#105 実は距離がある組み合わせ

 看病をしにきたはいいが、特にやれることがない。最初に飛鳥さんが汗を拭いて以降、俺ら二人は何もできないまま三時間ほど経過した。

 まあ、影山さん寝ちゃったし、しょうがないよね。医学なんぞ全くわからんけど、こういう時って眠れるに越したことはないよな? うん、やれることがないってのは良いことのはずだ。

 ちなみに三時間もの間、何をしていたかというと……。


「さすがに疲れるな……」

「やっぱり実際の盤で指したいですよね」

「いや、そもそも三時間も打つようなもんじゃなくないか?」


 将棋だ。適当にインストールしたスマホアプリで、三時間ほど黙々と指していた。

 なんで将棋かって? ほら、前に碁会所で打ったことあるし、静かに遊ぶにはちょうどいいかなって。


「キミさ、前から思ってたけど妙に強くない? 私だって、オッチャンらと結構将棋打ってたから、それなりに心得あるんだが」

「俺も対人で指したことはあんまりないですね」


 とあるゲームで延々とコンピューター相手に指していた過去があるから、そこそこ強い自信がある。人と指す機会あんまりないから、相手が格下の飛鳥さんでもわりと熱中してしまったよ。


「戦術書とか読み込んでるクチかい?」

「ぶっちゃけノリですよ、ノリ。無手勝流ってヤツですかね」


 多分ガチ勢と指したらフルボッコにされると思う。何回かTV中継で見たけど、全然理解できない打ち筋だし、あの世界で生き残れる自信ないわ。きっと努力でなんとかなる世界じゃないんだろうなって。


「そういや碁会所で指した時、飛鳥さん泣きましたよね?」

「うるさいな、女の子を泣かせた過去を武勇伝にするな」


 いや、別に武勇伝にした覚えは……。っていうか将棋ごときで泣くアラサーってどうなのよ?


「ずいぶん楽しそうね」


 あっ、影山さんが目を覚ましたぞ。さっきより顔色が良くて一安心だな。


「おい、体起こして平気なのか?」

「飛鳥さんのおかげでだいぶよくなりましたよ」


 汗を拭いて着替えさせただけでは? いや、それを言ったら俺なんて、部屋の外で膝を抱えて、無力感に打ちひしがれてただけなんだけど。


「熱がだいぶ引いたみたいですし、軽くシャワーを浴びようと思うんですけど……」

「おいおい、やめとけって」

「大丈夫ですって、シャワーぐらいなら」

「しかしだな、悪化する可能性があるだろ?」


 うーん? 難しい話だな、これは。俺だったら入るかな。シーツとかパジャマの替えがあればの話だけど。


「それに私じゃ美羽を支えられないぞ? 言っとくが、いくら寛容な私でもこればかりは進次郎君に任せられん」


 それは俺と影山さんが決めることでは? っていうか俺も多分無理だよ。体が思うように動かない成人を風呂に入れるって、プロじゃないと無理だと思う。


「でも熱が出てから一度もお風呂に入れてないですし……」

「外出するわけじゃないし、平気だろ? ほら、まだ微熱あるし」


 影山さんの汗を気にせず、デコに手をあてて熱をチェックする飛鳥さん。俺が同じことを男友達にできるかって言われたら、ちょっと無理かな。


「で、でも臭いが……」

「あん? 臭わん、臭わん。なあ、進次郎君?」


 手招きするな。さすがに嗅がないから。俺にもそれぐらいのデリカシーあるから。


「そ、そいつの鼻が気になるから言ってるんですよ」


 中々面白い言い回しだな。一瞬、鼻毛でも出ちゃってるのかと思ったよ。


「乙女だなぁ、美羽は」


 必死な様相が飛鳥さんのツボに刺さったらしく、からかうように笑っている。


「じゃあ飛鳥さんは、中岡君に汗臭いって言われても平気なんですか?」


 言わねえっての、そんなこと。俺をなんだと思ってんだよ。


「…………ちょっと応えるかな」

「ほらぁ、私のこと言えないじゃないですか」

「ごめん……」


 ……何このやり取り? 巻き込み事故食らった気分なんだけど。


「とにかく、もう少し休みな。転んで怪我でもしたら、つまらんだろ?」

「大げさなんですから、もう」


 ……いよいよ俺不要じゃない? トイレに行く時に肩を貸すぐらいの仕事はあると思っていたんだが、汗の匂いを気にしてるならそれもないだろうし。


「ほら、制汗シートあっから、これで良い匂いになりな」


 制汗シートって、言うほど良い匂いか? っていうかそれ、暗に汗臭いって言ってないですか?


