな? 言っちゃ悪いけど、影山さんって平均より少し上かなってレベルじゃん? 変な男……キモオタとかヤンキーに粘着されるほど美人でもないし、イジメを受けるような醜女でもない。やっぱり性格の問題だろうか? 別に性格が悪いわけじゃないけど、喧嘩になるタイプの性格だし。

 などと若干失礼な考察をしていたら……。


「おーい! ちょっと来てくれー」


 飛鳥さんが大きな声で呼んできた。切羽詰まった声じゃないから非常事態ってわけじゃなさそうだけど、念の為に急ぐか。


「呼びましたか?」


 ドア越しに声をかける。俺を呼んだってことは服を着ているはずだけど、万が一ということもあるからな。

 おっ、ドアが開いたぞ。


「おー、悪い悪い。ちょっと肩を貸してやってくれ」

「……大丈夫ですか? ぐったりしてません?」


 かろうじて立ってるって感じじゃん。手押し相撲したら一撃で勝てそう。

 もしかして熱がぶり返したのか? シャワーにしちゃ妙に長いとは思ってたけど。

 とりあえず肩を貸すか。体調悪い人間が俺の臭いなんか嗅いだら倒れそうな気がするが、言ってる場合じゃないよな。


「歩けます?」


 こんな時に言うことじゃないと思うけど、なんか安物っぽいシャンプーの香りがするな。あんまりこだわらない人なんかね?


「うん……。ごめん……まだ髪の毛濡れてるのに……」


 いや、どっちかと言えば俺の汗のほうが気になるよ。今はもう引いてるけど、この家に来るまで汗かいてたわけだし、風呂上がりの人間と接触するのは忍びない。


「どうでもいいですよ、そんなこと。とりあえず二階でいいんですか? 階段、登れますか?」

「うん……」


 怖いなぁ、人に肩を貸したまま階段登るの。広めの階段で良かったよ。


「落ちてこないでくれよ? 私じゃ受け止められんぞ」

「じゃあ登り終えるまで待っててください。そんな真後ろにいたら、全滅ですよ」

「いざって時、クッションになろうかと……」


 いや、そんな体張らんでもいいって。そこまでして生き延びたくないし、むしろ踏ん張る時に邪魔だわ。


「顔色と呼吸が凄いことになってますけど、大丈夫ですか?」

「……うん」


 本当か? 明らかに大丈夫じゃない人の声色だぞ。


「熱は低そうだし、そこまで心配はいらないと思うぞ」

「うーん……熱が低いからこそ怖い気もしますけどね」

「どうするよ? 救急車か医者を呼ぶか?」


 それはさすがに大げさ……とも言い切れんのか?


「呼ばないで……ちょっと体調悪いだけですから」


 まあ、喋れてるから大丈夫か? 


「そうか? 本当にやばかったら言ってくれよ? 救急車使うことにためらいがあんなら、商店街のオッちゃん達に車出してもらうぞ?」


 むしろそっちのほうがためらってしまうんだが、俺だけ?


「とにかく髪乾かしてやっから、寝るのは少し我慢しろ」


 そう言ってワシャワシャとタオルで影山さんの髪を拭き上げる。いつも思うけど、飛鳥さんの乾かし方って雑じゃない? 飛鳥さんが自分の髪を雑に扱う分にはかまわんけど、人の髪だぞ?


「すみません……何から何まで……」

「ハハハ、大げさだな。服着せたり、髪乾かしたりしたぐらいで」


 服まで着せてあげたんだ。その服には下着も含まれているのだろうか? などと下卑た思考になった自分を殴りたい。こんな顔色悪い人相手に、よくそんなことを考えられるな。我ながら気持ち悪いわ。


「しっかし美羽、私が言うのもなんだが、キミも中々のペチャだな」

「…………」


 この無言は怒りによるものなのか、それとも単純に体調が悪くて喋ることができないのか。どちらにしてもよろしくないな。


「で、食欲はあるか? レンジで作れるおかゆ買ってきたけど」

「いえ……今はちょっと」


 冗談抜きでしんどそうだ。夏風邪はタチが悪いとはよく言ったもんだな。あのアホみたいな徹マンのダメージも大きいんだろうけど。


「眠気はどうだ? 寝るなら静かにするが」

「いえ……むしろ適当に話してください。なんていうか心細いんです」


 ちょっとわかるかもしれん。俺も子供の頃に風邪で寝込んだ時、隣の部屋から聞こえてくるテレビの音声で落ち着いたもんだ。きっと風邪を引いた時は、心が弱るんだろうな。


「あ、ああ、そうか。急にそんなこと言われてもどうしていいもんか悩むが、とりあえず私の昔話でもしてやろう」


 飛鳥さんの過去だって? それは俺もちょっと興味あるかもしれん。なんとなくその手の話題は避けたほうが良いと思って、あまり聞かないようにしてたんだが。


「意外だろうが、これでも出生時の体重は三千グラム近くあったんだ」

「過去すぎません!?」


 唐突なボケに思わず突っ込んじまったよ。普段は心の中で突っ込むタイプなのに。


「進次郎君はどれぐらいあった? 出生時の体重」


 広げるのかよ、この話。もしかしてボケじゃなくて素だったん? ここから二十七歳までじっくり話す気?


「知りませんけど、少なくとも未熟児ではなかったはずです」


 余談だけど、今は未熟児って言葉を使わないらしいな。なんだっけ? 低出生なんたらかんたらだっけ? そういえば優性遺伝と劣性遺伝も、名称が変わったんだっけか。どうせ言葉狩りの類なんだろうなぁ。俺等が年寄りになる頃には、禁止ワード増えてまくってるんだろうな。


「まあ、そうだろうな。私はどうだ? 私が未熟児じゃないのは意外だったろ?」

「……いや、別に」


 飛鳥さんの出生時の体重なんて、考えたこともなかったよ。なんなら現在の体重もさして興味ないし。


「ちなみに生まれた時点で結構フサフサだったらしいぜ」

「あー、個人差あるって言いますもんね」


 この人、自分について詳しいな。体重とか髪の毛とか気にしたことなかったよ。


「私は薄かったらしいです……。ちなみに体重は三千未満でした……」


 え、この人も? もしかして世界で俺だけなのか? 赤ん坊時代の自分について興味ないのは。っていうか無理して喋るような内容じゃないだろ、大人しく寝てろ。


「赤ちゃんって単語でふと思ったんだが、私は大丈夫だろうか」


 真剣な面持ちになる飛鳥さんを見て、妙な緊張感が走った。


「何がです?」

「私の体格じゃ出産は危険らしいんだが、果たして無事に産めるだろうか」


 ああ、そういう……。確かに女性としては不安というか、深刻な悩みなんだろうけども、そもそもの話……。


「そこまで……いけるんですか? 飛鳥さん……彼氏すらいないのに」


 言っちゃったよ、この人。俺があえて言わずにいたことを、体調不良を押してまで言ったよ。


「そこは心配いらんさ。な? 進次郎君」


 この人強くない? こんな時までアピールしてくるんだぜ? その積極性があれば彼氏ぐらいいくらでも作れそうなもんだが、どうして独身なんだろ。


「はは……お似合いだと思いますよ……」

「おっ、美羽もそう思うか」

「少なくとも私よりは……」


 それはそうかもしれんけど、無理して喋るなって。よりにもよって俺が追い詰められるような一言を。


「おいおい、どうしたんだよ? 美羽も好きなんじゃねえのか? 諦めんなよ」

「どうせ私なんか……」


 飛鳥さんの発言はおいといて、影山さんの様子がおかしいな。普段から決してポジティブな人ではないが、ここまでネガティブでもなかっただろ? そりゃ変に卑屈なところあるけど、アレって女性によくあるヤツだろ? ほら、あるじゃん? 『そんなことないよ!』って言ってもらえるのを期待して自虐するヤツ。


「私、絶対中岡君に嫌われてますもん」

「おい、どういうことだ進次郎君」


 あれ、俺に飛び火したぞ? 今までに一回でも嫌いって言ったっけ? この人達に対して、その手の言葉を使うはずないと思うんだけど。そもそも人に嫌われるの怖いから、基本的に俺が人を嫌うことないんだけど。