「風邪なんですけど、大丈夫なんですか? それ絶対スースーしますよね?」

「大丈夫だろ、多分」


 確信が持てないことを他人に勧めないでほしい。まあ、一応買う前に注意書きを読んだけど、風邪の時に使うななんて文言はなかったから大丈夫だろう。俺は一切の責任を持たんけどな。


「香水とかアロマ持ってきてないんですか?」

「看病にそんなもの持ってくるかよ。香水なんてどこで買うかも知らんわ」


 飛鳥さんって本当に興味ないよな、その類に。よくよく考えてみりゃ、ボディソープとかシャンプーでさえ、俺と共用だもん。化粧してるところも見たことないし。


「風邪治ったら一緒に見に行きませんか? 気になるのがあるんですよ」

「んー……。その後、飲みに行くなら全然いいんだけどなぁ」


 え、何言ってんの? それって、お出かけをついで扱いしてない? 友達同士でも失礼じゃない? なんてことを考えてしまうあたり、俺は陰キャなんだろうなぁ。


「嫌なんですか? 別に無理にとは言いませんけど」


 あっ、影山さん的にも失礼判定なんだ。そりゃそうだよな。


「だってよぉ、前に風夏とコスメってヤツを見に行った時……あっ、コスメってわかるか? 私はよくわかってないんだけど」


 現代日本にわからない女性いないって。今時は小学生でも二人に一人ぐらい使ってるよ。なんかの記事で読んだ気がする。


「……で? 退屈で退屈でたまらなかったと?」

「そーなんだよ! 暇すぎてスマホの充電切れちまったよ」


 スマホ? ああ、スマホをいじるぐらいしかやることがなかったってことね。

 俺も母親の買い物に付き添った時そんな感じだったけど、風夏さんとの買い物って楽しくない? 俺に気を遣ってか、かなり早いペースで店を回ってくれたし。

 あっ、もしかして、飛鳥さんとの一件が原因か? 興味ない相手に長時間突き合わせると、お互いに辛いってことを学習したのかな。

 ……なんで世間の母親は学習しないんだろ。


「……飛鳥さんと二人で出かけることあんまりないから誘ったんですけど、嫌そうですしやめときますよ」


 あっ、ちょっと怒ってる? 別に飛鳥さんそこまで悪くないと思うけど、風邪のせいで不機嫌になりやすい状態だったのかな?


「おいおい、怒るなって。キミだって、私が商店街の手伝いに誘ったら断るだろ?」

「そりゃ断りますけど……」


 いや、それとこれは別じゃない? 普通の人間は断るよ、そんなもん。


「ああもう、わかったわかった、わかったよ。シャワー浴びるの手伝ってやるから、機嫌直せっての」


 喧嘩になるのが嫌なのか、無理やり話の流れを変えにいく飛鳥さん。そういうごまかし方って、余計にこじれる気がするんだけど。


「怒ってませんって。っていうか、飛鳥さんじゃ私を支えることなんて……あっ、いや、別に飛鳥さんがドチビってわけじゃ……」


 〝ド〟をつけるな、わざわざ。やっぱ怒ってるだろ。


「一人で浴びれるんだろ? だったら軽い補助でいいだろうし、任せとけって」


 どうやらドチビ呼ばわりは気にしてないらしい。なんだかんだ大人だよなぁ。


「あっ……汗かいてて汚いですって!」

「気にすんなって」


 影山さんの制止も振り切り、肩を貸して起き上がらせる。こうして見ると、飛鳥さんって本当に小さいな。影山さんも別にそこまでデカいわけじゃないのに。


「進次郎君、悪いけど今のうちにシーツを換えてもらえるかい?」

「ちょっ、臭いが……」

「気にすんなって。ほら、行くぞ」


 あの、飛鳥さん、頑張ってるところ申し訳ないんですけど、肩を貸しているというより、背負投げが下手な人みたいになってます。多分、肩を貸さないほうが楽だと思いますよ。

 まあいっか、後のことは任せてパパッとシーツを換えるか。

 …………めっちゃ影山さんの匂いする。決して匂いフェチではないと断言するが、それでも意識してしまうな。汗ってこんなに匂いが出るんだな。俺も少し気をつけたほうがいいな。

 っていうかアイツら二人でシャワー浴びんの? 童貞のオタクには刺激が強いんだけど。……病人相手に何考えてんだろ、俺は。とことん最低だな。

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