「今までごめんね? 冷たくして……」

「いえ、そんな……」


 何を今更って気もするが、そもそも気にしてない。そりゃ最初の頃は思うところがあったけど、影山さんに悪意がないことを知っている今となっては別にね。

 そう、この人はただのコミュ障なんだよ。女性版の俺なんだよ。暴力性って意味では違うように見えるけど、それは性別の問題だと思う。俺が女性なら男を蹴ってただろうし、影山さんが男なら女性を蹴ったりしない。いや、知らんけど。


「私ワガママばかりで、早朝からジョギングに付き合わたり……」

「………………いえ」


 それに関しては本当に改めてほしい。ジョギング自体は健康のためだって割り切れるけど、早朝は本当に頭がおかしい。嫌いなジョギングと嫌いな早起き、ここまで最悪な組み合わせが他にあるだろうか? イカの塩辛とワイン、満員電車とデブ、デブとエレベーター、デブと狭い通路、デブと大縄跳び、デブと吊橋……結構あるな。いや、そもそもデブ自体が最悪なものだから、何と組み合わせても基本的に最悪の結果が生まれるんだろうけど。


「逆ギレしたり、上に乗っかったり……背中に汚いものをこすりつけたり……」

「……いえ?」


 ……なんの話だっけ? 逆ギレは思い当たりがありすぎるけど、上に乗っかるってなんだろう? 背中に汚いもの? なんだ? アホガキみたいに鼻くそでもつけてきたのか? いや、まさかな。


「テントと間違ってサンシェード買ったりとか……」

「……まあ、今となっては笑い話ですよ」

「私は今でも怒ってるぞ? 未智と風夏も多分」


 そりゃアンタらは怒るよな。これでもかってほど、蚊に刺されてたし。普通なら体温が高い男が刺されそうなもんだけど。ましてや俺と未智さん抱き合ったまま寝てたから、体温かなり高めだったろうし。


「ごめんなさい……」

「まっ、サンシェードは私の家……私達の家で使わせてもらうよ」


 どう使うのか知らんけど、また正妻アピールしてるよ、この人。病人相手にマウント取って悲しくないんか?


「んなことより美羽、やけにしおらしいじゃないか」

「……嫌われるのが怖くて」


 俺みたいなこと言いだしたんだが?

 多分風邪で精神的にまいってるんだろうな。普通に会話しているように見えて、実際のところは無理してるだろうし。


「嫌いになんてなりませんって。正直、さっき言ってたことも別に気にしてないというか、あんまりピンときてませんし。なんですか汚いものって」

「……アンタ、結構大きいのね。なんとなく知ってたけど」


 いや、マジでピンときてないんだよ。なんだよ、汚いものをこすりつけたって。怖くなってきたんだが?


「今日もわざわざ来てくれて、本当にありがとう」


 なんかむず痒いな。普段の影山さんだったら『別に無理して来なくても良かったのに』とか『どうせ暇してたでしょ?』とか、憎まれ口を叩いてきただろうに。


「私が寝るまでの間でいいから、もう少しだけここにいてくれる? あ、飛鳥さんもできれば……」


 妙に可愛いな、今日の影山さんは。どっちかと言えばこっちが素なのかな。


「なんだなんだ? 私はついでか? このこの」


 突くな、病人を。そんなんだからついで扱いなんだよ。ショッピングの誘いもめんどくさがるし。


「眠りにつくまで手でも握りましょうか?」

「うん……お願い」


 ふぇ? 今、お願いされた? からかっただけなんだけど。

 少し恥ずかしいが、自分から言い出した以上はやらざるをえないよな。あっ、握り返してくれた。不覚にもドキドキしてるよ。


「じゃあ私は頭をナデてやるよ」

「それはいらないです」

「おいっ!?」


 はは、距離がある組み合わせだと思いきや、案外相性いいじゃん。

 ところで何時間ぐらいこうしていればいいんだろ。スマホを弄りたいけど、右のポケットに入れちゃってるから上手く取り出せないんだよ。右手が使えないから。

 まあいいや、今は寝顔を堪能させてもらおう。この人にここまで気を許してもらえるなんて光栄なことだし、完治したらまたツンツンモードに入るかもしれん。

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